第47話 思春期のガキでもあるまいし(フェルディノン)

「――そいつのことが気になるのか?」


「気になるというか……きちんとお礼を言いたかったんです。あの時、色々あったからお花を頂いてとても心が救われたので。人目につかないように馬車乗り場まで送ってくれたり……その、とても良くして頂いたので」


「そうか」

 フェルディナンがふっと柔らかく瞳を細めた。


「だから、釣書きの中にもしかしたら――」


「ダメだ。……頼む。これ以上は勘弁してくれ」


 うつむき加減で額に片手を当て酷く後悔している様子のフェルディナンが気の毒になり、それ以上追求するのはやめることにした。その代わり、婚約期間が終わるまで釣書きを破棄しないでほしいと伝えると、フェルディナンは苦い顔をしながらも渋々頷いた。


 それからフェルディナンは国防軍の表門までローズを送ると、身体を少し屈めてローズの肩を引き寄せ、おでこに口付けた姿勢のまま動かなくなった。今日のローズは前髪をアップにしているから、直にフェルディナンの柔らかな感覚が伝わってくる。


「ん? どうされたんですか?」

「周囲に2人の仲の良さをアピールしておこうと思ってな」

「……いったい、どなたからの入れ知恵ですか?」

「――兄だ」


 どうやら兄のステファンから、他の令嬢達の嫌がらせを防ぐためには2人の仲の良さを外部にアピールすることが有効だと言われたらしい。恋愛結婚だった彼らしいアドバイスだ。


 たしかにこの時間、夕方の訓練の様子を見学に来ている令嬢達が、ちらほら見受けられる。気まぐれに訓練に付き合うこともあるフェルディナンを目当てにやってくる女性もいるのだろう。


「なるほど……牽制ですか。あっ、それはそうと、私、薬品臭いですよね? すみません」

「ん? そうか? ローズはいつもミルクみたいな甘い匂いがするけどな」


「むっ? それって、乳臭いってことですか? すみませんね、子どもっぽくて。国防軍の事務方の女性、みんな大人っぽくて綺麗な方ばかりですもんね」


「そんなこと言っていないだろう? ……もしかして、妬いてるのか?」

「妬いてるわけじゃ――ただ、フェル兄様の軍服姿を毎日拝め……見られるなんて羨ましいなって思っただけです」


「くくくっ。私の軍服姿が好きか? ローズだって、毎日見てるだろう?」

「もう2週間も見てませんけど?」


「あぁ、そうだったな。悪い」

「いつ頃、お屋敷へ戻れそうですか?」


「なんだ? 俺がいなくて寂しいのか?」

「はい。夕食はご両親と頂いてますけど、朝一人で食べるご飯は寂しいです。別邸で一人で眠るのも心細いし。……早く帰ってきてください」


「っ……分かった。できるだけ早く帰れるようにするから。ローズも身体に気を付けるんだぞ」

「はい」


「……おでこ、赤くなってしまったな。髭が痛かったか? すまない、ずいぶん剃ってないんだ」


 フェルディナンはローズの赤みが差したおでこを見て申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「これくらい平気です。それより、フェル兄様こそ身体に気を付けてくださいね」

 ローズはそう言うと、唐突にフェルディナンの脇腹をくすぐった。


「なっ、やめろっ! おい、ローズ! くすぐったいだろ、こらっ!」


 婚約者の健康を気遣うしおらしい表情を見せていたと思ったら、今は悪戯っぽい表情を浮かべ身体をよじるフェルディナンを見てけらけらと笑っている。


「やっと笑いましたね! 忙しいのは分かりますが、息抜きも必要ですよ? ここ。眉間のしわ、深くなってます。料理長が作ってくれたお弁当でも召し上がって、少し肩の力を抜いてください」


「――分かった」

「じゃあ、わたしはこれで」


「ローズ。……ありがとう」

「お礼はお屋敷の皆へ伝えておきます。それじゃあ」



 フェルディナンは常に自然体で接してくるローズとの触れ合いに、自ずと心の内側が柔らかくほぐれていくのを感じていた。


(ローズは何の駆け引きもしない。媚びを売ってくることもなければ、もっと構ってほしいと我儘を言ってくることもない。負けん気の強さに呆れることもあるが、筋は通っているし、お互い様だから不満に思うことはない。むしろ迎合することなく自分の意見をぶつけてくる姿は、清々しくもある。


 彼女は自分の人生を生き、楽しみを自分で見出している。

 そして一緒にいられる時には、自分と対等でいてくれる。


 ――なのに、だ。時折、不意打ちのように可愛い事を言ってくるものだから、調子を狂わされてしまう。今のだってそうだ。

 心細いから早く帰ってきてほしい、だと?……可愛すぎるだろ。

 毎日俺の軍服姿を見られる女性たちが羨ましい、だと?……いつでも見せてやる。


 この得体の知れない柔らかな心持ちを、どう扱えばよいのか――。考えあぐねているが、それさえ甘美に感じてしまうのだから……まったく、思春期のガキでもあるまいし。あんなのを無自覚でやられるんだからな、本当に参ってしまう。妹を持つ世の兄達は、皆こうなのか? 今度、レオポルド卿を飲みに誘ってみるか……)

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