第62話 弱さを知ってる、強い女性
無事に部屋割りが決まったものの、昼過ぎまで寝ていたローズは夜になってもあまり眠くならず、執務室で明日の授業の準備をすることにした。
深夜フェルディナンの寝室へと入ると、フェルディナンはすでに身体を休めていた。ローズのためなのか、サイドテーブルにある燭台にはキャンドルが灯ったままだ。
寝室の隅には、以前怪我をした時と同じように一人用のベッドが運びこまれていた。
(今回は防犯という目的もないし……こっちのベッドで寝た方が良いわよね)
音を立てないようにフェルディナンが寝ているベッドに近づき、キャンドルの灯りを消すと、そっと一人用のベッドの中に入った。小さく身体を折り曲げて、フェルディナンに背中を向けるように横になる。
「……眠れないのか?」
「起こしちゃいましたか? すみません」
「いや。私もさっき来たばかりだ」
「今日は昼過ぎまで寝てたから、あまり眠くなくて」
「あぁ。……今朝は悪かったな」
「いいえ。お二人、仲が良いんですね。呆れたけど、見てて面白かったですよ?」
「……こっち、来ないのか?」
「え?」
「嫌か?」
「嫌というか……実は今、月の障りで」
「痛みは?」
「大丈夫です」
「待ってろ。湯たんぽを持ってくる」
「いえ、もう遅い時間ですし、本当に大丈夫。クレマンス様を起こしちゃってもいけないし」
「じゃあ、手で温めてやる。……どうした? 来ないのか?」
「でも……(匂いとか汚れとか)色々、気になりますから」
「私は気にならない」
「でも――」
「共寝することを気にしてるのか? 今さらだろう? 遠慮するな」
フェルディナンにそう言われると、逆に意識している方が恥ずかしくなって、素直にフェルディナンのベッドに入った。背中越しにフェルディナンに抱きとめられ、たちまち深い安心感と安らぎに包まれる。フェルディナンの右腕がローズのお腹に回されて、下腹部に温かな手のぬくもりを感じる。
「からだ、大丈夫か?」
こくん、と頷く。
「昨日も夜勤だっただろ? その、あれは、もう治ったのか?」
「え?」
「前は10日も続いて、相当辛かっただろう?」
「あぁ、はい。それはもう、大丈夫。あの時とは違って、嫌がらせもなくなりましたし。それに、何かあったらフェル兄様が守ってくれるんでしょう?」
「ああ。すぐに言え」
「安心したせいか、おかげさまで周期も正常に戻りました」
「そうか」
「手、あったかいです。――フェル兄様は、良い旦那様になるんでしょうね」
「またか。はぁー。……ローズは、いつもそうだな」
「ん?」
「貴女の未来に、私はいないんだな」
「それはっ……だって、兄妹で
「もしかして、兄妹みたいなもんだと言ったこと、怒ってるのか?」
「前にも言ったじゃないですか、怒ってはないです。むしろ妹気分を満喫してますよ。今だって、幼い頃、兄にしてもらったみたいに添い寝してもらってますし」
「はぁー。……満喫しないでくれ」
「え? どうして?」
「……まぁ、いい。……ぜんぶ、俺が悪い」
フェルディナンが独り言のようにそう言ってローズの肩に顔をうずめるから、くすぐったくて仕方ない。
(私の前で自分のこと『俺』って言うの、珍しい)
「それに、クレマンスとの婚約話だってそうだ。ローズは嫉妬、しないんだな」
「しましたよ? あの指輪……他に受け取る予定の人がいたんだなぁと思って。6回も婚約してた自分が言うのは筋違いだと思ったから言わなかっただけです。本音を言えば、知りたくなかった」
「なっ、だから、彼女との婚約は周りが勝手に騒いでいただけだと言ったろう?」
「でも……指輪、見せたんですよね? 渡す気がないなら、見せたりしないでしょう?」
「私じゃない。あれは、母が管理してたから。私が初めて母から渡されたのは、ローズとの婚約が決まったときだ」
「そうなんですか?」
「あぁ」
「そっかぁ。――だったらあの時、チョコ食べとけばよかったな」
「ん?」
「ショックだったから。紅茶と一緒に出されたチョコ菓子、食べ損ねたんです」
「ふっ。……そうか」
「この前に頂いたチョコは、もう全部食べちゃったから」
「またいくらでも贈ってやる」
「ふふっ。ありがとうございます」
「さあ、もう遅いから寝よう」
フェルディナンが眠るのを促すように、ローズの髪の毛を優しく梳く。
「……男性から贈り物を貰ったのは、あの指輪が初めてだったんです」
「ん。……そうか」
「そうだ、今度はミルクチョコがいいです」
「分かった」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「……あとイチゴ味も」
「分かったから」
「アルコールが入ってるやつは――」
「ローズ?」
「ごめんなさい……」
ローズは不満気に「だってフェル兄様、チョコの味なんて知らないでしょ」とかなんとか言っていたが、暫くすると規則的な寝息を立てはじめた。
「はぁー。自業自得とはいえ、完全に兄君と同じポジションに立たされてるな……」
フェルディナンの深いため息が、冬の澄んだ空気に吸い込まれていった。
――1週間後。
仕事で暫く職場で寝泊まりしていたフェルディナンが夜遅くに帰宅すると、ティボーからフェルディナンの寝室のベッドとローズの寝室のベッドを入れ替えたと報告された。
「どういうことだ?」
「それが、ローズ様とクレマンス様が同じベットで寝ると言われまして。旦那様のベッドの方が大きいものですから、そうさせて頂きました」
「なっ。……クレマンスがまた我儘を言ったのか?」
「いえ。わたくし共も初めは驚いたのですが、今夜も仲良く一緒に夕食をとられておりました」
「今夜も?」
「はい。旦那様が留守の間、ずっと一緒に過ごしておられます」
「は? どういうことだ? ……少し、様子を見てくる」
フェルディナンが小サロンの中扉を少し開けると、ローズの寝室から2人の楽し気な声が聞こえてきた。
「えーっ、クレマンス姉様、そのネグリジェ、身体を冷やしませんか? それに、背中がばっくり開いていますよ?」
「あのね、結婚したらこんなものよ? 夫を喜ばせるのも、妻の務めなんだから」
「えーっ!? じゃあ、西国では毎晩、そういうのを着ているんですか? 妻も大変ですね」
「そうなのよ? ま、さすがに毎晩ってわけじゃないけどね」
「へぇー」
「ローズにも似合うと思うわよ? 着てごらんなさい。フェルディナンも喜ぶわよ?」
「着てみたいけど……わたし、背中に傷があるんです。だから、そういうデザインのものはちょっと」
「そうなの? どこ? 全然、分からないわよ?」
「見ます?」
「ええ。貴女がいいのなら」
「いいですよ。減るもんじゃないし。……ほらっ」
「……触ってもいい?」
「はい」
「痛くない?」
「雨降りの時に痛むくらいです」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るんですか?」
「貴女のこと、誤解してたみたい。苦労知らずのお嬢様だとばかり――」
「その通りですよ? 実家は資産家だし、家族仲も良いし、婚約者もその家族も優しくしてくれるし」
「……フェルディナンは、良い
「え?」
「貴女なら、彼とうまくやっていけるんでしょうね」
「私にフェルディナン様のお相手は分不相応ですよ。婚約の経緯はご存知でしょう?」
「ええ。王命だと聞いたけど」
「私はクレマンス姉様が羨ましいです」
「羨ましい? どうして? 私だって典型的な政略よ?」
「そうだとしても、相手方に乞われて、必要とされてお嫁にいったんですよね? 私の場合、婚約したのは愛されたわけでも、乞われたわけでもないですから。しかも、今回で7回目ですよ?」
「7回目っ!?」
「やっぱり、驚きますよね?」
「……彼と結婚する気はないの?」
「これ、刀傷なんですけど、結構深くて。妊娠や出産の機能に障害がないとは、今の医学では言い切れないんです。これまでの婚約も、それが原因で。まあ、私だって願い下げの相手だったんですけどね?」
眉尻を下げて苦笑いをするローズを見て、クレマンスは思わず彼女を抱きしめた。彼女に掛ける言葉が見つからなかった。けれど、ローズが愛おしいと思った。
(「弱さを知っている、強い女性」。それが彼女で、そんな彼女にフェルディナンは本能的に惚れたんでしょうね)
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