第73話 あれは…介抱の一環だ(フェルディナン)
日曜日の早朝、ローズはフェルディナン邸の庭先でフェルディナンと手合わせをしていた。
ディナーをキャンセルした埋め合わせとして、新たな食事会ではなく、毎日曜日に手合わせをすることを要求したのだ。フェルディナンも、他の隊員たちと身体を密着させた取っ組み合いをされるよりは自分が相手をした方がよほど安心できるため、両者の利害は一致した。
「よし。どこからでもかかってきなさい」
模擬刀を振りかざして、勢いよくフェルディナンに飛び掛かる。剣術部やオリヴィエ隊での訓練とは異なり、大声で叫びながら。
「女の匂いをまとって帰ってくるなんて……この、浮気者っ!」
さらりと躱われるが、そんなことは計算済みだ。訓練という名の、ストレス発散が目的なのだから。
「貴女も葉巻の匂いをつけたまま帰って来ただろう?」
「私はね、あなたと違ってオリヴィエ隊長たちと飲んでたんです!」
ガツンと刀同士がぶつかり合う。
「貴女の色香に男たちが色めきだっていたと報告を受けたが?」
「そんなこと知りませんっ。勝手なこと、言わないで!」
「婚約者に他所で色香を振りまいて貰っちゃ、困るんだがな?」
「そういうあなたは、昔の女と会っていたんでしょう?」
「……昔の女ではない」
「言い訳くらい、しなさいよっ!」
「だから、仕事だ!」
「へー、昔の恋人と夜の街を歩くなんて仕事が、国防軍にはあるんですね?」
「ルイーズとは、そういう関係じゃない」
「へえー、ルイーズさんっていうんだ。下の名前で呼ぶなんて、随分ですね?」
「不愉快な思いをさせたなら、謝る」
「ふんっ! スパイ容疑をかけられたお飾りの婚約者なんだから、今さら気を遣ってもらわなくても結構です!」
フェルディナンの刀を受け止め押し合っていたが、やはり力では叶わず、あっという間に埃っぽい土の上に押し倒された。
フェルディナンはローズの上に覆いかぶさり、「降参か?」と余裕の笑みを浮かべて聞いてくる。なんとか押さえ込まれた状態から抜け出そうともがくが、体格差のあるフェルディナンはびくともしない。
情けないが、完敗だ。情けない姿を晒すついでに、本音を漏らすことにする。
「金曜日。ほんとは仕事じゃなかったのでしょう? 私より、ルイーズさんに会う方が大事だった?」
「そんなわけがないだろう!? 私だって、ローズと出かけるのを楽しみにしていたんだ!」
「だったら……私のこと、愛してる?」
「っ、それは……」
ローズはフェルディナンに顔を近づけると、瞳を潤わせながら耳元でささやいた。
「正直なひと。……だったら、どうしてキスなんてしたの?」
「っ!!」
フェルディナンがはっと息を呑んだ瞬間、彼のみぞおちを思いっきり拳で突き上げ大きな身体を横に払う。
「っくっ……」
苦痛で横たわるフェルディナンに今度はローズが馬乗りになり、勝ち誇ったように腕を組む。
「この勝負、わたしの勝ちですね? こ~んな初歩的な罠に引っかかるなんて。国防軍は大丈夫なのかしら?」
「…………」
「ん? ……大丈夫ですか? 強く突き上げ過ぎたかしら。……呼吸は落ち着いてるみたいだけど。あれ? ……まだ痛みます?」
「…………」
「変だな……大丈夫ですか? ――まさか、図星だなんておっしゃいませんよね?」
「…………」
「えっ? うそっ!? ……最っ低!!」
「貴女もその気だっただろう?」
「なっ!! 私はね、酔っぱらってたんですよ? なんにも覚えてないんだから!!」
「覚えていないなら、してないのと変わらないじゃないか」
「変わりますよ!! ファーストキスだったんだから!!」
「……この前のは、口付けじゃない。あれだ、その……介抱の一環だ」
「何それっ!? ……もうっ、大っ嫌い!」
そう叫ぶと、ローズは大股で歩いて部屋へと帰っていった。
(ほんとは何となーく覚えていること、彼には内緒にしておこう)
「ファーストキス……嘘だろ? 結婚を夢見た男とは、してないのか?」
(そういえば以前、家族以外から顔に口付けされたのは婚約式が初めてだったと言ってたな。まさかあれ、本当だったのか?)
思わず唇を手の甲で覆う。
「旦那様」
いつの間にか庭先に来ていたティボーが声をかける。
「ご無体はいけません」
「……」
「それから、二人の掛け声が屋敷の中まで聞こえてまいりましたよ。仲が良いのは何よりですが、会話の内容にはお気をつけくださいませ」
「はぁ――。ティボー、この埋め合わせはどうしたらいい?」
「今日はお互い休日でしょう? デートにお誘いしたら如何ですか? 金曜のディナーのとき、お嬢様は旦那様のために服装やお化粧にも気を配って、髪の毛も下ろしていかれたんですよ。嫌っている相手にそんなこと、しないでしょう?」
「!!」
――朝練という名のストレス発散を終えたローズは、湯浴みを終えた後、食堂でフェルディナンと2人、朝ごはんを食べている。
「え? 今日の予定ですか? 今日は、街の本屋さんへ行って、今話題のカフェに寄って、時間があればユベール先生のところに顔を出そうかなと思ってますけど」
「私も一緒に行こう」
「はい?」
「本でもケーキでも、何でも買ってやる」
「お給料が入ったので、結構です」
「貴女は、公爵家の予算を全く使ってないだろう?」
「公爵家のお役に立てていないんですから、当然です。それともフェルディナン様は、合意なくわたしのファーストキスを奪った罪滅ぼしをしたいんですか?」
「っぐ」
深く反省している様子のフェルディナンがだんだん気の毒になってきた。
「分かりました。じゃあ……荷物持ちをお願いします」
「あぁ。任せてくれ。……それから、ルイーズとは10代の頃に潜入捜査で恋人役を演じていたから、実際もそういう関係だったと思い込んでいるやつらもいる。金曜は、事情があって私が対応せざるを得なかったんだ。……悪かった」
「そうでしたか」
(たしかに、フェルディナン様は女性に人気がある。わざわざ診療所までやってきて彼と昔関係があったのよ、と自慢げに言ってきた令嬢も一人や二人じゃない。
けれど、みな庇護欲をそそるような女性ばかりでおよそ彼の食指が動くようなタイプじゃなかった。正直、彼の名声と美貌と地位に魅せられて寄って来たものの、相手にされず去って行っただけの女性達のように感じられた。
ルイーズさんとの関係について、真偽のほどは定かではないけれど、金曜日の夜、私よりも早く帰宅して、湯浴みもせずに待っていたぐらいだもの。きっと、やましいことはないんでしょうね。
世間の噂ほど当てにならないものはないということは、身をもって知っている。彼が仕事だというのなら、信じよう)
こうして日曜日の昼下がり、二人は王都にあるメインストリートへ一緒に出かけることにした。
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