第69話 18歳の頃の貴方に会いたい
「ん、ん……フェルディナン様?」
「ローズ? ……すまない。返事がなかったから、心配になって入った。女将さんが夕食を準備してくれているんだが、降りて食べれるか?」
「はい。準備したら降りていきます」
「分かった」
「あっ、でも。こんな格好でも大丈夫ですか? 上に羽織るものが何もなくて」
「ん?」
「ほら、前にお屋敷の廊下を寝間着姿で歩いたら怒られたから」
「あぁ。あれは、別に、怒ったわけじゃない。今夜は他に客もいないし、そのままで大丈夫だ」
「え? そうだったんですか? 分かりました」
フェルディナンが部屋を出て行くと、ローズは急いで髪の毛を梳かし、両サイドを緩い三つ編みにした。
女将さんが用意してくれていたのは、季節の野菜がたっぷり入ったポトフだった。
「初めてだな」
「え?」
「三つ編みした姿。若い女の子みたいだ」
「わたし、一応、18歳のうら若き乙女なんですけど……」
「ああ、そうだな。すまない。ローズと話してると、年の差を感じないから、つい」
「18の頃のフェルディナン様って、どんな感じだったんですか?」
「ん? 今とそれほど変わらないと思うが」
「少なくとも、眉間の皺はなかったでしょう? あと、その口調も。学友の皆さんといる時は、もっと砕けてるじゃないですか」
「自分ではよく分からん」
「若くして将軍になって……。苦労されたんでしょうね。嫉妬とか、やっかみとか。男の方が酷そうだもの」
「8年前に始まった北との大戦は中堅層に甚大な犠牲が出て、まだ若手だった自分たちが中心になって戦わざるを得なかったんだ。それに親父も、爵位を継ぐまでは将軍だったしな。偶然と親の七光でここまで来たのは事実だから、色々言われることは仕方ないと思ってる」
「私、いつも生意気なことばかり言ってますけど、ちゃんとフェルディナン様のこと尊敬していますから」
「ふっ。そうか? ……だが、ローズに言わせたら俺はヘタレなんだろう? 恋愛に至ってはポンコツとまで言われたぞ?」
「えっ!? そんな失礼なこと言いました? いつ? おかしいな……全く記憶にないんですけど」
「酔っ払ってたからな」
「ぐっ……すみません」
「いや。それはそれで、嬉しいんだ。対等でいてくれる相手は、貴重だ」
食後に、女将さんが「身体が温まるからね」と言って、レモンの輪切りを浮かべたホットワインを出してくれた。
良い感じに体がポカポカしてきて、ローズの口調がたちまち気安いものになってしまう。
「ねえ、今夜はお互い18歳の設定で話しませんか? 会ってみたかったんです、18の頃のフェルディナン様に」
「断る」
「どうして? 良いじゃないですか。どうせ私、酔っぱらっている間のこと、覚えてないんですから」
「同い年がいいなら、ローズが26歳の設定でもいいだろ?」
「それじゃ、いつもと変わらないじゃないですか。わたし、精神年齢はフェルディナン様とそんなに変わらないと思ってますよ?」
「ぐっ……。はぁー。分かったよ」
「ふふっ。18歳って言ったけど、今夜のフェルディナン様は、借りたお洋服のせいか……どちらかというと、父様っぽい」
「侯爵は、家にいても隙がない感じなんだろうな」
「え? 隙だらけですよ? 特に母の前では。甘えちゃって、大きな少年みたいだもん」
「はぁ――」
「どうかした?」
フェルディナンは今朝の顛末をローズに話した。
「ええっ!? 私が家出したと思って、実家まで行っちゃったの? 父はなんて? 大丈夫だった?」
「『ローズを見つけ次第、直ぐに戻ってこい!!』って言われたよ。……マジで怒ってた」
「それ、一番まずいパターンじゃないの!」
「クリストフにも同じことを言われたよ。しかも、今夜ローズと外泊したなんてことがバレたら、確実に消されるな……」
「だったら、明日は私も一緒に謝罪に行く。ブランジェリーナのお菓子を買っていけば、たぶん大丈夫。父はあれに目がないから」
「甘党なのか? 意外だな。全く想像できない」
「そうかな? 私や母にはいつも甘々だけど」
「たしかに。――よく13歳のローズを外国へ行かせたな」
「私が父を脅したから。許してくれないと、もう生きるのをやめてやるって」
「ふっ。……ローズによく似た娘が出来たら、苦労しそうだ」
「娘かぁ。そんな未来がきたら良いな、と思うけれど――」
「来るだろ? そういう未来。きっと」
「……どうだろ」
ローズは、願いを言葉にして、期待して、叶わなくて失望するのが怖くて、曖昧に笑ってごまかした。
結婚も、妊娠も、出産も、割と多くの女性が、人生の既定路線のように経験する出来事だと思う。
けれど自分には、その全てが高いハードルのように感じられる。
世間では難しいと言われている医師免許の取得も、軍医を専攻すれば国が資金援助をしてくれるし、勉強の方法論も確立しているから、時間をかけて正しい努力をすれば、達成できないことではない。
一方で、結婚や妊娠・出産は、努力が必ず実を結ぶとは限らない。ご縁や、神様のご機嫌次第という人知の及ばない要素が大きく関わってくるからだ。
(我ながら、なかなか拗らせてるわよね……)
食事を終えてそれぞれの部屋に帰ると、就寝準備をしてベッドに入った。
夜半過ぎから、窓を打つ雨音に加えて、遠くの方から雷鳴が聞こえてくるようになった。
馬で遠乗りをしたせいで、ローズは全身が筋肉痛のようになっていた。加えてこの雨だ。ただでさえ雨降りの日は古傷が痛むのに。
(まいったなぁ。こんな日に限って、痛み止めを置いてきちゃった。しかも、痒みまで出てくるなんて――)
15センチもある引き攣れた皮膚の傷だが、正直なところ、ローズはこれまであまりこの傷を意識しないで暮らしてきた。
でも今は、その事実が現実のものとして、重くのしかかる。
結婚するとなると、夫となる人に肌を見せずに暮らしていくことは不可能だからだ。この傷も含めて愛してくれる人でなければ、幸せな結婚生活なんて望めない。
(フェルディナン様は、この傷について何も言わないけれど。実のところ、どう思っているんだろう)
毛布にくるまってそんな事を考えていると、部屋のドアがノックされたような気がした。
「ん? ……雨の音?」
「ローズ? 俺だ。まだ起きてる?」
「!! フェルディナン様?」
何かあったのかと思い、慌ててドアを開ける。
「氷水を貰って来た。さっき、背中を掻いていただろう? 痒みが出てきてるんじゃないのか?」
(こんな夜中に。……この人は、いったい、どれだけ優しいんだろう)
「っ……ありがとう。すごく、助かる」
そう言って、大切なものを預かるように両手で氷水の入った桶を受け取った。
就寝のあいさつをしようとしたら、遠慮がちに「入ってもいいか?」と聞かれた。
「え?」
「俺に手当されるのは、嫌?」
「……嫌とかじゃないけど、醜いし。それに、同情とかされると、辛い」
「そうか。じゃあ悪いけど、入るぞ」
フェルディナンにしては珍しく強引にドアを開けると、部屋の中へ入って来た。
おもむろにフェルディナンが上着を脱ぎ始め、躊躇なくその逞しい上半身をローズの前に曝け出す。
「ちょっ、何してるの!?」
「18の時に負った傷だ。……醜い? 同情する?」
思いっきり首を横に振って否定する。
「ローズのだって同じだろ? お前が頑張って、生きてきたしるしだ。醜いだなんて思わないし、同情だってしない。強い女だなって、守ってやりたいなって、そう思うだけだ」
「っ……」
これまで、幾度となく『強い女』とは言われてきたけど、傷痕のことを、『頑張って生きてきたしるしだ』なんて言われたことはなかった。
同情するでも、励ますでもなく、過去を含めてそのままの自分を受け入れてくれたことが嬉しくて、泪が次々に溢れては落ちていった。
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