第48話 婚約を解消するぞと脅されて――

 その日は診療所の日勤を終えて邸宅へ戻ったものの、そのまま湯浴みをして眠ることにした。


 夜勤が続き寝不足だったことに加えて、診療所までやって来る令嬢達の嫌がらせが追い打ちをかけ、体調が優れない。ここ数日は食欲もなく、フェルディナンの両親が住む本邸にも顔を出していない。


 ローズが職場まで会いに来た日以来、初めて邸宅へ戻って来たフェルディナンだったが、ローズが食事もとらずに寝ていると聞き、そのままローズの寝室へと向かった。


「ローズ? 入るぞ?」


 廊下から声をかけるも返事がないためそのまま寝室へ入ると、ローズは両腕でお腹を守るようにして丸くなって眠っていた。月明りだけが頼りの室内でハッキリとは分からないが、いつもより顔色が白く、頬が少し痩せた気がする。起こすのは偲びなかったが、燭台の蝋燭に火を灯して顔色を確認する。やはり、青白い。


「ローズ? どうした? 大丈夫か?」


「……ん? フェルディナン様? ……お帰りになられたんですか?」

「ああ。起こして悪い。食欲がないと聞いたが、どこか悪いのか?」


「すみません、お迎えできなくて」

「そんなのどうだっていい。それより、体調はどうなんだ?」


「……大丈夫です。寝れば治ります」

「ローズの『大丈夫』は、大抵そうじゃないだろ? ……腹が痛いのか?」


「少しだけ」

「いつからだ? 薬は? 医者には診せたのか?」


「ほんとに平気です」

「今すぐ本当のことを言わないと、婚約を解消するぞ?」

「何ですか、その脅し。……婚約を解消したいのなら、どうぞ。理由付は、私の将来にあまり響かないように配慮してもらえると助かります」

「本気で心配してるんだ。大人をからかうな」


「……実は、月のものが重くて……その、月経過多な状態が長く続いてて――」

「ん?」


「あの、月のものが、もう10日も続いていて。普段は5日くらいなんですが……経血量も多くて」

「っ、そうか。……すぐに医者へ連絡する」


 フェルディナンの耳が少し赤くなっている。


 暫くすると、夜にも関わらずアドリエンヌ先生が邸宅まで来てくれた。


 アドリエンヌ先生は、ローズが10歳の時に婦人科の診察をしてくれた、マリアンヌ先生の長女だ。あの時のご縁で、ローズは今、娘のアドリエンヌ先生をかかりつけ医にしている。


 衝立の向こうでフェルディナンとターニャが見守る中、淡々と診察が行われる。


「フェル兄様は部屋の外でお待ちください」とお願いしたのだが、「私も立ち会う」と言って聞かなかった。「貴女は人に心配をかけまいと隠し事をするところがあるから」と言って――。


「はい、結構です。どうぞローズ様に服を着せて差し上げてください。……令息様。少し、お話よろしいでしょうか」


 アドリエンヌの目が人払いを要求していることに気づいたフェルディナンは、自身の執務室へと案内した。


「――それで、ローズは大丈夫だろうか?」


「令息様。ローズ様の症状は月経多過による貧血と、過労、ストレスです。月のものの出血量が異常に多くなっていて、それがもう10日間も続いているのですから、相当、お辛かったと思います。


 原因としては、過労やストレスに加えて夜勤でホルモンバランスが崩れたことや、避妊に使用される薬品の副作用が考えられますが。……まさかローズ様に、常習的に避妊薬を飲ませてなどいないですよね?」


「なっ、避妊薬!? そんなもの、飲ませるわけがないだろう!?」


「では、避妊はなさっていないのですか?」


「当たり前だ!」


「……」


「違う! そうじゃなくて、避妊が必要になるような行為はしてないという意味だ!」


「え? ――ということは、ローズ様とはまだ男女の関係ではない……?」


「当たり前だろう!? 結婚前の令嬢だぞ?」


「さんざん浮き名を流してきた貴方が、そんな事を言うようになるとはねぇ……。感慨深いわ」


 実はアドリエンヌとフェルディナンは幼馴染で、3つ年上のアドリエンヌはいつもこんな感じで先輩風を吹かせているのだ。


「っ、周りが勝手にそう騒いでいただけだ。それに今はもう、婚約者がいる」


「へー、本気ってわけね」


「……妹みたいなもんだからな」


「ふーん。ま、誠実なのは良いけれど、そんなにのんびりしてたら他の男性にローズ様を取られちゃうわよ? 彼女、医師仲間の間でもすごく人気なんだから。ナヴァル王国から来てるアーサー先生も、ローズ様に何かしらの想いを抱いてるみたいだし。先越されないようにしなさいよ?」


「ご忠告どうも。……それで、ローズは過労やストレスと貧血以外に大病はないんだな?」


「ええ、それは大丈夫。ホルモンバランスが崩れるような原因を取り除けば、良くなるわ。といっても、18歳の貴族令嬢が過労にストレスに貧血って、あまり聞く話じゃないわよ? 結婚前なのに同居までして……てっきり、側で守ってあげたいからだと思ってたけど。ずっと留守だったらしいじゃない」


「あぁ」


「それはそうと、令嬢達からの嫌がらせ、少しは落ち着いた? 診療所にまでやって来たりして、心配してたのよ」


「何の話だ?」


「まさか……聞いてないの?」


 アドリエンヌは、フェルディナンとの婚約が結ばれてからというもの、彼に懸想していた令嬢達がローズに対して行った嫌がらせの数々を告げた。


「……嘘だろ? この件は、こちらで対処する。夜なのに、わざわざ呼び出してすまなかったな。礼を言う」


「いーえ、どういたしまして! 久しぶりに外出できて、良い気分転換になったわ」


「ん? どういう意味だ?」


「実はね、私、妊娠したのよ! 今ちょうど3か月目。旦那が心配してね、安定期が来るまではって、なかなか外出させてくれないのよ。それでローズ先生に夜勤とか代わってもらったんだけど……無理させちゃったわね」


「そうか、おめでとう。外見からは分からないもんだな」


「ふふっ。お腹が膨らむのはまだ先だからね。でも……不思議よね。前の結婚では7年経っても――。でも今回は、再婚してすぐに授かったの」


「大事にしろよ。悪かったな、身重なのに呼び出したりして」


「いーえ。言ったでしょう? 良い気分転換になったって。それにローズ様には、娼館での検診にも協力してもらってるしね! 今日はその恩返しの意味合いもあるから」


「は!? 娼館で何だって?」


「あら……それも聞いてないの? あなたたち、一緒に暮らしているんでしょう? 離婚経験者の私が言うのもなんだけど、貴方はもうちょっと彼女のことを知る努力をしなさい。じゃあ、私はこれで。ローズ様によろしく!」


 片手をひらひらさせながら、アドリエンヌは去っていった。

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