第70話 返品は受付けないからな(フェルディナン)

 フェルディナンは遠慮がちに私を抱きとめると、ベッドに腰掛けさせて泣き止むまで背中を撫でてくれた。いつもよりずっと砕けた口調のフェルディナンを前に、今まで理性でなんとか抑えていた感情が、タガが外れたように溢れてくる。


(わたし、フェルディナン様のこと、好きなんだ)


「……大丈夫か?」

「うん。……ありがとう」

「落ち着いた?」


 うん、と頷くと、上半身だけ服を脱いで背中を上にしてベッドに横になるように言われた。


「少しヒヤっとするぞ」

「っん!」


 フェルディナンが患部に氷水で冷やした布を当ててくれる。


「さっきの話だけど、ローズ、屋敷から出て行こうと思ってたのか?」


「うん。初めの約束だと、愛し合えるかを確認するための同居だったから、女として愛されないと分かった以上は、出て行かなきゃと思って。

 でもその後、スパイ容疑の監視目的って話が出てきたでしょ? だから、出て行くと却って迷惑なのかなって思ったりもして。どうしたらいいものか、考えてた」


「はぁ――。8つも年下の女の子に、安心させてやれない自分が情けない」


「フェルディナン様や公爵家の皆さんが私を大切にしてくれてるのは、ちゃんと伝わってるよ。本当に、感謝してる」


「感謝とか、そんなもん、要らないんだけどな……」


「ねぇ、フェルディナン様って、何歳まで背が伸びた?」

「あ? ん……そうだな、20歳くらいまでかな」

「じゃあ、私もまだ期待できるかな……」

「何が?」


「お胸、まだ大きくなる可能性あるよね? だとしたら、これからフェルディナン様が私のことを女性として意識するようになる可能性も、あるってことでしょう?」


「なっ、お前、何言ってんだっ!?」

「だって、好きなんでしょう? お胸が豊かな女性。……想い人も、そうだった?」


「は!? 俺がいつ、そんなこと言った?」

「え、違うの? だったら……あんまり勝算ないんだけど」


「あのなぁ。……ほんとに全然、伝わってないんだな」

「え?」


「ローズのことは、……ちゃんと、……ずっと前から、女として可愛いと思ってる。そういう対象として、見てる」


「えっ!? そうなの? い、いつから?」


 思わず上半身を起き上がらせてフェルディナンの顔を見上げる。


「おいっ!! こっち向くなよ。見えるだろ?」

「何が?」

「いいからっ、早く横になれ」

 肩を押されて再びベッドへ戻される。


 フェルディナンは、ローズの女性らしい曲線美にも目を奪われたが、それ以上に、なにより、ローズが婚約指輪をチェーンネックレスに通して首から下げている姿に衝撃を受けた。


(指じゃなくて、そこに付けていたのか? これまで、ずっと?)


 ローズはいつも大人の余裕を漂わせているフェルディナンの酷く焦っている様子が可笑しくて、こんなふうに若い学生同士のような会話ができることが嬉しかった。


(さっきからずっと、『俺』とか、『お前』とかって言ってる。18歳のフェルディナン様って、少しやんちゃな男子だったんだろうな)


「無理に答えなくても良いんだけどさ、彼とは、一緒になれないのか?」

「え?」

「結婚を夢見た男がいたようなことを、前に言ってただろ?」

「……うん。それは、無理なの」

「そうか」


 暫くそんな会話をしているうちに、背中の痒みも取れてきたので服を着て、そのまま同じベッドで眠りにつくことにした。


 向かい合って横になると、フェルディナンはローズの胸元に光る婚約指輪を手に取り、愛おしそうにそれを眺めた。


「これ、こうやって身につけてたのか?」

「うん。仕事柄、立て爪タイプの指輪はできないから」


「婚約式の日から、ずっと?」

「うん」


「……てっきり、気に入らなかったんだと思ってた」

「え?」

「何世代も前の古いデザインだし、好きな男から貰った指輪でもないだろうし」


「そんなふうに思ってたの? 私、あの日すごく感動したんだから。初めて男の人からもらった贈り物だったし。それにこの指輪、とっても素敵だから、こうやって心の一番近くに身につけてたの。でもこれ、気に入ってるから……返したくないなぁ」


「……返すなよ?」

「え?」

「ずっと持っててくれ」

「そうしたいのは、やまやまだけど」


「返品は受け付けないからな」

「……だったら、私のことも返品しないでよ?」

「ああ」

「ああ、って。……今の、冗談だからね?」


「なんでだよ。幸せな花嫁に憧れてるんじゃなかったのか?」

「っ!! それ、どうして知ってるの?」

「さあな」

「盗み聞きしたのね?」


「クレマンスとしゃべってるのが聞こえてきたんだよ」

「嘘ばっかり! もういいっ。もう寝る」

「怒るなよ。可愛い夢じゃないか」

「ふんっ。もう知らない」


(そんなのまるで、あなたのお嫁さんにしてくださいって言ってるようなものじゃない。恥ずかしくて死んじゃう)


 ローズはフェルディナンの高い体温を身近に感じながら、瞳を閉じた。

 2人の間には、拳3個分くらいの隙間がある。


「――考えてみれば、こういうの、ローズとが初めてだ」

「へー。ソウデスカ」

「ほんとだぞ? 朝まで一緒に過ごしたのは、ローズだけだ」

「ふーん。それは、貴重な初めてを、どうも」


「……信じてないな?」

「信じるわけないでしょう?」

「なっ!!」

「もう寝るから。おやすみ」


「ローズはこういうの、俺が初めてか?」

「……初めてじゃない」


(帝国で軍隊に配属されてた時、やむを得ず他の隊員たちと雑魚寝すること、何度かあったもん)


「なっ。誰だ、相手は?」

「……フェルディナン様の知らない人たち」


「例の、結婚を夢見た男か? って待て! 『たち』って何だ、『たち』って!! いったい、何人いるんだ?」

「しつこい。言わない。おやすみ」


 ローズはそう言うと、寝返りを打ってフェルディナンに背中を向けた。


「……マジかよ?」

 

 フェルディナンは苛立ちと落胆が混じったような声でそう言うと、「だったら遠慮はいらないな」と言って、ローズのお腹に腕を回し、背中を覆うように後ろから抱きしめた。

 拳1つ分どころか、隙間がないほどぴったりと身体を密着させて。これまで何度もしてきた添い寝とは明らかに異なる、特別な熱を心に灯しながら。


 ――10分後。

 先程からフェルディナンの吐息が首筋に当たってこそばゆい。


「くすぐったい」

「我慢しろ」


「……首筋に口を当てながら話すの、やめてよ」

「なんで?」

「くすぐったいから」

「慣れろ」


「だから、くすぐったいんだってば! もうっ、寝れないでしょ!?」


 振り返ってそう抗議すると、意図せずローズの唇がフェルディナンの鼻先にぶつかった。


「っ!!」

「お前っ、急に振り向くなよ。……キスしそうになっただろ」

「はあ? っ、なに言ってんの?」


「……してもいいか?」

「何を?」

「……キス」

「…………ダメ」


「なんで?」

「……明日、父様にどんな顔して会ったらいいか、分からなくなる」

「ぐっ……お前なぁ。今、それ言うか? まぁ、たしかにそうだけど」

「今夜だって、無断外泊しちゃって……。それだけでも、すごい罪悪感なんだから」


「それはっ……、俺がちゃんと謝るから。ローズは心配するな」

「ごめん」

「いいから。……そろそろ寝るか」

「うん」



「……だから、くすぐったいんだってば! 寝れないでしょ?」

「慣れろ」

「ちょっと。この腕、離してよ」

「嫌だ」

 

 その後も同じような問答を繰り返したが、結局、フェルディナンは朝までローズを離してくれなかった。


 翌朝は、昨日の雨もすっかり上がり、綺麗に晴れた。

 途中で父に手土産のお菓子を買い、その足で謝罪に向かった。


 目を赤く泣き腫らした私を見て、父はただでさえ迫力ある顔をさらに強張らせたが、菓子折りを手渡し仲直りしたことを伝えると、


「まあ、フェルディナンくんも反省しているようだし……これからはもっと2人で分かり合う努力をするように」


とかなんとか言って、フェルディナンだけを連れて別室に行ってしまったけれど、思ったよりも早々に2人を解放してくれた。


 本当は、背中を冷やしてもらっている途中からは酔いも冷めて、2人の会話の内容をしっかり覚えていることは、フェルディナンには内緒にしておいた。

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