第60話 受取るはずだった婚約指輪

「――どういう風の吹き回しなの? 彼女、どう見てもまだ子どもじゃない」

「学生だからな。ローズは普段から香水はつけないし、学校があるときは化粧もしない」


「ふーん。そんなお子さま相手で、貴方、満足できるの?」

「何がだ?」


「夜の相手が務まるのか、ってことよ」

「なっ!! 彼女は、そういうのじゃない!」


「そうなの? ……昔の貴方からは想像できないけど」

「っ、何なんだ、どいつもこいつも……」


「それで彼女の制服。あれ、医学アカデミーのよね?」

「ああ。ローズは医学生だ」


「……貴方、ずいぶん女の趣味、変わったのね? あんな真面目そうな優等生、一番避けてたじゃない」

「別に、変わってなど――」


「ふふっ、今夜の食事会が楽しみだわ」

「おい。一応言っておくが、苛めるなよ?」


「なによ、怖~い。保護者気取りなわけ? ああそうだ、兄貴気取りだったわね」

「……」


「ああいう、何の苦労も知らなさそうなお嬢さんを見るとね、ちょっかいを出したくなるのよ。少しくらい良いでしょう? 年増女の退屈しのぎくらい、大目に見てよ」

「ローズは、そういう女じゃない」


「ふーん。もう絆されちゃってるわけ? ま、初々しい制服姿の少女と毎日暮らしてればそうなるか。男子校だった弊害ね」

「勝手に言ってろ」


「ふんっ」

「それにお前、まだ若いだろう? 年増なんて言うな」

「……何よ。哀れな女みたいに扱わないで」

「……」


――その日の夜。

フェルディナンの両親が住む本邸で5人が食卓を囲んでいるのだが、何やらクレマンスのご機嫌が麗しくない。


――遡ること2時間前。

ローズは私室に戻った後、侍女に言われるがまま湯浴みをし、鏡台の前に座らされた。


「お嬢様、今日はクレマンス様を招いてのディナーですので、腕によりをかけて仕上げますね」


「クレマンス様って、フェルディナン様の幼馴染なのね。華麗な雰囲気の素敵な方だったわ」


「ええ。クレマンス様は、アルテーヌ公爵家のご令嬢なんですよ。何年か前に西国の公爵家に嫁がれたんですけれどね。さあ、ローズ様も華麗に変身いたしましょう? きっと、驚かれますよ?」


 何に驚くんだろうと疑問に思いながらも、ターニャに任せておけば大丈夫なことを知っているローズは、先程からされるがままになっている。


 ターニャが選んだのは、オフショルダーのマーメイドラインのドレスだった。高貴な印象のロイヤルブルーの生地にあしらわれたレース柄が、ローズの繊細な女性らしさをうまく引き出してくれている。ローズが歩きやすさを重視して入れたスリットだったが、意図せずエレガントな大人の色気を演出するのに一役買うことになった。


 ローズは身長170センチメートルを超える長身だが、その身丈と同様、お胸の発育も良い。

 もっとも、軍医を目指し部活動で剣術の鍛錬をしているローズにとってそれは利点にはならない。俊敏な動きをするには、少々邪魔になるからだ。そこで、放課後に剣術の稽古をするときには胸にサラシを巻いている。そのため、クレマンスが「子ども」と表現したのは、あながち間違っていないのだ。


 そして、ローズは何と言っても顔立ちが端正なので、少しアイメイクをして頬と唇に紅をさすだけで一気に成熟した雰囲気になる。


 というわけで、今、目の前に座っているスタイル抜群の艶やかな美女と、先ほど挨拶を受けた制服姿の少女とが同一人物と思えないクレマンスは、妙齢の女性が自分だけではないことに少々苛立っているのだ。


 夕食の主な話題は、クレマンスの近況だった。彼女はローズより6つ年上の24歳で、18歳の時に西国の公爵家嫡男と婚約が結ばれ、3年間の準備期間を経て今から3年前に嫁いだという。


 アルテーヌ公爵家とヴァンドゥール公爵家とは昔から家族ぐるみで交流があり、年の近いフェルディナンとは幼馴染として育ったらしく、会話の様子から公爵や公爵夫人ともかなり近しい関係性であることが伝わってきた。


 今回は気分転換を兼ねての帰国だそうで、王都の中心部にあるホテルに宿泊しているとのことだった。彼女は機知とユーモアに富む女性で、食事会の間、ローズは専ら聞き役に徹していた。


「クレマンスは王都にどのくらい滞在する予定なの?」

「はっきりとは決めていないのですが、2か月くらいでしょうか」


「まあ、そんなに長い間滞在するのなら、ホテルじゃ何かと不便でしょう? うちで良かったら、空いている客間があるから自由に使っていいのよ?」

「本当ですか? おば様」


「ええ。貴方のことは、亡くなった貴女のお母様から託されていたから。隣国に嫁いで、色々苦労もあったでしょう? ここでゆっくり疲れを癒していくといいわ。ねえ、あなた?」

「そうしなさい。遠慮はいらない」


「……ありがとうございます」

「使用人にも伝えておくから、日にちが決まったら知らせてちょうだいね」


「はい。……それで、フェルディナンは、隣の別邸で寝泊まりしているの?」

「ああ」


「ローズ様も一緒に?」

「そうだ」


「まあ! 婚約期間から同棲だなんて、知らない間に王国もずいぶん進歩的になったのね」

「同棲じゃない。同居だ」


「そうなの? ということは、2人は恋人関係じゃないの?」

「……違う」


「じゃあ、どういう関係?」

「……兄妹みたいなもんだ」


 微妙な空気を含んだ沈黙が食卓を覆う。

 それを払拭するように、公爵がゴホンと咳払いをする。


「それなら、私も別邸でお世話になろうかしら?」

「何を言ってるんだ!?」


「ローズ様も、フェルディナンが全く相手をしてくれないんじゃ、寂しいでしょう? 話し相手がいた方が楽しいでしょうから」


 ローズがクレマンスの棘のある発言に特に反応することもなく、曖昧に微笑んでいたら、ヴィクトワール夫人がすかさず角が立たないように窘めてくれた。


「あいにく別邸には客間がないの。それに、既婚者の貴女をフェルディナンの邸宅に滞在させるわけにはいかないわ」

「……そうですわね。ごめんなさい」


 クレマンスがローズに直接話題を振ったのは、食堂からサロンへ場を移し、食後の紅茶を頂いている時だった。公爵と公爵夫人は、すでに私室へ戻っている。


「そういえばその指輪。……懐かしいわね」

 

 クレマンスは、ローズがフェルディナンの前では婚約式ぶりにはめた、左手の薬指に輝く婚約指輪を見ながらそう言った。


「え?」


「ヴァンドゥール公爵家子息の婚約者に贈られる指輪。ビクトワール夫人が先代夫人から受け継いだ指輪はコンスタンス様が身に付けているけど、それとはまた別のものよね。昔見せてもらった時には……てっきり、私が身に付けることになるものだと思ってたけど」


「クレマンス!?」


「本当のことでしょ? 北との大戦がなければ、私たち婚約してたんだから」

「そうはしなかっただろ」


「……まあね」

「昔話など、お前らしくないな」


「っ、私らしくないって何よ?」

「お前はいつも、前しか向いていなかった」


「知ったようなこと、言わないでよ!」

「無関係のローズに当たるな!」


「誰がよっ!」

「先程から彼女に失礼な態度を取っている事に気付かないのか?」

「なによっ。……気分が悪いから、先に失礼するわ」



「――クレマンスのこと、すまなかった。不愉快だったろう?」

「いえ」

「はぁ―。……なんだか疲れたな。帰るか」

「そうですね」


 2人は歩いて隣の敷地にある別邸へと帰ることにした。当たり前のようにフェルディナンが上着を脱いで、ローズの肩にかけてくれる。


「ありがとうございます」

「ん。……靴、歩けるか?」


「はい。今夜はそんなに高くないヒールを選んだので、大丈夫です」

「そうか。だが足元は暗いからな。……手、つなぐか?」

「そうですね。転んで怪我しちゃう前に」


 ローズが素直に手を差し出すと、フェルディナンはローズの親指を自身の手で包むように手を繋いだ。


 温かな安心感に包まれながら、ぼんやりとオレンジ色の灯りに輝く別邸を眺める。

 手入れの行き届いた庭園とお屋敷。

 よく働く使用人。

 絵に描いたような幸せな家族が住んでいそうな家だ。


(……『兄妹みたいなもんだ』かぁ。そりゃ、そうだよね。そうなるよね。彼は何も間違ったことは言っていない。それに……この指輪。受け取る予定だった女性が、他にいたんだなぁ。妹気分を満喫しようと決めたばかりなのに、早速、こんなことで揺らいでしまう。何て脆い決意なんだろう――。


 それと今夜のクレマンス様。終始、饒舌で明るく振る舞っていたけれど、どこか無理をしているような感じだった)


 3年の婚約期間中、西国の言葉や文化、次期公爵夫人としての教育を受け、3年前に西国の公爵家に嫁いだものの未だ子どもはいない。久しぶりの帰国にも関わらず、実家にも寄らず王都でホテル暮らし。

――そこから推測できる彼女の境遇に、ローズは自身の未来を重ね合わせ、深いため息をついた。


 隣で深いため息をつくローズを、心配そうにフェルディナンが眺める。


「……クレマンスの話だが、正式に婚約の話が出ていたわけじゃないんだ。お互い、家柄と年齢が見合う者同士ということで、周りが勝手に騒いでいただけだ」

「……気にしていません」


「そうか。そうだな。ローズは、いつもそうだ」

「え?」


「いや。何でもない」

「?」

 今度はフェルディナンが深いため息をついた。

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