第41話 貴方が顔を曇らせるから……
その日、フェルディナンは騎士団に所属しているオリヴィエと酒を交わしていた。
オリヴィエはフェルディナンと同い年だが、若くして将軍職に就いたフェルディナンに昔と変わらず接してくれる、貴重な友人の一人だ。25歳にしてすでに3人の子どもの父親であるオリヴィエは、情に厚く包容力のある男だ。
「そういえばさ、うちに面白いやつが配属されてきたんだ」
「新人か? 変わった時期に配属されたんだな」
「騎士としての基礎はてんでなってないんだけどさ、それがどうして、なかなかやり手なんだよ」
「ほぉ、それは興味深いな」
「だろう? 今度うちに見に来いよ」
「そうだな」
そして後日、オリヴィエ隊の訓練を見に行ったフェルディナンは目を疑うことになる。
大柄な筋骨隆々とした男を相手に手合わせをしているのは、小柄な男……のような女。既視感が拭えない。そして手合わせといいながら、大柄な男は小柄な相手に対し、固め技を掛けようとしている。
――目の前で大柄な男に動きを封じられていたのは、ローズだった。
「っ!!」
体格差がありすぎる。本来ならば今すぐにでも止めに入りたいが、オリヴィエをはじめ、だれもローズが自分の婚約者であるとは知らない。それに、通常の訓練である以上、フェルディナンにそれを止める権利はない。
ギリッと奥歯をかみしめる。
――訓練後、フェルディナンはオリヴィエの執務室を訪ねていた。
「……嘘だろ?」
「本当だ」
「
「この件は、隊員たちには内密にしてほしい。その方が彼女も訓練に顔を出しやすいだろうから」
「言わねぇよ。つか、言えないだろ? お前らが時々手合わせしてるのが、東の将軍の婚約者だなんて」
「まあ、貴族出身の奴らにはある程度知られてるかもしれんがな」
「それにしても、相手がローズとはねぇ。お前、女の趣味変わったんじゃないか?」
「変わってない」
「――それで、どういう風の吹きまわしだ? 今まで頑なに婚約者を持とうとしなかっただろうが」
「王命だからな」
「王命ねえ……ヴァンドゥール公爵家が後ろについてる以上、説得力ないけどな。まあいいや。みんなには黙っとく。それと、ローズも特別扱いはしないからな」
「そうしてくれ。彼女もそう望んでいるはずだ」
「それから、お前、もう訓練所には来るな。自覚はないかもしれんが、さっきすごい殺気を飛ばしてたぞ?」
「……分かった」
「――できたら」
「ん?」
「できたら、今後は寝技の訓練とかはお前が相手してやれ。うちの隊では、身体的な接触が少ない訓練にだけ参加させるようにする」
「あぁ、助かる」
「それと……あれは、ローズの希望なんだ。自分よりも大きい、体格差がある相手に対しての戦い方を研究したいらしい。よく分からんが、何か事情があるみたいだった。今日の対戦相手のやつを、悪く思わないでやってほしい」
「くっ……。――分かった」
フェルディナンは気づいていないが、強く握りしめた拳が震えている。
「お前……ローズに惚れてんのか?」
「いや。……大事な妹に手を出されると、こんなに苛立つんだな」
「ふーん。ま、変な虫がつかないように見張っといてやるよ。次兄のレオポルド隊長からも妹を宜しくって散々言われてるしな」
「あぁ、頼む」
「ちなみにレオポルド隊長にも訓練の見学、禁止にしてあるからな! 長兄のフィリップ卿は文官だから許可したけど。あの兄弟のシスコンぶりは、
「だな」
「……妹、ねぇ」
フェルディナンが去った後の部屋で、腑に落ちない表情のオリヴィエがつぶやいた。
――オリヴィエ隊での訓練を見学した日の夜。
フェルディナンとローズは邸宅で一緒に夕食をとっていた。ローズの頬に、いくつか擦り傷ができて赤く腫れている。
「……ローズ。ここ、赤くなってるぞ? 大丈夫か?」
「平気です。ちょっと、擦りむいてしまって。痕にならないように手当しておきます」
おそらく、今日のオリヴィエ隊での訓練で出来た傷なのだろうが、ローズは何も言わなかった。
「今日は金曜日だろう? お酒、少し飲むか?」
いつもなら顔をぱぁっと明るくして頷くところなのに、今夜の彼女は、首を横に振って「やめておきます」とだけ言った。普段よりも口数が少ないローズの様子に、少し疲れているだけだろうと思い、それ以上は追及しなかった。
その日は、宵の口から雨が降り始めた。
ローズは、いつもより早くベッドに入ったものの、なかなか寝付けなかった。
雨の日は、背中の古傷が痛む。
痛み止めを飲んで、毛布をいつもより一枚多くかぶり、じっと痛みが去ってくれるのを待つ。
今日のオリヴィエ隊での訓練を想い出す。心が、どんよりと重い――
「はぁ、そうだ。フェルディナン様に就寝前の挨拶、まだしてなかったっけ。このまま寝ちゃいたいけど、心配かけちゃうものね……」
ローズは以前フェルディナンに着せられた熊の毛皮みたいな厚手のガウンを羽織ると、中扉を通ってフェルディナンの執務室へと向かった。ドアをノックすると、すぐに内側からフェルディナンが顔を出した。
「おっ? 今日はいつもより早いな? どうした、そんな熊の毛皮みたいなガウンを羽織って。まるで熊女だぞ?」
「……」
いつもならフェルディナンの意地悪な物言いにすぐ反応してくるローズだが、今夜は押し黙ったままだ。
「ローズ? どうした?」
「……何でもありません。雨降りの日は、背中の古傷が痛むから、温かくしているだけです」
「そうか。……痛み止めは飲んだのか?」
「はい。ですから、今日はもう休ませていただきますね」
「ああ、おやすみ」
フェルディナンがローズの細い腰に両手を回し、抱き寄せる。その刹那、ローズの身体がフェルディナンの腕の中にすっぽりと納まる。
「おやすみなさい」
ローズはほんの僅かな間フェルディナンの肩に頭を預けた後、どこかぎこちなさを感じさせる動作で身体を離した。
「……ローズ? 本当にどうした? 今日はなんだか変だぞ? ……学校で、何かあったのか?」
フェルディナンが、自分の些細な変化に気がついて顔を覗き込んでくるものだから、涙を見せないように必死で瞳に力を入れたら、しかめ面になってしまった。
「……っ。何でもありません。――もう寝ますね」
「何でもないことないだろう? 貴女がそんな顔をするなんて。もしかして……誰かに何か、酷いことを言われたのか?」
フェルディナンが心配して、自分のことみたいに顔を曇らすから、この距離感は不適切だと分かっているのに、堪らなくなって、堰を切ったように泣き出してしまった。
「どうした? ……泣いてたら分からないだろう? ……何があった? ローズ?」
「っ。……ううっ。……フェル兄様、『大丈夫だ』って言ってくれませんか?」
フェルディナンは一瞬驚いた顔をしたが、一呼吸置いたのち、「おいで」と言ってローズの背中に手を回し、その逞しい腕の中に再びローズの身体を引き寄せた。そして、子どもをあやすように「大丈夫だ。大丈夫。だいじょうぶ。だいじょうぶだから……」と耳元でささやきながら、優しい手つきでローズの身体をさすってくれた。
その間、ローズはフェルディナンの胸に顔をうずめ、彼のシダーの香りをまとった温もりに身を委ねていた。おかしなローズのお願いに、何も理由を問うことなく、ただそうしてくれたことが有難かった。
誰かの肌の温もりを直接感じたのも、優しく頭を撫でられたのも久しぶりで、不覚にも、ずっとこのままフェルディナンの腕の中にいたいと思ってしまった。
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