第52話 想いをのせて置いていくような

 笑っているのにどこか泣きそうな顔をしているフェルディナンを見て、なんとか雰囲気を変えたくて、わざと子どもっぽい態度をとる。


「それはそうと、やっぱり父と密約してたんじゃないですか! こんな好条件の婚約、何か裏があるに違いないって思ってたけど。酷いですよ、みんなして私を欺いて」


「すまなかった」


「……まあ、こんな機密情報、言えませんよね」


「……」


 覚悟を決めて、フェルディナンの深い海色の瞳を正面から見つめる。


「検閲みたいな真似をしようとしたのは、スパイ容疑をかけられた私の監視目的からですか?」


「ああ。気は進まなかったが、任務上、仕方ないと思った。……ローズには、失望されただろうな」


「いいえ。フェルディナン様は職務に忠実なだけです。それに結局、開封してなかったじゃないですか」


「……屋敷に戻って来てくれないか?」


「監視対象として、ですか?」


「っ、違う! そう誤解されても仕方ないとは思っているが。みんなも、ローズの帰りを待っている」


「戻れません。私がいると、みんなに迷惑をかけてしまいますから」


「私は、ローズに戻って来てほしい」


「……たしかに、スパイの容疑者が逃げ出したなんてことが公になれば、大目玉を食うんでしょうけれど」


「っ、そうじゃない。そうじゃなくて……ローズが居ないと、屋敷の中が冷え冷えとするんだ。食事のときなど、大時計の音しか響かない」


「何ですか? それ。それに、スパイの容疑者を監視するための婚約だったなんて。お義父様やお義母様に申し訳なくて、とてもじゃないけど公爵家のお世話にはなれません」


「自分で言うのもなんだが、両親はあれで本質を見極める目がある人達だ。婚約の経緯を知ったうえで、それでもローズを娘だと思っているぐらいなんだから、そんなことは気にしなくていい」


「そうは言っても……公爵家のお役に全然立てていないですし」


「ローズがいると屋敷の中が明るくなるんだ。使用人達も、貴女が越してきてからの方が楽しそうに働いている。両親だって、私の不在時に貴女と食事ができるのを楽しみにしているくらいなんだ。だから、戻ってきてくれ」


「っ……そこまでおっしゃってくださるなら、戻ってあげても……いいですけど」


「じゃあ、決まりだな。これから戻ろう? 荷物はどこだ?」


「3階の仮眠室。でも……黙って出て行ってしまったから、今さらどんな顔して戻ったらいいのか分かりません」


「ローズが不在なのは、医学アカデミーの合宿という事にしてある。本当のことを知っているのはティボーとターニャだけだから、普段どおり戻ってくればいい」


「でも、本当に良いんですか? 私がいると、みなに迷惑がかかります」


「――ローズは私の仕事を知っているのか?」


「え? 国防軍の東の将軍……ですよね? もしかして、それも違うんですか?」


「違わない。切った張ったの、血生臭い毎日なんだ。18の頃からずっと、な。貴女にかけられる迷惑など、可愛いもんだ。もっとも、私も、両親も、屋敷のみんなも、迷惑だなんて少しも感じていないがな」


「本当に? 迷惑じゃない?」


「だからそう言っているだろう? また聞いたら怒るぞ」


 フェルディナンが出来の悪い妹を慈しむ兄のような眼差しで力強くそう答えてくれて、はじめて少し、安堵できた。


(わたし、まだ、ここに居てもいいんだ)


「スパイ容疑のこと、使用人の中で知っているのは?」


「ティボーだけだ」


「……忘れられない女性がいる、というのは? あれも嘘?」


「あれは……嘘、ではない」


「そうですか」


 何か他にもっと話したような気もするが、あんまり覚えていない。スパイ容疑の監視目的だとしても、王命による不本意な婚約だとしても、フェルディナンの想い人が見つかるか私が学校を卒業するまでは別邸に居ても良い、という事に変わりはないだろうから。


 その日はフェルディナンが用意した公爵家の馬車で、邸宅へと帰った。いつもは向かいに座るフェルディナンが、今夜に限っては隣に腰をかけた。彼の高い体温が直接肌に伝わって来て、何とも言えない居心地の悪さと、大きな身体に守られている安心感と、相反する感情が交互にやってきて、ちっとも落ち着かなかった。


 お屋敷に着くと、馬車から下りるのを手伝ってくれたフェルディナンがエスコートするみたいにスッと腕を差し出した。


「緊張しているんだろ? 指先が冷たい。大丈夫だから。不安なら掴まってるといい」


 フェルディナンの腕に縋るようにして緊張した面持ちで玄関へ入ると、ティボーが一瞬驚きで目を見開いた。それから、すぐに目を細めて「お帰りなさいませ。ローズお嬢様、合宿、お疲れ様でございました」といつものように微笑んでくれた。

 

 ティボーの声を皮切りに、次々と使用人のみんなが顔を出しに来てくれて、ターニャの顔を見た途端、不覚にも泣いてしまった。


 屋敷のみんなからは、そんなに合宿の内容が厳しかったのですか? と驚かれてしまった。どうやら本当に、ティボーとターニャ以外は私が合宿に参加していたと思っているようだった。


 フェルディナンは就寝前にローズの寝室までわざわざ様子を見にくると、ベッドの端に腰かけた。何となく寝付けなくてヘッドボードにもたれて膝を抱えていたローズの肩に手を置くと、ローズの瞳を覗き込みながら「自分の不在時に何かあれば、遠慮せず隣の敷地に住む両親を頼るように」と告げた。


「はい。そうします」

 

 ローズが素直にそう答えると、安心したように立ち上がった。


 それから、ふと思い出したようにベッドに再び腰かけると、大きな手でローズの両頬を包み、「余計な心配はするな」と言って、はじめて頬に口付けを落とした。


 両親や兄達にされるのとはまるで違う、想いをのせて置いていくような、そんなキスだった。


(不精髭、わざわざ剃ってきてくれたんだ。前におでこにキスされたとき、髭がすれて赤みが差しちゃたからかな。……こんなに優しい人なのに、東の将軍だなんて。きっと、苦労も多いのでしょうね)

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