第49話 決別

 その日フェルディナンが屋敷に戻ると、ティボーが手紙類を束ねて執務室を訪ねてきた。


「どうした?」


「旦那様。ローズ様宛に書簡が届いているのですが、どう処理いたしましょうか? 例の件もございますし――」


「見せてくれ。……王国裁判所からの召喚令状? 何か面倒事にでも巻き込まれているのか? それでこちらは……オストリッチ帝国のカストゥーリャ公爵家の封蝋? ということは、リカルド殿か。彼から文が届いたのはこれが初めてか?」


「はい。少なくとも、ローズ様がこちらへ越してこられてからは今回が初めてです」


「――そうか。手紙は、私から彼女へ渡しておく」


「かしこまりました。……中身を改めるのですか?」


「気は進まないけどな」


「……そうですか」


「気になることでもあるのか?」


「いえ……。カストゥーリャ公爵家からの書簡ですが、ローズ様は秘密裡に連絡を取ろうと思えばご実家や診療所の住所も使えるところを、わざわざこの邸宅の住所を教えているのですから、やましいことは何もないのだろうと思っただけです」


「そうだな。私もそう思う。……事情があるだけに対応が難しいな。彼女を傷つけたくは、ないんだがな」


「そうでございますね。……旦那様の心中、ご察し致します」



 その日の夜、フェルディナンはローズを執務室に呼んだ。


「貴女宛てに手紙が届いている。一つは、王国裁判所からの召喚令状で、もう一つはリカルド殿からだ」


「そうですか。ありがとうございます」


「――私が開封して、中身を改めてもいいか?」


「え? 何か不審な工作がされた痕跡でもあるんですか?」


「いや。そうではないが、この屋敷に住んでいる以上、貴女の状況を把握しておく必要があるんだ」


「それは、危機管理という意味からですか?」


「そうだ」


「でしたら、王国裁判所の召喚令状は見て頂いても問題ありません。ですが、こちらのカストゥーリャ公爵家から届いた手紙、この筆跡はヴェロニカ夫人のものです。夫人は私以外の者に開封される事を想定して文を書いていません。中身を改めることはお控えください」


「申し訳ないが、それはできない。やましい事がないのならば、問題はないだろう?」


「そういう問題ではありません。これは、信頼関係の問題です。私とヴェロニカ様の。そして、フェル兄様と私の」


「中身を改めたところで、悪用することはないと誓おう」


「婚約者だったら、相手宛ての書簡を検閲するような真似をしても許されるとお思いですか? 国防軍では通用しても、私にはそんな常識、通用しません」


「私の屋敷に住んでいる以上、悪いがこれは譲れない。分かってほしい」


「一緒に住んでいるのは、お互い愛し合う関係になれるかを知るためでしょう? 相手の私的領域を尊重できない相手と、そんな関係、構築できるわけがないじゃないですか」


「貴女を信頼していないわけじゃない。だが、貴女の周囲で起きていることは把握しておく必要があるんだ。分かってほしい」


「私の周囲で起きていることで必要なことは、ちゃんとフェル兄様に報告しています」


「そうか。どうやら私は貴女からよほど信頼されていないようだな」


「え?」


「令嬢たちの嫌がらせ。ティボーから報告を受けた」


「それは……私個人の問題ですから」


「私たちは婚約しているんだ。貴女個人の問題なわけがないだろう?」


「っ、話をすり替えないでください。――どうしても手紙の中身を改めるとおっしゃるのであれば、私はここに住み続けることはできません」


「子どもみたいな事を言うな。それとも……それほど私に読まれると困ることでも書かれているのか?」


「それは……読んでみないと分かりません。ただ、今回のような一方的なやり方は納得できないし、信用されていないんだと思うと傷つきます」


「貴女が手紙を読んだ後に、それを見せてもらうというやり方でも、応じられないか?」


「私が申し上げているのは、そういう形式的な事ではありません。聡いフェル兄様ならお分かりですよね? 手紙をお見せすることはできませんが、純粋に私的な事柄以外のことについては内容を共有すると約束します」


「……すまないが、それでは承諾できない」


「どうやら、平行線のまま、話し合いの余地はないようですね」


「だいたい、王国裁判所からの召喚令状とはどういう事だ? 何か紛争にでも巻き込まれているのか?」


「気になるのなら、検閲でも何でもすれば良いじゃありませんか。私の事は信用できないのでしょう? でしたら、どうぞお好きに。私も好きにさせて頂きます」


「はぁー。どうして貴女はそう問題を大きくするんだ?」


「大きくなんてしていません。これは、私にとって、大切な事柄なんです。フェル兄様は異なる価値観をお持ちのようですけれど」


「……好きにしろ」


「そうさせて頂きます」



 その日の夜遅く、ローズは荷物をまとめて使用人が出入りする裏口から屋敷を出た。黙って出て行くなんて、子どもじみた真似だということは自分だって分かっている。

 けれど、もう限界だった。


 令嬢達からの度重なる嫌がらせに心を抉られながらもそれに対処しつつ、学業と仕事をこなす毎日なのだ。最近はそれに加えて、公爵夫人と一緒にお茶会にも顔を出している。


 身体も心も、悲鳴を上げそうなのだ。

 邸宅にいる間くらいは、自由と信頼を感じて安らぎたかった。


 公正な人だと思っていたフェルディナンから、彼の付属物のように扱われたことが悲しかった。自分宛に届いた私的な手紙に目を通されるなんて……。一度でもそういう行為を許してしまうと、もう対等ではいられなくなる。信頼もできなくなる。そんな相手に、愛情なんて芽生えるはずがない。


 これだけは、譲れない。


 それに――ヴェロニカ様からの手紙には、本当に彼に知られたくない内容が書かれているかもしれないのだ。


 ローズは歩を緩め、怒りに任せて歩いてきた道を振り返った。暗闇にフェルディナンの邸宅がぼんやりと浮かんでいる。


 ほんの数か月前に越してきたばかりなのに、今ではこの温かなお屋敷がすっかりローズの居場所になってしまった。この身一つでやって来たのに、いつの間にここでの暮らしをこれ程までに愛おしく感じるようになったんだろう。


 本当は、心身が悲鳴を上げる前に助けを求めるべきだと知っている。こんな状況になるまで自分を追い込んだのは、自業自得だとも――。


 ローズは、後ろ髪を引かれる思いで、フェルディナンと決別する道を選んだ。

 今すぐ婚約を解消する覚悟までは出来なかったが、暫くは彼の顔を見たくないと思った。


 ローズが屋敷を去ったことをフェルディナンが知ったのは、翌朝になってからだった。慌てた様子のターニャが、フェルディナンにローズの姿が見えないと訴えるが、フェルディナンもティボーもまるで予期していたかのように、固く口を閉ざし、何も言わない。


 その翌々日の朝、寒々とした食堂にローズの遣いの者が残りの荷物を取りに来たことが知らされた。フェルディナンは、遣いの者に十分なお金を支払うと、荷物の引取はしばらく待ってほしいと伝え、そのまま帰してしまった。

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