第44話 こんな時、彼女は誰に……(フェルディノン)

 フェルディナンは、昼間オリヴィエから聞かされた話を想い出していた。


「ローズ、先週は大丈夫だったか?」


「先週? いつも通りだったと思うが……何かあったのか?」


「いや実は、訓練の後、隊のやつらと一緒に庶民街の食堂へ行ったんだよ。そしたらさ、いきなりローズに掴みかかってきた婆さんがいて、ちょっとした騒ぎになった」


「掴みかかった?」


「ああ、幸い、怪我はなくてすんだんだけど。――あれだな、医者っていうのも大変な職業だな。人助けして恨まれるっていうんじゃあ、やり切れないよ。それに、ローズはまだ18だぞ? 清濁併せ呑むには若すぎる」



――オリヴィエの話によると、顛末はこうだった。


 2日前、ローズが務める診療所へ腹部に大怪我を負った若い男が運びこまれた。ローズが診た時にはすでに瀕死の状態で、止血処置をしたものの意識を回復することなく間もなく亡くなった。

 男の母親は錯乱状態で、息子の死を受け入れられなかった。


 後日、食堂にいたローズを偶然見かけると、「この人殺し! 息子を返せ!!」と叫びながらローズに詰め寄り、掴みかかった。


 ローズは何も言い返すことなく、「息子さんのこと、本当に残念でした。力及ばず、申し訳ありません」と頭を下げた。

 

 その後、母親を追いかけてきた男が、「母ちゃん、兄ちゃんはすでに手遅れだったんだよ。先生、本当にすみません」と何度も頭を下げながら、母親を連れて出て行った。


 その後、オリヴィエ達が「あんなの完全に八つ当たりじゃないか。言い返してやっても良かったんじゃないか?」と言うと、ローズは首を横に振りながら、


「大切な人を急に亡くした人は、誰かのせいにしてでも、心の痛みをやり過ごしたくなるものです。――文句を言える相手ぐらい、いないと」

そう言って哀しそうに微笑んだから、それ以上は誰も何も言えなくなってしまった。



――そんな出来事があったなど、ローズは口にも態度にも出していなかった。

 

(いや……あの雨降りの夜以降、意図的にローズとの時間を取っていなかったんだ。彼女が話をしたくても、自分は側にいてやれなかった。

 訓練を見学したあの日の夜も、彼女は俺の腕の中で肩を震わせて泣いていたけれど、結局、その理由について多くを語ることはなかった。

 

 ローズはまだ18だ。人の死に慣れているとは思えない。かといって、自分が側にいてやったなら、彼女は俺に話をしただろうか? それだけ彼女から信頼を置かれているという自信は……ない、な。

 こういう時、彼女は誰に胸の内を語るのだろう。――それとも、人知れずひとりで抱え込むのだろうか……)


 フェルディナンはローズが望んだこととはいえ、敢えて距離を保とうとした自分の狭量さを恥じた。一緒に過ごしたのは僅かな期間だが、それでも、彼女の人となりを知るには十分だった。


(率先して人を助けようとするのに、自分のことには驚くほど無頓着で。人生に対してどこか冷めていて、幸せになることを諦めているようにすら思える節がある。

 およそ18とは思えない彼女の達観した姿勢は立派だが、自分の前では力を抜いてただのローズでいてほしいと願ってしまう浅はかな自分がいる……)


 

「――すまなかった」


「え?」


「医師の肩書など、社交界では何の役にも立たない、などと言ったこと。子ども扱いしたことも。貴女は、立派、だと思う」


「……ありがとうございます。でも私、フェル兄様には感謝しているんです。今までは医師として自立するか、妻として家のために尽くすか、の2択でしか考えてなかったんですけれど、最近、両立できないかなって考えるようになったんです。掛け合わせたら、もっと役に立てるかもって。だから今、お義母様に色々教えてもらっているんですよ。

 あっ!! だからといって、フェル兄様の妻の座を狙っているとかじゃないですからね? お義母様が素敵すぎて、その……」


 少し照れてた様子で頬を赤らめながら弁明してくる。


「そうか。――やってみたら、良いんじゃないか?」


「はいっ! そのつもりです!」


「くくくっ」


「?」


「元気な返事だな。でもこれじゃあ、たしかに軍隊の上官と部下みたいだ。これからは、私に対して畏まった話し方をするのはやめてくれ」


「え?」


「この前、貴女の同級生が婚約祝いをしてくれただろう? あの時、友人と気安く話している貴女の姿を見て微笑ましく思ったんだ。――私にも、あんなふうに接してほしい」


――先月末の木曜日、ユベール博士とアーサー、クロエにアレクサンドルがフェルディナンの別邸に来てくれて2人の婚約を盛大に祝ってくれたのだ。普段、ほとんど人を招待することのない邸宅でディナーをするということで、料理長が腕によりをかけて準備をしてくれた。


 その日はフェルディナンも早く帰って来てくれて、6人で賑やかに食卓を囲った。ローズが一人ひとりフェルディナンに紹介すると、なぜかアーサーとは顔見知りのようだった。


(そっか、あの時、フェルディナン様にだけは畏まった言葉で話してたんだっけ)



「――令嬢らしからぬって、叱ったりしませんか?」


「叱るわけないだろう? 私は貴女の保護者でも、上官でもないんだから」


「……それじゃあ、お言葉に甘えて。フェル兄様、わたしお腹がとっても空きました! お義父様お勧めのジビエを頂きませんか?」


「名案だな。そうしよう」

 そう言って、ウエイターを呼んだ。


 その日を境に、ローズのフェルディナンに対する態度が少しずつ気安いものに変わっていった。

 一方のフェルディナンも、ローズに対して意識的に距離を保つことは、この日を境にきっぱりやめた。

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