第93話 エピローグ

 薔薇が咲き誇る季節、ローズは20歳の誕生日を迎えた。

 フェルディナンとローズは、2人の結婚とローズの誕生日を祝うパーティーを王都にある公爵家本邸の庭で開くことにした。


 パーティーには、ユベール博士や医師仲間、アレクサンドルやクロエをはじめとした同級生、それにオリヴィエ隊長やロベール夫妻など騎士学校時代の仲間も多く参加してくれた。リカルド団長夫妻やクレマンスからも、2人の結婚を祝うたくさんの品々が届けられた。


 その日、小さな教会で結婚の誓いを交わした時には着れなかった花嫁衣裳を身につけたローズは、愛する人々に見守られ、美しく輝いていた。


 結い上げる程には髪の毛は伸びなかったけれど、ターニャが花嫁衣裳に似合うように美しく髪をセットしてくれた。


 背中の受傷痕は、結局、手術はしないことにした。その傷も含めて、フェルディナンが愛してくれたから。


 新婚旅行には、あの時一緒に行けなかった、アステリア王国最南端の港町、カポラへ行くことにした。


 そして今、ローズはカポラにある貴族の館を改装したホテルの中庭にいる。ローズのすぐ隣には、夫となったフェルディナンが。


 薔薇のアーチの向こう側から、アーサーと彼によく似た顔立ちをした若い男性、そして後ろに護衛を引き連れた青年がこちらに向かってくるのが見えた。


 結婚パーティーの後、エドワード殿下から再び内密に会いたいと連絡が来たのだ。

ローズはそれを、今度は迷うことなく承諾した。フェルディナンは、快くローズの決断を受け入れてくれたが、「密室は避けることと、自分もその場に同席することは許してくれ」そう言ってくれた。


「バルモン侯爵。侯爵夫人。本日はこちらまで足を運んでくださいまして、ありがとうございます。こちらは、ナヴァル王国のエドワード殿下と、私の弟のルイです」

 フェルディナンは、先の大戦での功績を称えられ、侯爵位を授与されていた。


「アーサー、そういう堅苦しいのはやめて。ローズと呼んで、今までどおり接してほしい。ルイ様にも」


「ふっ、そうか。分かった」


「殿下。ジョゼフィーヌ=ローズ・ドゥ・バルモンです。今日は、お会いできて光栄です」

 この日のために練習したナヴァル王国の言葉で挨拶をする。


「バルモン侯爵、侯爵夫人。今日は、こういう機会を設けてくれて本当にありがとう。私も、あなたに会えてすごく嬉しい」


 それから5人でお互いの近況など、たくさん話をした。


「少しだけ、殿下と2人だけで話をさせてもらってもいいですか?」


「ああ、もちろんだ。じゃあ、私たちは向こうのテーブルにいるから」


「ありがとうございます」


「――どのように呼び合っていたのでしょうか。すみません、わたし、10歳より前のことを何も覚えていなくて」


「あの頃は、ジョゼとエディと呼び合っていたようだ。10年前、反対勢力に襲われた私を貴女が身を挺して守ってくれことを、1年ほど前に知らされたんだ。酷い傷を負わせてしまっただけじゃなくて、記憶まで失わせてしまって、本当にすまなかった」


「いいえ。事件の経緯をアーサー様から聞いたときは驚きましたが、背中の傷一つで殿下をお救いできたのなら、嬉しいです」


「酷い傷が残ったと聞いた。私のせいで、本当にすまなかった。きっと、今まで色んなことで傷ついてきただろう?」


「揶揄する人はいましたが、それと同じくらい、優しくしてくれる人もいましたから」

ローズは首を横に振りながらそう答える。


「……今でも、古傷が痛むことは?」


「雨降りの時だけ、少し。……殿下は?」


「私も、雨降りの日は、横腹が」


「そうですか……」


「これから雨降りの日は、貴女のことを想って感謝する。貴女の傷の痛みが消えてなくなるようにと、祈る」


「ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。この傷を含めて、愛してくれる人と出逢えましたから」


「あぁ。バルモン侯爵だね。アーサーから聞いたよ。とても頼りがいのあるご主人だそうだね」


「はい。ですから、殿下が気に病むようなことは何もないんです。殿下には、殿下の幸せを生きてほしいと願っています」


「そうか。……本当に、ありがとう。私も、貴女の末永い幸せを、祈っている」



 エドワード殿下とルイとの再会を果たし、言いたかった気持ちを伝えられた今、ローズはフェルディナンと二人肩を並べて、カポラ海峡に沈む夕日を眺めている。


「前に教えてもらった、絵師のことなんだが……盗賊を捕まえるのに、様々なパターンの似顔絵を描いて協力してくれたんだ。おかげで、奴らの所在地を掴むことができた」


「えっ? そうだったんですか? ……そっかぁ。でも、想い人の方には結局、会えずじまいになっちゃいましたね」


「その女性は、もう見つけたんだ」


「えぇっ!? 見つけたって……いったい、いつ?」


「1年ほど前だ」


「それで? 再会はできたんですか?」


「ああ」


「……想いは? ちゃんと告げられた?」


「いや……」 


「ええっ!? どうして?」


「……だからだ」

 波の音にフェルディナンの声がかき消されてしまう。


「?」


「その女性が……ローズだったから」


「……わたし?」


「だから、見つかったと言えなかった。ローズはずっと俺の側にいるものだと思っていたから。いつでも伝えられると思ってたんだ。……すまなかった」


「いつ出会ってたんですか?」


「10年前に、同級生の別荘地にある草原で。剣術の手合わせをお願いされたんだ。首筋を舐められて、見事に一本を取られたよ」


「うぐっ……」


「髪も瞳の色も違ってたけど、あの時の、片えくぼのある可愛い女の子は、ローズだったんだな。……あれから毎年、秋休みになるとあの草原に行ってたんだぞ? 再会は叶わなかったけど」


「……受傷後は、遠くへの外出が禁じられてたから。13になったら、帝国へ行っちゃったし」


「想い人はローズだったんだ」


「そっかぁ。……なんだか私たち、運命の2人みたいですね?」


「そうだな」


「……運命って、不思議ですよね。理不尽なことも、不条理なことも、たくさんあるけど。あの事件がなかったら、医師になることも、フェルディナン様とこういう形で出会うこともなかったのかなって思うと――全部、必要なことだったのかな、とも思えてきます」


「そうかもな。だが、これからは、ローズに起こる出来事は、俺の出来事でもあるんだ。夫婦なんだから、これからはもっと頼ってほしい。貴女は、一人で抱えてしまうところがあるから」


「ありがとうございます。……フェルディナン様が側にいてくれたら、とっても心強いです」


 「夫婦」という響きがくすぐったかった。これからの人生は、一人じゃないんだと思えたことが、堪らなく嬉しかった。


 海峡をわたる潮風を頬に受けながら、ローズは産まれて初めて、自分の運命を愛おしく感じた。



 ―完―

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