第53話 一緒に闘ってやるから(フェルディナン)

 その日学校から帰ってくると、すでに湯浴みの準備が整えられていた。

 

 フェルディナンが一連のお詫びにレストランへ連れて行ってくれるそうなのだが、本当はスパイ容疑に少なからず傷つき、動揺した私を励ますために計画してくれたもののような気がした。


 その日ターニャが選んだのは、秋桜こすもす色のオフショルダーのドレスだった。

 大柄のレースが品良くあしらわれたトップスがローズのすらりと伸びた首筋からデコルトまでを美しく見せ、光沢感のあるシャンタン生地のスカートが彼女の内面の優雅さを絶妙に引き出してくれている。


 そこはステーキが有名なお店で、フェルディナンは故意に人目につきやすい窓際のテーブル席を予約していた。通りを行きかう人々の視線を浴びながら食事をするのがなんとも気恥ずかしかったが、あっという間に食事の美味しさに心を奪われる。


「貧血には、赤身のお肉が良いんだろう? ここのは質が良くて、私のお気に入りなんだ」


 婚約の経緯を知ってしまってからというもの、「フェル兄様」と呼ぶことにためらいを感じていたローズだが、フェルディナンが行きつけのお店に連れてきてくれた、こういう特別感に、ローズはたちまち嬉しくなってしまう。


「本当に旨そうに食べるな。……元気そうで、安心した」

「色々とご心配をおかけしました」


「……懐かしいな」

「?」


「ここ、初陣だった北の大戦から戻って来たとき、親父が連れてきてくれた店なんだ」

「18のときの?」


「あぁ。よほど酷い顔をしていたんだろうな。赤身の肉を食えって言われて」

「大きな怪我でしたものね」


「……仲間もたくさん失ったから、気落ちもしていて。親父が、柄にもなく色んな話をして笑わせてくれた」

「そうでしたか……」

 

 言葉はなくとも、ローズは当時のフェルディナンの心情を十分に察することができた。自分も前世、同じような辛い体験をしてきたから。


 最後のデザートを食べているとき、フェルディナンが少し照れた様子でピンク色のリボンがかかった長方形の箱をローズへ差し出した。促されるままに開けてみると、色んな形や色のチョコレートがぎっしりと詰まっていた。


「わぁ。すごい。宝石箱みたい!……ありがとうございます。とっても、嬉しい」


 ローズの好きな色は、ピンク。好きな食べ物は、チョコレート。知ってくれていたことが意外で、嬉しくて、思わず涙ぐむ。


「チョコレートは、ストレスや疲れに良いらしいから」


「毎晩、一つずつ頂くことにします。うふふ。寝る前の楽しみができちゃった」


「……それから、セギュール侯爵令嬢と診療所までやってきた令嬢達へは、公爵家として正式に抗議をしておいた。彼女達は来シーズンの社交界には出てこないから、心配しなくていい。

 あと、診療所の外壁に落書きをした男の身柄は、今日の夕方、騎士団に引き渡された。黒幕が誰かも、近いうちに分かるだろう」


「……どうして?」


「診療所での騒ぎ、なぜ言ってくれなかった?」


「……公爵家の権力を笠に着て、自分の問題を収めるのは嫌だったんです」


「意地を張ってる場合じゃないだろう? 私たちは婚約しているんだ。貴女だけの問題じゃ済まないし、放置することでかえって被害がエスカレートすることもあるんだぞ? それに……世間の評判は、医師にとっては死活問題だろう?」


「別に意地を張ってたわけじゃ――」


「やられたら倍にしてやり返さないと、ああいう輩は更に卑劣な手段でこっちを潰しにかかってくるんだ。貴女は放置しておくつもりだったんだろうが、私は絶対に黙認したりはしない。公爵家としても、何もしないという選択肢はあり得ない」


「公爵家まで醜聞に巻き込んでしまって、申し訳ありません。フェルディナン様にも悪評が立っていないといいんですが……」


「私の場合、悪評は有益でしかない。それに軍隊で習わなかったのか? 仲間を信頼し頼ることも大事だと。婚約者を守るのは私の役目だし、両親だって、貴女のことはもう娘だと思ってるんだ」


「仲間に頼るのは、死力を尽くした後だと習いました。私はまだ闘えます。……それに、背中を預け合うほどの信頼関係を、私たちは築けていないでしょう?」


「っ……それは、私の落ち度だ」


「だったら、どうしてそんなに怒ってるんですか?」


「怒っているわけじゃない!」


「……その口調。眉間のしわ。……絶対に怒ってますよね?」


「それはっ……ローズが闘おうとしないからだろう? 貴女が医師になるためにどれほどの苦労を積んできたのかくらい、素人の私でも容易に想像できるんだ。だから、貴女の努力を冒涜するような奴らは、絶対に許さない。なのに……どうして貴女は、自分が大事にしていることのために闘おうとしないんだ? 医師として自立することは、ローズの人生にとって、すごく大事なことなんじゃないのか?」


「っ……。わたし、卒業後もこんな事が続くようなら、王国を去る覚悟はできてるんです。ここじゃなくても医師としてはやっていけますし、私自身のことだけでいえば、暫くの辛抱だから、平気です」


(卒業後に彼との婚約が解消されれば、嫌がらせも減るだろうから……)


「嘘を言うな。診療所に落書きがされた日、泣いてたんだろう? ……ターニャから聞いた」


「それはっ……傷ついたから。悲しかったし、悔しかったし。一人でいる時に泣くぐらいは、許されるでしょう? それも、迷惑になりますか?」


「っ、そんなこと言ってないだろう? それに、『暫く』とかいうな」


「だって……卒業後はお互い、他人に戻るんですから」


「将来のことは分からないだろう? それに、今は私の婚約者だ。貴女に起きたことは、2人の問題なんだ。だから、今後誰かに何かをされたり言われたりしたら、教えてくれ。いいな?」


「……でも」


「ローズが強い女性だということは知ってる。本当は自分で対処できることも。だが、婚約者が蔑ろにされているのに何もできないのは、辛いんだ。一緒に闘ってやるから、理不尽さを黙って受け入れるような真似は、もうするな」


「……分かりました。これからは、もっと頼ります」


「そうしてくれ。……約束だからな?」


「わたし……フェルディナン様がうんざりするくらい、頼ってしまうかもしれませんよ?」


「しっかり者の貴女が甘えてくれると、安心するんだ。それに、何度も言ってるだろう? 貴女はぞんざいに扱われていい女じゃない。貴女を傷つける輩は、誰であろうと迷いなく排除する」


(なぜだろう、この人の前では平静を装えなくなる)


 泪がポロリポロリと零れてしまって、それを無造作に手の甲で拭う。


「ローズは意外に泣き虫なんだな」

 フェルディナンは眉尻を少し下げた穏やかな顔でそう言うと、ハンカチで目元を拭ってくれた。

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