第63話 俺が、教えてやる(フェルディナン)
「……私は、ローズが大好きよ。きっと、その傷を含めて貴女を愛してくれる人に出逢えるわ」
「ありがとうございます。そうだと嬉しいです。実は、密かに憧れてるんですよ、幸せな花嫁になるの」
「フェルディナンは、ローズを大事に思ってる」
「大切にしてもらってるのは分かるんです。でも、跡継ぎの問題があるかもしれないと分かってて、身分ある方と結婚するのは、怖いんです。期待されて、応えられなくて、自分のことを価値がないみたいに感じてしまうのには、耐えられそうにないから」
「……私は3年頑張ってみたけど、子は出来なかった。このまま、離縁されるかも。この前のお茶会もね、学生時代の友人たちはみな出産していて、話題も子育て中心で。私だけ腫物扱いよ。……とても、惨めだった。あーぁ。今まで、努力して叶えられなかったものなんて、なかったんだけどなぁ」
「……クレマンス姉様、明日の夕方って空いてますか?」
「ええ、空いてるけど。どうして?」
「ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんです」
フェルディナンはそっと中扉のドアを閉めた。何がきっかけだったのか知らないが、仲の良い姉妹の会話にしか聞こえない。
(ローズは天然の人たらしだからな。知らないうちに姉が一人増えているじゃないか。それにしても……跡継ぎのこと、自分が思う以上にローズは気にしているんだな。神のご機嫌次第のような領域に、人間ができることなど限られているだろうに。
男の俺が気にするなと言ったところで、彼女の心が完全に晴れることはないのかもしれないが――)
翌日、ローズはクレマンスを診療所に連れて行くと、近所の子どもたちへ読み書きを教える教室の運営と、炊き出しの手伝いをお願いした。
子どもたちはクレマンスがきてくれたことに諸手を挙げて喜んだ。意外なことに、クレマンスは子どもの扱いがとても上手だった。長年、我が子をその胸に抱くことを夢見ていたからなのかもしれない。子どもたちを眺める彼女の瞳は、聖母のような慈愛に満ちていた。
それから2週間もする頃には、すっかり彼女の表情は柔らかくなって、久方ぶりに屋敷に戻ってきた公爵と公爵夫人を驚かせた。
診療所の外壁の落書き事件を漏れ聞いたクレマンスは烈火のごとく怒り、「そんな忌々しい記憶、さっさと美しい記憶で塗り替えてしまいなさい」と言って、子どもたちと外壁一面にそれは素敵な絵を描いてくれた。
それと並行するように、ローズはクレマンスの生理周期に応じて様々な婦人科の診察を行った。夫婦生活の際に出血や痛みを伴うという話を聞き内診したところ、すぐに親指大の子宮頸管ポリープが見つかり、クレマンスの同意を得て切除した。
それ以外に、今の医療技術で分かる範囲でクレマンスの妊娠機能に問題は見当たらなかった。
「ありがとう。ローズに診てもらって、安心したわ。これからは、焦らずのんびり待つことにする」
「本当はご主人も一緒に診察を受けた方がいいんですけど、男性には抵抗があるのかもしれませんね」
「西国に帰ったらね、夫とこういうことを話し合える関係を築きたいと思ってるの。もし、まだ間に合えば、だけど」
「西国に行く」ではなく「帰る」と言ったクレマンスの晴れ晴れとした顔を見て、ローズは彼女のこれからが明るいものになるであろうことを直観的に感じた。
(子どもができようとそうでなかろうと、クレマンス姉様は彼女らしく前を向いて生きていくんだろうな)
そしてローズの直観はそのまま現実のものとなる。翌週、西国からクレマンスの夫であるリンブルク公が自ら彼女を迎えに来たのだ。
クレマンスがはじめ、夫が愛人を囲い始めたと誤解したのには、
リンブルク公は、跡継ぎを望む自分の両親の直接的・間接的な期待がクレマンスを意図なく傷つけ、追い込み、そういったストレスが妊娠を遠ざけていることを感じ取り同居を解消すべく別邸の建設に着手したらしい。
けれど、クレマンスへそのことを打ち明けたなら、彼女は義両親に気を遣って断るだろうと考え、独断で工事を始めたそうなのだ。
クレマンスは公爵が迎えに来た3日後に西国へ帰ることになり、2人揃ってクレマンスの実家であるアルテーヌ公爵家のタウンハウスへと帰って行った。
そしてクレマンス達が帰国する前日、アルテーヌ公爵家で開かれた夕食会にフェルディナンの家族とローズが招待された。
ローズの席次は、フェルディナンとクレマンスの末弟であるアクセルとの間に決められていたのだが、口数の少ないフェルディナンとは対照的に、アクセルは何かとローズを気遣い色々と話しかけてくれた。いささかボディタッチも多かったけれど。
クレマンスの家族は、邸宅へと戻るフェルディナンの家族へ丁重に礼を述べた。敢えて聞きはしなかったけれど、クレマンスは実家との関係も改善できたようだった。
それからアクセルが意味深に微笑みながらローズへ二歩三歩と近づくと、唐突にフェルディナンがローズの腰を抱き寄せ、アクセルが言葉を発する前に、「悪いが、彼女は俺のだ」と言った。二人はそのまま睨み合うようなかたちで、暫くどちらも目を逸らさなかった。
アクセルは不意にフッと柔らかく瞳を細めると、「分かってますよ。これは、姉がお世話になった御礼です」そう言って、ローズにウインクをした。
「っ!!」フェルディナンが奥歯を噛みしめて、こめかみをピクリとさせる。
「ん? 御礼って、どういう――」
「ローズ! 聞かなくていい」
「え? 嘘でしょ? 今ので意味、分かんなかった? 姉が言ってた以上だな――」
アクセルが気の毒そうにフェルディナンを見つめるも、ローズは意味が分からないといったふうに「え? えっ?」と2人の顔を交互に見つめている。
クレマンスは、自分の気持ちに素直になれないフェルディナンと、フェルディナンの好意に気付けないローズにきっかけを与える目的でアクセルに願いを託したのだったが――。
その日の就寝前。
珍しくローズの執務室を訪ねてきたフェルディナンが「少し良いか?」と声をかけてきた。
「はい」
「一緒に、お酒を飲まないか?」
「良いですね。ちょうど金曜ですし。夕食会では控えてましたから」
「お? その箱は帰りしなにクレマンスから贈られた品か?」
「そうなんです。まだ開けてなくて。何だろう。ん?……これって――」
ローズが手にとって広げたのは、総レース柄のそれは官能的な夜着だった。
「あ、メモも入ってます。えーっと、『綺麗でしょう? ローズによく似合うと思って。フェルディナンも感謝してよね?』だそうです」
「なっ!!」
「これは……夏まで大切にしまっておかなきゃ」
「言っておくが、それ、夏服じゃないぞ?」
「え? こんなに薄い生地なのに?」
ローズは夜着を身体の前でヒラヒラさせながら、「でもこれって、下に何を着ればいいんだろう。このままじゃ下着が丸見えだし……ターニャに相談しなきゃ」などと一人つぶやいている。
「……ローズ。ターニャに相談しなくていい」
フェルディナンが額に手を当てながら瞳を閉じ、ため息をついている。
「え?」
「俺が、教えてやるから。その、あれだ。卒業するまで、その箱にしまっておけ」
「……まぁ、たしかに卒業するのは夏ですもんね」
「そういう意味じゃない――まあ、いい」
「ん? 変なの」
それから二人は場所を小サロンへ移し、食後酒を嗜むことにした。
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