第40話 俺の方が妬いてるよ(フェルディナン)
――もう一つの馬車の中。
ローズはフェルディナンの肩に寄りかかって寝息を立てている。リカルドとの親密な様子を見せつけられ、その後酔ったローズから散々なことを言われたが、素直に自分の肩を借りるくらいにはローズが心を許してくれていることに面映ゆさを感じる。
(それにしても……「フェル」って、家族以外の人間に初めて呼ばれたな。それに、そもそも尻って――貴女に見せたことなどないだろう?)
その日の夜遅く、目覚める様子のないローズを抱きかかえたまま馬車を下りたフェルディナンを見た使用人たちは、皆一様に胸をなでおろした。
フェルディナンは自分の寝室へとローズを運ぶと、ターニャへ寝間着に着替えさせるよう頼んだ。訝しげに目を細めるターニャに、「今夜は飲ませすぎたから、一晩、側で様子を見ておきたいんだ」と告げると、一応納得してくれたようだった。
寝間着姿で横たわるローズをそっと揺さぶる。
「ローズ? 水、少しでもいいから飲んでおきなさい。明日、頭が痛くなるぞ?」
「ん、ん゛—―」
ローズの背中を支えながらヘッドボードにもたれ掛けさせて、水の入ったグラスを口元まで運ぶ。
「――ローズは、俺の尻が好きなんだな」
酔っ払ったら地の性格が出てくるだけじゃなくて本音を吐露するというローズの秘密を知っているフェルディナンは、面白くてついからかってしまう。
ローズはこくんと頷くと、言葉を続けた。
「――あとね、すこしたかい、たいおんも。……こうせいで、すなおにあやまれるところも。それと、このにおいも。すんっ。……しゅきっ」
ローズはフェルディナンの胸元に頬ずりをして匂いをかぐと、ふにゃりと表情を崩して笑った。
「おっ、おう――」
存外な誉め言葉と、自分の胸元に顔を押し付けて屈託なく笑うローズにひどく動揺してしまう。
「今日は遅いから、もう寝なさい」
フェルディナンはつとめて落ち着いた調子でそう言うと、再びローズをベッドに寝かせた。シーツでその身体をすっぽりと覆うと、酔いと煩悩を振り払うように水を浴びに行った。
(何なんだあれは。……無防備すぎるだろう?)
「んー、頭いたい……」
ローズはうっすらと瞳を開ける。寝ぼけ眼で周囲を見渡すと、見慣れない部屋の装飾が目に入り、ここが自分の寝室でないことに気付く。
「ここ……フェルディナン様の寝室かしら。ううっ、ちょっと寒い」
ほのかにシダーの香りが残るシーツに顔をうずめると、再び目を閉じた。
――30分後。
水を浴びて戻って来たフェルディナンがベッドに入ると、思いがけずローズの足先が身体に触れた。ローズの足先はすっかり冷えてしまっているようで、ヒヤッとした感覚が伝わってくる。
身体が密着しないように距離を置くと、ローズが温もりを求めて足先をフェルディナンの足にくっつけてきた。
「おいっ!?」
「……あったかーい」
「なんだ、寝ぼけてるのか……」
(これ全部、無自覚か? 恐ろしいな)
「あまり密着するんじゃない」
「だって、あったかいんだもん」
「人で暖を取るな」
「……ふぁーい」
ローズは不満げに足先を外すと、フェルディナンが寝ているのとは反対側にゴロンと転がっていく。
「おいっ、落ちるなよ?」
「ふぁーい」
「そんなに端に寄るな。落ちたら危ないだろ?」
「……」
「ローズ?」
「……」
「――もしかして、拗ねてるのか?」
「……別に」
「はぁ――。私たちは婚約しているとはいえ、未婚の男女なんだ。節度を守ることは大事だろう? 貴女の父上とも――」
「もういいでしゅ」
「いいって、何がだ?」
「わたしとは、足先が触れるだけでも嫌なんだってこと、よぉーく分かりましたから」
「なっ? そんなこと言ってないだろう?」
「
「だから、誤解だと言っただろう? ――もしかして、妬いてるのか?」
「……わたしは婚約者なのに。足の指さえ、触れることを許されないんでしゅね」
「だから、それは節度をだな――」
「節度せつどって――だったらもう、じぶんのベッドで寝ましゅ」
そう言うとローズはおもむろに身体を起こし、覚束ない足取りで立ち上がった。
「どこへ行く?」
「じぶんのへや」
「今日の貴女はかなり飲んでいるんだ。ここで一緒に休めばいいだろう?」
「せつどは大事でしゅからね。どーせ、おかざりだし?」
「――別に……足がひっつくぐらいは、いい」
「さっき、触るなって言ったくしぇに」
「触るななんて言ってないだろう? 密着するなと言ったんだ」
「おんなじでしょ。――フェルのばか」
「なっ! はぁー。もういいから。今夜は大人しくここで休め」
「そのめいれい口調。じょうかんみたい。――やっぱりじぶんのへやで寝ましゅ」
「貴女が心配なんだ。――頼むから……今夜はここで休んでくれ」
フェルディナンはローズの腕を取ってベッドへ連れ戻すと、不貞腐れたように自分に背を向けて横になったローズに対し、仕方ないといったふうに少し距離をあけて後ろからローズの背中を支えるように横になった。
足先だけがくっついている体勢ではあるが、ローズはフェルディノンの高い体温に安心したのか、すぐに眠りについた。
「まったく。……の方が妬いてるよ」
フェルディナンの聞き取れないほどの小さな独り言は、誰に聞かれることもなく夜闇に消えていった。
――翌朝。
フェルディナンのベッドで目を覚まして固まっているローズに、すでに身支度を終え一分の隙も纏っていないフェルディナンが侍女に薬草茶を持ってこさせた。フェルディナンは昨夜仕事を早めに切り上げたせいで、休日返上となったらしい。
「二日酔いに効くお茶だ。飲んでおきなさい」
「ありがとうございます。はぁ……頭いたい。それにしても私、どうしてここで寝ているんでしょう?」
「かなり飲んでたからな、側で様子を見ることにしたんだ。着替えはターニャがしてくれた」
「それは――ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「やけにしおらしいな。昨日の勢いはどうした?」
「ん? 勢い?」
「……まさか、覚えてないのか?」
「はい……乾杯して暫くしてからの記憶が――全然」
素直に薬草茶を受け取り飲んでいたローズだったが、フェルディナンが昨夜の顛末を説明すると、薬草茶を噴き出し、「うそ? どうしよう……お義兄様たちに合わせる顔がない」と言いながら、顔を真っ赤にしてシーツの中に潜り込んだ。
フェルディナンは思わず抑えきれずに声を出して笑うと、そんなローズを眩しそうに見つめた。
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