9:通り魔という名のお客様。

 緊張のうちに契約は終わり、下がってよしとの言葉を受けた井澄たちは、丁重にその場をあとにした。


 玄関から戻る際にもまた娼枝から声をかけられたりしたが、あまり気にしないようにして表へ出る。また久保が馬車で運んでくれるとのことで、停められていた車に井澄たちは乗り込んだ。座席が硬く少々手狭な馬車だった。先の馬車とはちがう。


「おや、香が焚かれていないのだね」


「先ほどは他の馬車が出払っておりましたので、来客用のものでお出迎えした次第です。また支店にもあまり高級な馬車で乗り付けますと、娼枝が騒ぎますので」


 御者の言葉を聞き、井澄は小雪路に語りかけた。


「ほら聞きましたか小雪路? 高級な馬車の音がしたために上客が来たと思い、騒いでいただけなんですよ。そうですこういう理由だったんですよ八千草」


「なぜぼくのほうにも釈明する……あと、まだここでも気を抜かないことだよ井澄。今日のぼくらはいわば傭兵、数合わせの人員であってそれ以上ではないのだからね」


 なんとか屋敷を離れることができて少しの安堵と共に話題を振っていたことに、気づかれていたらしい。

 ばつが悪くなって腕組みすると、身じろぎして尻の位置を動かした。


「……わかっては、いましたが。まがりなりにも四権候しけんこうの一人なのですね」


「四権候の、って、お前はうちに入るときに湊波みなとなみさんともやりあっていたろう」


 あー、と言葉尻に苦いものを漂わせて、井澄は湊波――アンテイクの主人であり、緑風という派閥を作り上げた強大な先人にして〝仕立屋〟の呼び名で恐れられる湊波戸浪みなとなみとなみという男のことを思い返した。


 半年前アンテイクに入るにあたり、入社試験と称して湊波は井澄の戦力を見るべく、手合わせを挑んできたのだった。


「はなから覚悟固めてやりあうのと、敵意を向けられると知らずに来るのとでは、まるでちがいますよ」


「そういうものかい。まあなんにせよ、少々幻滅であるね。あんな簡単にころっと騙されてしまうようではね」


「反省いたします」


「ひょっとしてあれか。井澄、お前ああいうえらく年上の女が好みとか」「それ以上は冒涜ですよ」「……ごめん」「いいえ」


 なんの冒涜って八千草自身への冒涜となってしまう。恐ろしい事態である。たしかに歳はひとつちがうが、実際の精神的な年齢であるとか、そういう部分においてはある意味で井澄のほうが上でさえあるだろう。


 いろいろ去来する思いはあったが押し込めて、井澄は頬をひとつ張ると気持ちを切り替えた。与えられた業務は、殺し屋殺し。死体を解体する残虐性、異常性からして油断はまったくできない相手なのだ。


 八千草もからかうのをやめて表情に冷たさを帯びると、さて、と今後の動きについて確認する。小雪路もちらちらとあたりに目を配っていたが、意識だけは八千草に向いたことが気配で察せられる。


「さて、ひとまずぼくらは雪・月・花の三店舗のうち、花の支店を警護だ。業務時間は本日夕刻から明日の正午まで。既に常駐している護衛の人間と、共同で任に当たる。中は常駐の護衛が巡回するそうなので、ぼくらはそれぞれ玄関、勝手口、屋根上の三か所で守りにつくのだよ」


 嘉田屋本店は、普段支店に常駐している護衛を集めて警護の態勢を作るという。本店の娼枝と、大事な上客の命を守る任は外部からの雇われである井澄たちなどには任せておけない、ということであるらしい。


 ことの発端となった酒運びも、今日含め数日中は控えさせるとのことだった。もっとも、娼枝が殺される物騒な事態の中でわざわざ呼ぶ人間もいないのだろうが。


「ぼくが勝手口。玄関を井澄。広範囲を見渡せる屋根上で、小雪路が索敵を務めておくれ」


「はーいはい、わかったよん。でも八千草ん、相手手こずるようなんなら、すぐうち呼んでね」


「逆に言うが、呼ぶまでは来ないことだよ。手薄になった場所を攻めてくるのは兵法の初歩であるからね」


「むむん」


 戦う機会を得ようとむやみに言葉を継いだせいで、やりこめられてしまった小雪路はつまらなそうに口をとがらせた。


 ……とはいえ、本当に手こずる相手ならば助太刀に入るのも間違いではないし、八千草が手を借りたいと願うほどの相手となれば呼ばれるまでもなく気配で察して彼女は駆けつける。


 彼我の力量差把握に長ける小雪路は防衛戦・迎撃戦においては「戦力を割くべき位置」を即座に察し動くことができるため、存外重宝する扱いやすさを誇る。なにしろ小雪路はその能力と彼女自身の卓越した戦闘技術、戦闘勘により、最年少にもかかわらず直接的な攻撃力だけならばアンテイクで一番といっても過言ではないのだ。


 ひるがえって、彼女の力が発揮されない状況とはこちらが攻め込まねばならないときである。この場合小雪路は「強者のいる位置」はわかるものの、そこを目指して一直線になってしまうせいで罠にかかったり、不必要な戦闘を重ねることが多かったりする。


 考えなしの香車。配置さえまちがえなければ有用だが必要無ければ自陣の隅へ置いておくことになる。考えながら見ていた井澄に、八千草が視線を走らせ、続きを話す。


「そして、敵と交戦した場合は、確実に止めを刺すこと」


「……殺しは好きくないんけど」


「業務命令であるよ。お前の主義には合わないのだろうけれど、雇い主の意向は絶対だ」


 仏頂面のままはぁい、としぶしぶ返事をする小雪路に、八千草もあまりいい顔ではいられないようだった。


 といっても業務に私情を持ちこもうとした小雪路をいさめる気持ちからではなく、彼女自身も殺しを好かないからであることを、半年の付き合いで井澄は知っていた。


 まあ、二人の殺害忌避には明確なちがいがあるのだが。


「ねー、殺したフリじゃいかんのん?」


「だめだよ。息の根を止めて、耳でも斬り取っておきなさい」


「むー……あーあ、殺したら、もう戦えんのに」


「怨恨を残したくはないなあ」


 趣味ゆえの嗜好か、仕事ゆえの思考かという、こんな具合のちがいである。


「で、一晩だけですし、仮眠や休憩などは必要ないでしょうが。食事はどうします?」


「店におもむいたなら蕎麦でも頼んで、手早く済ませよう。食べ終えたら、業務開始だよ」


「歯ごたえあるのんを期待しよ」


 蕎麦に対するものではないだろう言葉を小雪路は漏らした。


 じきにごとごと揺れはじめ、横揺れの激しさから狭い道、細い道に入ったことが伝わってくる。縦揺れの激しさは舗装の少ない悪路の証拠だ。酔いそうになるのを我慢して進むと、やがて、車輪は回転を止めた。


 雪月花の三店舗は隣接しているわけではないがわりと近場に建ち並んでおり、屋号を示した看板が瓦斯灯の薄明かりに映し出される宵闇の中にたたずんでいた。


 通りは広くなく、時間帯のためもあってか人通りは少ない。辻斬りというか通り魔というか、そうした犯行にはうってつけの環境が整っていた。


「このあたり、であっていたかな」


 アンブレイラをついて地面に降り立った八千草は、暗く幅の無い路地裏のほうを見て、言った。井澄が手帳の情報をあらためてうなずくと、歩みよっていく。一町(約一〇九メートル)も店から離れていないが、たしかにここで娼枝は殺されていたらしい。


「ここが最後の、三件目の殺しが行われた場所のようです」


「残り二ヶ所も似たような路上かい?」


「ええ。距離も似たようなもので。出血の具合からして三人とも腹部、特に下腹部から脇腹にかけてをめった刺しにされており、けれど心臓や肝臓といった急所からは若干外れていたため、刺されてしばらく息はあったようです」


「下腹部?」


「って、なんなのん」


 二人から同時に尋ねられ、けれど問いの意味はちがったため、井澄は八千草のほうにだけ答えた。


「臓腑をいくつか持ち去るためか、はたまた別の目的か。腹部から股下までを斜めがけに一文字に、大きく切開されていました」


「それでは犯されたかどうかは、わからないのではないかな」


「手や口ですとか、胸ですとか、そのあたりに……あの、男の、なにがしか分泌液が付着していたそうで。また手足にも、抵抗した際には生じるはずの防御創ぼうぎょそうというものがなかったとのことです」


「和姦ということかい」


「そ、そんな感じですかね」


 そんな言葉を使われるとどぎまぎしてしまうのだが、気持ちを押さえつつ井澄は平静を装う。


 防御創とは暴れた際に爪の先へ相手を引っ掻いた傷が残るとか、殴られるのを防御して腕にあざが残るとか、そうした抵抗の痕跡である。これがなく男が満足した痕跡は残っていたため、生前に犯されたと判断されたのだ。


「にしても、いつも思うけれどいやに詳しいのだねお前」


「ブンヤの知り合いがいるので。こういう猟奇的な記事は、売れるのだそうですよ」


「ああ四つ葉新聞か」


 納得した様子で八千草はうなずく。

 これは名前の通りこの島の中だけで流通する新聞で、大半は噂話や煽情的に書き立てる三文記事の集合体なのだが、どこからともなく情報を集める手管だけは方々から評価されている。井澄もこの新聞屋の記者にツテがあり、そこから情報を得ているのだ。


「もちろん他にもツテはありますが、そこは秘密ということで」


「いいけれど、情報集めに金を使い過ぎないようにね」


「そこはほらあの、必要経費ということで」


「おりないよ」


「取りつく島もない」


 言い合いながら、八千草は路地に入り込む。つまらなさそうに周囲を見て、自分の相手足りえる敵を探しているらしい小雪路は放って井澄も路地に入る。だが綺麗に片づけられたあとらしく、なにも残ってはいなかった。屋外であることも手伝って血なまぐささなどもない。


「では、死因は失血死ということかな」


「そうなりますね。ただ止めは首の頸動脈を裂かれたためだと」


「頸動脈」


 繰り返して、八千草は地面から顔をあげると、きょろきょろ周りを見回した。壁をなぞり、下のほうにこびりつく血痕の垂れた形跡を見つけてから、ふうん、と溜め息のようなつぶやきを残して、路地から出る。


「うん、ありがとう。相手の戦力分析になるかと思ったのだけれど、話を聞いたところ大した戦闘力はなさそうであるね」


「ですね」


「山井さんがなにか言いたげだったものだから、裏でもあるのかと思っていたのに」


「あ、おわったー? 早く蕎麦食べて、お仕事しやん」


「そうしようか。では、殺し屋殺しの業務、開始だよ」


「ぶっころーす」


 小雪路のあっけらかんとした声につづいて、二人は花の支店へ入っていった。




 二階建ての建物は、嘉田屋を元にしたつくりだがやはり幾分等級が落ちるというか、薄汚れた雰囲気に包まれていた。小奇麗にまとめてみせているのに、衰えを隠しきれない大年増、という風情の内装である。


 そこにおわす娼枝もまた先ほど本店で井澄に誘いをかけてきた女たちに比べると、少々顔は見劣りする。また所作や着物の着こなしにも劣る部分が見受けられた。高級な遊女は下級士族より教養と品格持つこともままある、という話もあるが、ここは値段相応といったところか。


「あら、おにいさん。いい男」


「やめてください仕事中なので」


 誘いの言葉も直接的である。……しかし、今回は高級な馬車で訪れなかったというのになぜまた煙管の雨が降っているのだろう。首をかしげつつ誘いを無碍むげに断りつつ、井澄はあがりこみ、奥の客間で蕎麦をすすった。小雪路が三杯ほどおかわりを頼んでおり、八千草も二杯食べた。


 そして夕刻が訪れる。懐中時計で時間を確かめた八千草は娼枝の一人から煙管を借り、貰い煙草を喫んで満足したような顔で勝手口へ移動していった。


 小雪路はだいぶ前から屋根の上にのぼっており、遠くまで見はらして敵を待っている。ここからは根気の勝負。待ちの姿勢を保つ、集中力に重きを置く時間のはじまりだ。


 ……ややあって。


 玄関の外にいた井澄は「あの子は客をとれるのかね」と屋根上を指して訊かれ、珍妙な格好の女にも物好きはつくもんだと思いつつ、「お客様があの子より強ければ」とお茶を濁した。


 二分もしないうちに二階から野太い悲鳴が聞こえた。


 その後さらに時間が経つと「勝手口の子は客をとれるのかねハアハア」という気色悪い男が現れたので、見る目のある奴だと思ったものの「一昨日来やがれ」と返しておいた。


 店の主人と八千草にひどく叱られた。


 さらにさらに時間が経つと「きみは客をとっているかい?」と背の高く彫りの深い男に訊かれ、「警護の最中です」と言ったのにまだしつこいので路地に呼んで指弾で気絶させた。


 戻るとなぜか娼枝が盛り上がっていた。


 そんなこんなで――待つ仕事は退屈なもので、することがないと時間が長く感じる。かといって業務の性質上、それこそ嘉田屋で月見里が言ったように、注意一秒怪我一生、油断一秒生終了というのがこの四つ葉の常識である。


 傍目には小雪路も八千草も井澄も皆、ぼんやり突っ立っているように見えるのだろうが、勘のいい、ある程度戦を経験している人間がこの店の前を通らないことからわかるとおり。張りつめた気をあたりに巡らし、敵の襲撃を刹那でも早く読み取ろうと尽力している。


 こうして時は過ぎゆき。遊廓の繁忙な時間が訪れる。


 行きかう人波には色を求める男が増えて、雪月花の店へ潜り込んでいく。とはいえ、やはりここ最近の事件について噂が飛び交っているためか、全体として人数が少ない。来ているのは野郎なら襲われまいと高をくくった間抜け面をさらす男か、ある程度腕に覚えのありそうな者。はたまた護衛となりうる人材を引き連れた者。


 護衛は同じ匂いをかぎ取ったか、井澄や小雪路に気づくと一寸ちょっと、目を向けてきた。戦える者の存在に色めきたつ小雪路に慌てて睨みを利かせて押さえ、護衛に早く店へ入るよううながす。残念そうに小雪路は舌打ちをかました。


 が――しばらくして、小雪路が屋根の上から飛び降りてくる。二階の窓の桟へ足をかけて勢いを殺し、横方向への空中移動を経て、地面を滑りながら大きく足を開いて旋回。


 右手を地につき着地して、井澄に詰めよってくる。


「井澄ん」


「どうしました」


「血の匂い」


 半年の付き合いで、小雪路の反応が素早く短いときは、状況が差し迫っている場合だと井澄は覚えていた。警備から一段上の警戒へ意識を切り替え、手を下に向けたまま腕を身体の前で交差させる、例の構えで硬貨幣を手の内に落とす。


「どこです」


「一階の奥」


 ざわりと、狂気じみた笑みを浮かべて小雪路は走る。下駄を脱がずにあがりこみ、左に廊下を曲がって奥の間を目指す。感覚の鋭敏な小雪路以外は血の匂いにも気づいていないらしく、娼枝たちはなにごとかと不安そうに井澄たちを見る。そして奥まで走る途中、八千草が合流した。


「血の匂いに気づきましたか」


「あいにく煙草以外の香りには興味ないよ。だが小雪路が活気づいている気配があったのでね」


 アンブレイラの柄に手をかけ、いつでも抜けるようにしながら八千草は言う。


「しかし店の中から殺気は感じられなかった。気配を遮断できるだけの力を持つ人間が、犯行に及んでいたということであろうよね」


「戦闘力はないと判断したばかりですのに」


「いや……うん……とりあえずわからないことは、実際に見て調べるとしよう」


 口ごもる八千草は先行する小雪路を目で追い、そして彼女が扉を開け室内に飛び込むと同時、抜刀して切っ先を向けながらあとに続いた。


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