第54話 優しい夢

 その後、レストランの支配人がローズたちのテーブルまで挨拶に来てくれて、食後酒として甘いデザートワインをサービスしてくれた。


支配人に婚約者だと紹介され戸惑いを感じるローズに、フェルディナンは「私たちの再出発を祝って乾杯しよう」と言った。


 再出発って……10日ほど家出していただけなのに、大袈裟だな、と思った。

 けれど、拭え切れなかった婚約の経緯が明らかになってスッキリしたし、その経緯を知った上でなお、彼や公爵家のみんなが自分を温かく受け入れてくれたことが嬉しかった。


 たちまちローズの頬がドレスと同じ色に染まり、口調が気安いものになっていく。


「さっきの話ですけど、私、闘ってないわけじゃないんです。理不尽に攻撃してきた人たちには、法的措置を取りました。王宮裁判所からの召喚令状が届いたのは、私が原告となって彼女達を傷害罪と名誉毀損罪と器物損壊罪で訴えたからです。

 でも、裁判は時間がかかるから。判決が出るのは卒業後、婚約を解消した後だろうから、敢えてフェルディナン様には相談しなかったんです」


「……それ全部、一人でやったのか?」


「もう成人していますから、父様の承諾がなくても原告になれるんです。薬の製剤特許を取得した時から懇意にしている弁護士さんがいて、その方にも協力頂きました。証人はたくさんいましたし」


(薬の製剤特許? また知らない情報が入って来たな。……まあいい、今大事なのはそこじゃない)


「ローズが泣き寝入りしているわけじゃないのは分かったが、裁判所が令嬢達の罪を認めたところで、勝ち取れる慰謝料など微々たるものだろう? どうせ親が払うんだろうし、彼女達にとっては痛くも痒くもないんじゃないか?」


「慰謝料などオマケみたいなものです。それよりも、彼女達が行った行為が犯罪であると国家が認めることに意味があるんです。実刑を免れたとしても前科者になるわけですから、その記録が消えることはありません。


 いざとなったら、彼女達が結婚するときや、子どもが生まれたとき、その子どもが結婚するときに、この女は、あなたの母親は、こんな最低な事をやった人間なんだと言って、未来永劫、子孫まで巻き込んで罪を反省してもらおう、って。……実際にやるわけじゃないけれど、そう思うくらいには頭にきてるんです」


「くくくっ。さすがはあのモンソ―侯爵の娘だな」


「現実的な対応は、フェルディナン様やお義父様がしてくださると思っていましたから。私は長期戦でいこうと決めたんです」


「……公爵家が動くことを見越していたのか?」


「だって、フェルディナン様も、公爵様も、身近な人が傷ついたり苦しんでいる姿を黙って見ているような方じゃないでしょう? 守ってくれると信じていましたから」


「――貴女には敵わないな」


「それでも、自分にスパイ容疑がかけられているなんて思いもしなかったですけど。家を追い出されるとも思わなかったし」


「あれは、ローズが勝手に出て行ったんだろう? 俺は追い出してなんかないぞ?」


「私が好きで出て行ったとでも思ってるんですか? ターニャは数日おきに会いに来てくれたのに、フェルディナン様は10日間、一度も顔を見せに来てくれなかったじゃないですか。薄情な方です」


「……私だって、仕事帰りに診療所に寄ってた」


「え? いつ?」


「……行ける時は毎日。行けない時は、秘書官のラファエルに様子を見に行かせていた」


「えっ!? うそっ……」


「貴女のことが心配だったんだ。だが、2階の窓辺に佇んでいるローズはいつも美味しそうに夕飯を食べていたから……大丈夫だと思ったんだ」


「何それ……。声くらい掛けてくれたらよかったのに」


「どういう顔をして貴女に会えばいいのか、分からなかった」


「ほんと、フェルディナン様ってそういうことになると、ヘタレですよね?」


「なっ! そういう言葉を使うんじゃない!」


「気になるの、そこですか?」


「まったく。ローズが淑女の鑑だなんて、誰が言ったんだ」


「……そんな事、誰も言ってないと思いますよ? フェルディナン様の心の声じゃないですか?」


「馬鹿なことを言うんじゃないっ!」


「私のこと、そんな風に思ってたんですか? なんだか照れちゃう」


「何を言ってるんだ。だいだい貴女は――」


「ほんとうに照れ屋なんですから」


「なっ!」


 兄とも、同僚とも、同級生とも異なる、ローズとフェルディナンだけの関係。恋人同士のような甘さはないけれど、フェルディナンとのこうした気安いやり取りが心地良かった。



――そして、その日の夜。

 ローズは優しい夢を見た。

 髪を梳かすように頭を撫でられ、「一人で背負うな。側にいるから」と言われた気がした。


 過去の経験から、人間関係――殊に男女関係については相当拗らせている自覚はある。けれど、フェルディナンの不器用ながらも決してブレない優しさに、雁字搦めになっていた心の糸が少しずつほぐれていくのを感じた。

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