五時間目 数学 狼、キャベツ、羊を全て対岸に渡すにはどうしたらよいか

私はその一軒家の前で立っていた。

時計を見る。既に7分遅刻している。

いらいらしているからか、当てもなくうろついてしまう。

家は小さめだがおしゃれな感じで、家の前を通ると中に住んでるのはどんな人だろうと想像したくなるような感じだ。

だが、今回はそれ以外にも伝えることがあった。


急にドアが開いた。

「なに、あなた…。」

40近い女性だ。

私は一度会った事がある。

当初の作戦失敗。自分からチャイムも押して入ろうかと思ったが、ここはアドリブで乗り切るしかない。

「唐座 遥と言います。息子さんと同じ学校に通う中学3年生です。」

表情は変わらない。戸永の母親は、あの日からむしろ猜疑心と言うものが強まった様子がある。

無言が続く。自分の思惑について考えているのだろう。

「学校でプリントが配られたので、届けに来ようと思って」

「必要なものは学校からメールでいただいてます」

「ノートも板書してきたんですが」

「結構です」

視線が交錯する。

「何かそれ以外に目的があるんですね」戸永母が言う。頷く。

「どうぞ入って。何もできないけれど」

ドアを開け、招き入れる。

「あ、もうちょっとだけ待ってもらえます?」

「何?」露骨に不機嫌そうな表情を浮かべる。

道の向こうからシルエットが浮かぶ。

「いやー、わりわり。」浦辺だ。駆け足だが、息の様子から急いできたかどうかは容易に推測できる。

戸永母の表情がより険しくなる。

さてと。


リビングは最低限整えられてはいたものの、細かい汚れは目立っていた。戸棚に置かれた装飾品は一切隙がなく並べられているが、洗濯物は乾いてあるのに干したままになっており、食器は洗われずに出したままになっていたようだ。

部屋は心を表すというが、まさにそんな感じだ。私も人のことを言えたもんじゃないが。

出された紅茶を飲む。浦辺は居心地が悪いのか、2口で飲み干してしまった。

「それで、要件って言うのは何の事?」

「戸永くんの事です」

「あなた確か第一発見者という事になってたんでしたっけ」

「なってたっていうか、そうです」

「何か思い出したことでもあった?」

「はい。…戸永くんが今どこにいるかもわからないし、何の理由で消える事になったかも分からない。でも、どうやって消えたかは分かります。まだ仮説ですが」

戸永母の視線が上から下へ走る。

「消えたって今おっしゃったわね」

「はい」

「確かあなたの言ったことを元にすると、二回目に図書室に行った時にはもう息子はいなくなってたそうじゃない」

「そうですね」

「その辺りから私は怪しいと思っているのだけど。そんな事起こりっこないじゃない?」

「でも事実です。土曜日の夕方、図書室は開かれた密室になっていました」

「あのね、こうも考えられるわ。あの日学校に残っていた3人の内、嘘をついた人物がいる。私は内心そう思っているわ。それなら息子に危害を加えた後で逃げ出す事も容易にできた」

「あり得ません」

「証明できるかしら?」

「それぞれがそれぞれを証明できます。3階にいた莉央が嘘をついていたのなら、2階ににいた私と浦辺に見つかります。浦辺が嘘をついていたのなら、3階にいた莉央に見つかるはずです」

「あなたが息子を見たというのが嘘かもしれない。もしくは全員で嘘を共有していたのかもしれない」

「それならこんな凝った事しないでもっと信じてもらえやすい嘘をつきますよ」

「ええ、信じる気にはなれないわね。到底できっこないじゃない」

「いや、それを出来る人が一人だけいます」

「誰のこと?」

「戸永くん本人です」


冷蔵庫の製氷器から氷が取れる音がした。

スマホの画面を見せる。

「これは図書室のとある一角を写したものです。どこかおかしいところに気づきませんか?」

「…別に、普通の本棚のように見えるけど」

「本のタイトルを読み上げていってもらえませんか?」

「横溝正史全集第3巻、プランクトンの世界、30分でマスターイタリア語、春季限定いちごタルト事件…。」

「ほら、本の内容がバラバラでしょう?図書室の本はテーマに沿って図書分類法によって分かれています。莉央が借りた音大受験の本が置かれていたのもこの棚。ちなみに数字は630。蚕糸業にまつわる本が置かれている筈です」

「それがどーしたっつーんだ?」

「つまりこの本棚は急にバラバラの本が入れられた、という事。これがトリックのキーワードになってくるんです。もう一個見てもらいたいものがあって」

ポケットから取り出し、机の前に置く。

「ネジ?」

「正確には、金具です。本棚の」

「どういう事?」

「時系列を追って説明すると、前日に彼は私に手伝ってもらい、本が詰まった段ボールを本棚の上に置いた。当日彼は死んだふりをして私にそれを見せる。私が職員室に行くのを見計らって行動に移す。あらかじめ空間を開けて置いた本棚をきっちり詰める事で本棚にデッドスペースを作る。

そこにこれ」

鞄からまた持ってきた図書室の本棚の棚板を見せる。

「さっき見せた金具をつけることで、棚の数を一個増やす事ができます。

その中に段ボールの中の本を入れ、空箱の段ボールを作る。段ボールを本棚の上にあげて、自分は本棚を梯子のように使って上に上がり、段ボールを被る。」

「なんで梯子は使わないんだ?準備室にあったんだろ?」

「本棚の下に置きっぱなしにしたらどこに逃げたか丸わかりでしょーが。準備室の鍵を私に渡したっていうのもあるだろうけど」

「なんでそんな事?」

「多分私が早く図書室に着きすぎたんだろうね。それが結果的に戸永くん本人の犯行を裏付ける事になったんだけど」

「どういう事だよ」

「小柄とはいえ、中学生が梯子を使わないといけないぐらいの高さへと戸永くんを担いで乗せるなんて無理があるでしょ?自分から言ったとしか思えない」

「想像でしょ?」


戸永母の言葉が響いた。

「うちの子がそんな事をやる理由が分からないわ。第一、あなたの考えはそれができるという事は指し示しても必ずそうとは言えないわ」

「確かにそうかもしれません」

「そうでしょう?」

「でも戸永くんが犯人であれば、なぜこんな手の込んだ事をしようとしたかがわかると思うんです」

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