第55話 婚約者は想い人を探しに…

 霜月。

 アステリア王国では秋に一年の豊作に感謝する長期休暇がある。毎年この時期ばかりは、学校も病院も公的機関も全てお休みになる。


 ローズは婚約してから初めて迎える長期休暇をフェルディナンと一緒に過ごすことを少しだけ期待していたのが、そんな乙女心は早々に裏切られることになる。


 騎士団の休憩所にいたとき、フェルディナンの噂話を耳にしたのだ。


「ドゥ・ヴァンドゥール将軍、毎年、秋の長期休暇に想い人を探しに行くんだよな」

「かれこれ7、8年になるんじゃないか? 派手そうに見えて、案外一途だよな」

「そうか? 見るたびに違う女を連れてるって、専らの噂だけどな」

「ここ数年は、そういうこともないんじゃないか?」

「さすがに将軍職に就いたら、自制するんだろ」


 普段、フェルディナンが長期休暇を取れないことは知っている。本来は休暇の日でも、休めない日が続くことだって珍しくない。そんな彼が、毎年この時期、長期休暇を利用して想い人を探しているのだ。


 改めて、彼の想いの深さを知る。


 その夜、フェルディナン邸で2人は夕食を一緒にとっていた。


「ローズ。もうすぐ長期休暇があるだろう? すまない。私は前々から決まっていた予定があるんだ。その……一緒に過ごせなくて悪いんだが」


「そうですか。……何処かへ出かけられるんですか?」


「あぁ。1週間程、王都を留守にする」


「そうですか。楽しみですね」


「貴女は? 何か予定あるのか?」


「実は、同級生が所有する別荘に遊びに来ないかと声をかけられていまして。行ってきても良いですか?」


「誰と何処に行くんだ?」


「ナヴァル王国から来ているアーサー先生が、カポラに別荘を持っているらしくて。クロエとアレクサンドルも一緒に誘われているんです」


 カポラはアステリア王国の最南端にある港町で、温暖な気候ということもあり、秋休暇をそこで過ごす貴族も少なくない。カポラ海峡を越えた向こう側にはアーサーの故郷であるナヴァル王国がある。


「……悪いが、それは許可できない」


「えっ!? どうしてですか?」


「異性と一緒なのは、ダメだ」


「異性って……アーサーとアレクサンドルのことはフェルディナン様もよくご存知ですよね? 往復の旅路もあちらでの部屋だって、もちろん別々です。アーサーのご家族も滞在しているそうだし、侯爵家の侍女兼護衛を務めていたサラを同行させますので、ご懸念しているようなことはありません。……もし信用できないのなら、公爵家の護衛を付けて頂いても構いませんから」


「……悪いが、即答はできない。ローズの父上とも相談させてくれ」


「分かりました。宜しくお願いします」


(自分は想い人を探しに行くくせに。私は異性がいるからという理由で同級生と旅行もできないなんて。不公平じゃないかしら? それに、3人のことはフェルディナン様にも紹介していて、邸宅で夕飯を一緒にとったことだって何度もあるし、今回はアーサーのご家族もいるんだから、変な心配なんて要らないのに。でも……初めてアーサーをフェルディナン様に紹介したとき、二人の間にすごく重たい空気が流れたのよね。顔見知りみたいだったし。もしかして、アーサーのこと、あまり良く思ってないのかしら?)


 ――2日後。

 フェルディナンから「ローズの父上とも話したが、やはりカポラ行の件は許可できない」と言われた。


「すまない。今度、休暇が取れた時に連れて行くと約束するから」


(嘘ばっかり。カポラまでは馬車で片道2日かかるのに。そんなに長い休暇、貴方が取れるわけないじゃない!)


「フェルディナン様の貴重な休暇は、ご自身のために使ってください。私は、卒業したらいつでも行けますから」


 それとなく、婚約期間が終わったらいつでも自由に何処にでも行けるんだから! と言ってやった。


「……どうして、カポラなんだ?」


「海を見てみたいんです。海峡に沈む夕日を、見てみたい」


「それだけか?」


「……それだけじゃ、いけませんか?」


「いや。すまない」


「女友達となら、何処かに出かけても良いですよね?」


「あぁ。その場合も、詳細を必ずティボーに伝えておいてくれ。それと……公爵家の侍女と護衛を付けることは許してくれ」


「……分かりました。私、よほどフェルディナン様からの信用がないんですね。やっぱり、スパイ容疑をかけられるような女だからですか?」


「っ、そんなこと、言ってないだろう?」


「言っているようなものじゃないですか。それに……ご自身は、一人じゃないんでしょう? 女性と一緒? まあ、私が口をはさむことじゃないですけど。だったら、私も自由にさせてもらいたいです」


「……すまないが、それはできない」


「謝ってほしいわけじゃないんです。公正じゃないって、不満に感じるだけです。子どもの愚痴だと思って聞き流してください」


「……」


「だんまりだなんて、フェルディナン様らしくないですね?」


「すまない」


(私に対して何か後ろめたいことがあるから、謝るんでしょう? 公正な人だと思ってたのに、何だか裏切られた気分)


 ローズはその日を境に、朝晩の送迎時も、就寝前にも、形式上の挨拶はしてもハグをするのはやめた。


(貴方に心は許さない)


 女の意地みたいなものである。


 そして日々は過ぎ、明後日、フェルディナンが旅立つという日の夜。


 ローズは浴室の明かりも灯さず、月明りだけを頼りに湯浴みをした。

 視覚からの情報が多すぎると、どうしても心の中が見えにくくなってしまう。

 ぬるま湯に浸かりながら、なぜこんなにも心がささくれ立つのか、自分に問うてみる。


(私は、フェルディナン様からわたしの存在を、自由を……軽く扱われたように感じたことに傷ついたんだわ。でも。身に覚えはないけれどスパイ容疑がかけられてるんだ。自由なんて期待しちゃいけないのかもしれない。


 それに――彼は初めから、想い人がいることを打ち明けてくれていた。謝ってばかりのフェルディナン様を見て、彼らしくないって苛立ったけれど。本当は、彼を彼らしからぬ人へと変えてしまう、彼の想い人に対して苛立ったのかもしれない。だとしたら、完全に八つ当たりね。……まさか、これが世にいう嫉妬ってやつなのかな?

――いずれにしても、弁えていないのは、私の方だ)


 翌日。

 ローズは料理長にお願いして、厨房の一画を貸してもらった。明朝、フェルディナンへ持たせるお弁当を作るためにだ。


 ここ2週間ほど、彼とは殆ど口をきいていない。彼を邪険に扱ったことの言い訳が次から次へ頭に浮かんでくるのを払いのけながら、一心にフェルディナンの好物をこしらえていく。そして、真心とともにそれらをお弁当箱へ詰めた。


 翌朝、普段より早く起きたフェルディナンがティボーに見送られて屋敷を出て行くその背中へ、ローズは声をかけた。


「フェルディナン様」


「!? ローズ? どうした、こんな早朝に」


「いつものお見送りです。旅のご無事と幸運をお祈りしています」

 そう言って、お弁当を手渡した。けれど、母に教わった微笑みはうまく貼り付けられなかった。


 フェルディナンは驚きで目を見開いたあと、眉尻を少しだけ下げて微笑むと、ローズの身体を引き寄せた。互いの心音が伝わるくらいきつく抱きしめられて、思わずフェルディナンの顔を見上げようとするが、太い腕でがっちりと固定されていて、身動きができない。


「ありがとう。大切に頂く。ローズ……すまない」

「謝罪はもう結構ですから。ご無事なお帰りをお待ちしています」

「あぁ。行ってくる。……帰ってきたら、一緒に食事に出かけよう」

「……行ってらっしゃいませ」


 今度食事に行こう、なんて社交辞令を鵜呑みにするほど、おめでたい頭はしていない。そんな体のいい軽い言葉、彼の口からは聞きたくなかった。


(これから他所よその女のところへ向かうくせに)


 馬に乗ったフェルディナンの背中が小さくなっていって、いつもはそのまま屋敷の外へと姿を消すのに、その日は、門のところでこちらを振り返った。


 彼の表情までは分からなかった。

 けれどそのとき、彼から蔑ろにされているわけではないのだという事が伝わってきて、なぜか涙が出そうになった。


(わたし、少し卑屈になっていたのかもしれない)


 結果として、ローズは姉のアントワネットの嫁ぎ先であるモンパンシェル公爵家が所有する領地へ遊びに行くことにした。


 第三子となる産まれたばかりの赤ちゃんに対面し、姪っ子や甥っ子と一緒に野山を駆けまわり、義兄や姉に甘やかされて久しぶりの末っ子気分を堪能し、心が満たされたところで王都へ帰ることにした。

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