第59話 婚約者になる予定だった女性

 その日フェルディナンは、騎士学校時代の同期で親友のロベールや職場の仲間たちと一緒に、最近人気のレストランで慰労会を兼ねた夕食をとっていた。


 夕方から降り始めた雨のせいで、雨宿りを兼ねた客も混じり大変賑わっている。

 先ほどから、シガー室から戻って来た部下の一人が、ソワソワと落ち着かない。


「おいグザヴィエ、どうした?」

「それが将軍……どうしましょう」

「何が?」

「さっき、シガー室へ行く途中ですごい美人を見かけたんです。常連なのか、支配人と親しそうに話をしていて。声をかけようか迷っていまして――」


「連れはいないのか?」

「それが不思議なんですけど、一人でカウンター席に座ってたんです。あんなに綺麗なのに女性一人って、珍しいですよね?」


「なんだよお前。そんなの、誘ってくださいって言ってるようなもんじゃないか。 行って来いよ!」

 ロベールが発破をかける。


「ですが……ちょっと近寄り難い雰囲気だったんですよ。誘ってる感じじゃなくて」

「ふーん。じゃあ、俺が見てきてやる」

そう言って席を立ったロベールだが、暫くすると興奮気味に帰って来た。


「……マジで美人だな。色気も半端ない。でもあれは、やめておいた方がいいな。絶対、後ろに金持ちの爺がついてるぞ。俺たちみたいな騎士や軍人なんかを相手にするような女性じゃない。悪いことは言わないから、諦めろ!」


「……」

「なんだよフェルディナン。無視シカトか? いいからお前も見てこいよ」

「行かん。興味ない」

「将軍、お願いします。俺でも相手をしてくれそうな女性かどうか、見てきてくれませんか?」

フェルディナンはロベールと部下たちに乞われて、仕方なく席を立った。


 カウンターには、1組の男女が腰かけていた。


「あいつらが言ってたのは……あの女性か?」


 斜め後ろから見ただけで、高貴な出自を持つ女性であることが伺えた。身に纏う上質なワンピースは、彼女の美しい身体の曲線を際立たせ、雨に濡れた髪の毛が、艶っぽく輝いている。男を誘う空気など微塵も纏っていないが、彼女の華奢な背中は年齢に似合わぬ憂いを帯びている。


 隣に座っているのは父親と同じくらいの年頃の男性で、見るからに上等な服に身を包んでいる。


(ん……ヌヴェール公爵? たしか、年頃の娘はいなかったはずだが。……だとすると愛人か? ロベールの勘もあながち外れていないな)


 カウンターの向こう側にいた支配人も加わり、3人で会話をし始める。さりげなく隣を通るふりをして、彼女の横顔をチラと見やる。


「……クレマンス?」

「フェルディナン!? ……久しぶりね」

「こんなところで、どうした? 里帰りか?」

「ま、そんなところかしら。偶然、公爵とお会いしてお話ししていたの」


「ヌヴェール公爵閣下、ご無沙汰しております」

「フェルディナン卿、久しぶりだね。この度は、ご婚約おめでとう。素敵なお嬢さんと縁を結べたと、父君から聞き及んでいるよ」


「恐縮です」

「!? ……フェルディナン、貴方……婚約したの? 何も聞いてないけれど」

「事情があって、表立っては公表していない」

「ふーん。そうなの」


「食事はもう済んだのか?」

「もともと食前酒だけの予定だったの。そろそろ失礼するわ」

「実家のタウンハウスに滞在しているんだろう? 迎えの馬車はあるのか?」

「まさか。……貴方のことだから、私の噂は聞き及んでいるのでしょう? 王都のホテルに滞在してるのよ」


「夕食がまだなら一緒にどうだ? 職場の仲間もいるんだが――」


 フェルディナンは公爵と支配人に挨拶をし、クレマンスを自分たちのテーブルへと案内した。さりげなく上着を脱ぐと、クレマンスの肩にかける。


「何? 別に寒くないわよ?」

「服が濡れてる。いいから、着てろ」


 グザヴィエやロベール達が口を半開きにしながら、気安い2人のやり取りを眺めている。


「幼馴染のクレマンスだ。クレマンス、こちらは同じ職場のグザヴィエ、秘書官のラファエル、事務の――それから、ロベールのことは知ってるよな?」

「はっ? クレマンス!? あの、クレマンスか? 西国に嫁いでいった? ……随分、大人っぽくなったな」

「後ろについてるのは金持ちの爺だったか? お前の勘も当てにならんな」

「悪かったよ」

「……将軍?」

「ああ、残念だがグザヴィエ。彼女は、既婚者だ」


「えー!? じゃあ、クレマンス様はアルテーヌ公爵令嬢でいらっしゃるんですか?」

「元、ね。3年前に西国に嫁いで、一応、立場的には向こうの公爵家の若奥様よ?」

「それで、将軍とはどういうご関係なんですか?」

「そうねぇ。フェルディナンとは幼馴染だけど、婚約直前までいった仲なのよ?」

「本当ですか?」

「……周りがそう騒いでいただけだ」


「それで、貴方の婚約者って、いったいどんな女性なの?」

「……学生だ」

「あら、まだ子どもじゃない」

「それがさ、なかなかどうして、手強い女性なんだぜ? 『フェル兄様』なんて呼ばれてさ。案外、お前の方が彼女に振り回されている感じだよな?」

「おいっ! ロベールお前、飲みすぎじゃないか?」

「良いだろ別に。今夜は慰労会なんだから」


 ロベールとは一度、彼の婚約者とローズとを引き合わせる目的で、邸宅で一緒に夕食をとったことがある。

 その日は偶然金曜日で、お酒が入った地のローズと対面したロベール達は、フェルディナンと対等に気安く言葉を交わすローズに瞠目した。不本意ながらフェルディナンは、「お前のあんな顔、初めて見たよ」と今でもロベールにからかわれている。


 ともに18歳の2人はすぐに意気投合したようで、後日、「フェル兄様のおかげで、お友達ができました」と嬉しそうに頬を緩めたローズからお礼を伝えられた。


(可愛かったな、あの時のローズ。ああいうところは、ほんとに素直なんだよな)



 賑やかな食事会も終わり、フェルディナンは公爵家の馬車でクレマンスをホテルまで送って行くことにした。


「実家には帰らないのか?」

「ええ。公爵家はもう兄が継いでいるし、あそこに私の居場所はないもの」

「夫君とはどうなんだ? うまくやっているのか?」

「……3年子どもができない女はね、用無しなのよ。別の場所で愛人を囲いはじめたみたいだし。そのうち、離縁されるんじゃないかしら」


「兄のところだって、甥のシモンが産まれるまで4年かかったんだ。珍しいことじゃないだろう?」

「それはね、妻が夫に愛されている場合よ。私は……愛されて嫁いだわけじゃないから」


「クレマンスが帰国していること、夫君は知っているのか?」

「手紙は置いてきたけど。関心のない妻が邸宅からいなくなったところで、何も感じないんじゃないかしら。今頃、愛人とよろしくできて喜んでるかもね」


「ちゃんと話し合ってないのなら、分からないだろう? 早計に決めつけるな」

「……」


「それで、これからどうするんだ? いつまでもホテルにいるわけにはいかないだろう?」

「わかってる。落ち着いたら、考えるわ」

「……」



――その二日後。

剣術部の活動を終えて学校から帰宅すると、珍しくフェルディナンが執務室で仕事をしているというので、帰宅の挨拶に向かった。


 扉をノックして入室すると、ゴージャスな雰囲気をまとった貴婦人がソファーに腰掛けていた。


「あら、可愛らしいお客様ね?」

「ローズ、紹介する。幼馴染のクレマンスだ。クレマンス、婚約者のローズだ」


「クレマンス様。お初にお目にかかります、ローズと申します」

「あら、貴方がフェルディナンの婚約者?……クレマンスよ。宜しくね」

「今夜は、クレマンスを誘って両親も一緒に本宅で夕食をとることになってるから、また後で話そう」

「はい。失礼致します」

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