第61話 痴話喧嘩は勘弁してください
クレマンスは翌週から、フェルディナンの両親が住む本宅の客間に滞在することになった。全員が邸宅にいるときには一緒に夕食をとることになったが、フェルディナンは相変わらず多忙で、ローズも冬の流行り病で夜間の急患が増えたことから、あの日以来、一度も5人で食事を共にしていない。
――そんなある日の朝。
ローズが夜勤を終えてフェルディナンの邸宅へと帰って来ると、何やら怒号が飛び交っている。声の主は、フェルディナンとクレマンスのようだ。
「いったい、どういうつもりだ!?」
「おじ様もおば様も不在だから、貴方の邸宅に泊まらせてもらっただけよ」
「だから、どうしてローズの寝室を無断で使った?」
「だって貴方の婚約者、仕事ばかりで全然帰ってこないじゃない」
「夜間の急患に対応してただけだ。それに、本人や俺の許可もなく泊まるなど、言語道断だ!!」
「良いじゃない! どうせ彼女、居なかったんだから」
「そういう問題じゃない! ローズに失礼だろう? ……ティボーやターニャは気づかなかったのか?」
「申し訳ありません。クレマンス様がいらした頃には、もう失礼しておりまして」
「護衛は何をやっていた?」
「それが……大旦那様の了解は得ていると言われたそうで――」
「父が承諾するわけがないだろう? 何を考えているんだ。それに、この屋敷の主は私だ」
「大変申し訳ございません。護衛には、厳しく言い聞かせておきます」
「それで、ローズの寝室はどうなってる?」
「はい、ローズお嬢様が戻られる前に、整え直します」
「急いでそうしてくれ。――クレマンス。これ以上、ここで勝手をするなら出て行ってもらう。いいな?」
「何よ。……本邸には誰もいないの。一人で眠るのは心細いのよ」
「だからと言って――」
「朝から痴話喧嘩するの、止めて頂けます? 大声が徹夜明けの頭に響いて痛みます」
右手でこめかみを押さえながらウンザリした表情のローズが食堂に顔を出す。
「ローズ! 帰ってたのか? ……おかえり」
「ただいま戻りました」
「言っておくが、これは痴話喧嘩ではない! 彼女は単なる幼馴染で――」
「私は悪くないわよ!」
「悪いに決まってるだろう!? 勝手に――」
「はぁー。いい大人が2人もそろって何やってるんですか! お屋敷のみんなが戸惑ってるの、分からないんですか? 大きな声が玄関先まで聞こえてきましたよ? 迷惑です!」
「っ……」
「……知らないわよ、そんなこと」
「とにかく、わたしはもう休ませていただきます。……あぁ、朝食は要らないから大丈夫よ。まったく、この騒ぎでお腹いっぱいだわ」
「ローズお嬢様、寝室を整えますので、少々お待ちいただけますか?」
「なら私の寝室を使うといい。もう仕事に行くから。浴室も自由に使え」
「じゃあ、フェルディナン様の寝室で休ませてもらいます。ターニャ、昨夜は完徹だったの。昼過ぎまで休ませてもらうわね」
「はい、お疲れ様でございました。湯浴みとお着替えの準備をいたします」
「ローズ様。後ほど、お部屋へ軽食を運ばせます。少しでも召し上がった方が寝付きも良いでしょうから」
「そうね、お願いできるかしら。どうもありがとう。まったく。……この屋敷でまともなのは、働いてくださっている皆さん達だけみたいね」
「ああ、そうだ。フェルディナン様、行ってらっしゃいませ」
ローズはポスンとフェルディナンの胸に飛び込むと、背中に手を回しながら「これやっとかないと、後から面倒なのよね……」などと失礼な小声をつぶやいている。
それから隣に立つクレマンスにも抱きついた。
「クレマンス様もよい一日を。……うーん、良い匂~い」
その後、呆気にとられている2人を残して覚束ない足取りで階段を登って行った。
「……何なの? さっきの。抱きつかれたんだけど……。匂いも嗅がれた気がする」
「ローズは毎朝、見送りの際にあれをするんだ」
「は? 何それ、貴方たち、そんなのやってるの?」
「……悪いか」
「まるで夫婦じゃない。……私でもやらないわよ、あんな恥ずかしいの」
「契約だからな」
「そのわりには、満更でもない顔してるわよ?」
「……」
「ま、気持ちは分かるけど。それとなに? 彼女、本当に18なの?」
「あぁ。少なくとも精神年齢は俺達より上だろうな。眠い時と、酔っぱらってる時は地が出るんだ」
「あっちが地なの? ……貴方が振り回されるのも無理ないかもしれないわね」
「はぁー。とりあえず、ローズの寝室からは昼までに出ていけ。親父たちは暫く留守にするそうだから、部屋割りは今夜3人で話そう。俺はもう仕事に行く」
「そう、大変ね。……悪かったわ、朝から騒いだりして」
「ふっ。反省してるなら、ローズに謝っておけ」
「言われなくても分かってるわよ」
「……ならいい」
フェルディナンの寝室に入ると、微かに彼の残り香がした。ターニャが手際よく湯浴みの準備をしてくれ、徹夜明けの身体を清めると、軽食をとってからベッドに身体を沈めた。
どうやら湯浴みをしている間にシーツを取り換えてくれたようで、清潔な石鹸の香りに、少しだけ残念な気持ちになる。
自分の寝室を勝手に使われたことに、普通なら憤るのだろうけれど、ローズは不思議とクレマンスを責める気持ちにはならなかった。自分もフェルディナンに保護されている身なのだ。自分はスパイの容疑者兼妹的な存在で、彼女は幼馴染。似たようなものだ。
誰もいない本邸の客間で眠る心細さも、理解できる。敷地が広い分、孤独が余計に深まるのだろう。それに……彼女の境遇は、どこか自分に重なるところがある。
「クレマンス様も、色々と拗らせてるみたいね」
昼過ぎに目覚めると、ベッドサイドにローズの着替えが用意されていた。サッと顔を洗い、着替えて階下へ降りていく。クレマンスは出かけているらしく、自分のためだけに昼食を用意してもらうのも憚られて、使用人達と一緒に厨房で昼食を頂くことにした。
「頂きます。んー、美味しいっ。いつもありがとう」
「恐縮です」
「よくお休みになれましたか?」
「ええ。ぐっすり眠ったから、疲れも取れたわ。それで、クレマンス様はお出かけになられたの?」
「はい。今日はご友人宅でのお茶会に誘われているらしくて、昼前にお出かけになられました」
「そう」
「あの……昨夜は申し訳ございませんでした。まさかローズ様の寝室を許可なくお使いになるとは思ってもおりませんでして」
「良いのよ。本邸に一人で眠る心細さは理解できるから」
「そういう問題ではございません!」
「外国の公爵家へ嫁いだクレマンス様は、色んな苦労をされたと思うの。学生だった私でさえ、外国暮らしは本当に大変だったから。……せめてここに滞在している間くらい、居心地良く過ごして貰いたいの」
「ローズ様……」
「なんて。女主人でもないのに、出しゃばってごめんなさい。でも、これが私の本心なの。だから、みんなも私に気を遣わなくて大丈夫よ」
「今夜からの寝室は、どう致しましょう?」
「それについては、今夜3人で話し合うわ」
「かしこまりました」
――その日の夜。
フェルディナンとクレマンス、ローズの3人で食卓を囲むが、明らかにクレマンスの表情が優れない。友人宅でのお茶会の話題について話を振ったものの、無難な反応しか返ってこない。
食後の紅茶を頂いているとき、フェルディナンが寝室の割り振りについて話を切り出した。
「両親が帰ってくるまでだが、ローズの寝室をクレマンスが使っても良いだろうか?」
「私はもちろん良いけれど、ローズ様はどうするの?」
「ローズは俺と一緒に、俺の寝室で休む」
「え?」
「俺のベッドはローズのベッドよりも大きいから、2人一緒に寝ても十分広い」
「そういう問題なの? ……貴方たち、まだ婚約期間中でしょう?」
「問題ない」
「ローズ様は? それで良いの?」
「平気です。私は何処でも寝れますので」
「そういう事を聞いてるんじゃないんだけど。……天然なの?」
「え?」
「ローズは、そういうところ鈍いんだ」
「え? どういうところ――」
「なるほどねぇ。……貴方が少し気の毒になってきたわ」
「え? えっ?」
2人の会話に全くついていけていないローズだが、とりあえず今夜の部屋割りについては合意に至った。
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