第43話 俺だってしたことないのに(フェルディナン)

 その日、フェルディナンは王都のメインストリートにある食事処で騎士学校時代の同期が開催する酒席に顔を出す予定だった。


 先日の雨降りの夜以降、意識的にローズとは距離を保っている。彼女がそう望んでいることを、感じ取ってしまったからだ。彼女の日々の動静はティボーを通じて報告を受けているが、自分と会えない日々が続いても特段気にする様子もなく、機嫌良く過ごしているようだった。


(両親や兄姉たちから溺愛されて育ったわりには、驚くほど自立している。孤高とも言えるほど、人に頼らないな……)



 赤いテラスが目をひく洒落たレストランの前を通りかかったとき、ふと見覚えのある横顔が目に入った。


 見るからに上質な濃紺のドレスシャツを優雅に着こなすその男性は、琥珀色の液体が入ったグラスを片手に、窓際の席で食前酒を嗜んでいた。


 余計な贅肉など一切ない引き締まった身体は、40代後半とは思えない。屈強な体躯に似合わず、笑うと目尻に何とも言えないセクシーな皺が刻まれる。年若い女性であっても思わず振り返る程の偉丈夫だ。


「――親父?」

 フェルディナンは思わず足を止める。


 フェルディナンの父親――ヴァンドゥール公マクシミリアンがこんな風に笑う姿を見るのは久方ぶりだった。何気なく、向かいに腰掛けている女性へ目を移す。


 そこには、母親である公爵夫人のヴィクトワールとは別の女性がいた。

 

 バランス良く引き締まった背中に、綺麗に伸びた背筋。髪を耳にかける時に見える、細くて白いうなじ。後ろ姿からでも品の良い色気を感じる。……年の頃は20代前半くらいだろうか。男性を相手にする道の女性でないことは、彼女の纏う雰囲気から明らかだ。


 未婚の貴族女性によく見られる、庇護欲をそそるような線の細さなど微塵もない。

程よく鍛えられた身体に女性らしい曲線美を兼ね備えた、健康的な美しさがガラス越しに見て取れる。


 父親が何か冗談でも言って笑わせているのか、弾力のある髪の毛が波打つたびにキラキラと輝く。


「親父……あんな表情かおをする人だったんだな」


 フェルディナンの知っている父親は、厳格で言葉数の少ない、武道を得意とする公爵家の当主という絶対的な存在。


 娘程も年の離れた女性に対し、あんなに穏やかで柔らかな眼差しを向けるなど……。到底、自分の知っている父と同一人物とは思えない。


 どうにも相手の女性が気になって暫く見やっていると、あろうことか父親と視線がぶつかってしまった。父親の密会現場を目撃してしまった気まずさで思わず視線をそらし、気づかなかったことにして通り過ぎようとしたとき、ガラス越しに呼び止められたのが分かった。


「!?」


 相手の女性も振り返ったようだった。

 無視をするわけにもいかず、しぶしぶレストランの中へ入る。


「父上。ご無沙汰しております」

 

 とりあえず、女性の存在は無視して父親だけに挨拶をして立ち去ろうと思っていた。


「ちょうどよかった。ローズと街で会って、食事でもしようかと話していたところなんだ。ここのジビエ料理は美味いぞ? お前も一緒にどうだ?」


「!?」


 意外な女性の名前が出てきて思わず顔を向けると、そこには美しく着飾り淑女然とした姿で佇むローズがいた。


「お仕事お疲れ様です、フェルディナン様」


 にこりと微笑むローズは、まるで淑女の鑑のようで、普段、邸宅で目にしている少し抜けている彼女とは似ても似つかない。


「なんだ? 婚約者の美しさに見惚れてるのか?」


「っ何を……」


「まあ、じゃあ、ここは2人きりにしてやろう。外で食事する機会など滅多にないだろうから、ゆっくりしていきなさい。それじゃあローズ、息子を宜しく頼む」


「はい、お義父様。お話できて愉しかったです」


 ローズも立ち上がって挨拶をする。


「ああ。また本邸に顔を見せてくれ。ヴィクトワールヴィーも喜ぶ」

そういうと、ローズの肩を引き寄せて頬にキスを落とした。


「はい、そうさせて頂きます」

 

 ローズも笑顔で返事をする。


 じゃあな、とフェルディナンの肩を叩くと、マクシミリアンはご機嫌な様子で帰っていった。


 父親の密会相手だと思っていたのが自分の婚約者だったこともあるが、妹のように感じていたローズの美しさに思わず目を奪われたことに対する気まずさも加わり、なかなか言葉が出てこない。


「……今日は、いつもと雰囲気が違うな」


「はい。今日の午後は、お義母様と一緒にお出かけしていたんです」


「おかあさま? フローランス夫人とか?」


「いえ。あの……実は、公爵と公爵夫人からお義父様おとうさまお義母様おかあさまと呼んでほしいと言われて。おこがましいとは思ったんですけど――」


(あの両親が? ……それに何なんだ、さっきの親父の流れるような頬への口付けは。俺だって頬に口付けなどしたことないのに、完全にし慣れてる感じだったぞ? ……彼女は天然の人たらしか? この短期間で、いくらなんでも馴染みすぎだろ?)


「いや……それは構わないが、貴女に無理をさせてないか?」


「いえ。お二人にはとても良くして頂いています」


「そうか、ならいい」


「フェル兄様、今夜は何か別の用事があったんじゃないですか? 私なら、一人で大丈夫ですよ?」


「いや……私も大丈夫だ」


(どうせ最初だけ顔を出す予定だったんだ。別に俺が行かなくても構わないだろ)


「いらっしゃいませ。何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」


「ああ、赤ワインを頼む」


「わたくしには、もう一杯、果実水をお願いできますか?」


「かしこまりました」


「……今夜は飲まないのか?」


「はい。金曜日じゃないので。急な呼び出しがあるかもしれませんから」


「そうか……」


 フェルディナンは、昼間オリヴィエから聞かされた話を想い出していた。

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