第38話 爆弾発言の真意を今、理解しました
「—―ロゼ。それ、違うと思うぞ?」
「えっ?」
ステファンは大きく溜息をつくと、つかつかとフェルディナンのところへ向かい、フェルディナンの腕からイネスの手を引きはがした。真剣な表情で彼に何やら諭し始める。フェルディナンはステファンの指摘に驚いた顔をして、片腕でゴシゴシと頬をこすっている。
コンスタンスは頭痛でもするのか、先ほどから右手をこめかみに当てて目を瞑っている。
「あっちゃー。ロゼの婚約者、なかなかヤンチャしてんな」
「え?」
「あのさ、ロゼ。来賓館は、宿泊場所であって食事をとる場所じゃないってことぐらい、外国人の俺でも知ってるぞ?」
「え!? 宴会場のあるレストランじゃないんですか? じゃあ、来賓館のいつもの場所で待ってるってどういう――ええ゛っ!? そういうことですか!?」
先日のイネスの発言の真意を今理解したローズは、思わず耳元まで赤面する。
それを見たコンスタンスが、すかさずフォローを入れる。
「本当にどうしようもないわね。いい? ローズちゃん。そういうの、気にしちゃだめよ。フェルは今まで特定の恋人を作ったことなんてないんだから。貴女は特別なのよ? きっと彼女、フェルが婚約したと聞いて嫉妬したのね。わざとそう言ったに違いないわ」
(ううっ。コンスタンス様の優しさが心に沁みる。でも……ごめんなさい。私、お飾りの婚約者なんです。それに――)
「……私、てっきり、初回公演後の
「はははっ! それ、傑作だな! それ聞いた時のフェルディナン殿の顔を見たかったよ!」
「団長、笑いすぎ……」
「はーっ、可笑しいな。って悪いわるい」
「……」
(私に他の主演歌手のチケットを渡しておいて、自分は今夜、彼女と一緒に過ごすつもりだったのかしら? 別に良いけど。お飾りの婚約者だし。主演を張るオペラ歌手と年若き東の将軍。一流同士、話も合うんでしょう。はっきり言って、自分よりもずっとお似合いの2人だもの。
でも――目の前で逢瀬を見せつけられると、お前は女じゃないって言われたみたいで、傷ついてしまう)
「……ロゼ? 気にするなよ? あれは、そういう関係じゃない」
「昔はそうじゃなかったみたいですけど」
「俺の勘だ。あれは恋人関係じゃない。ロゼが心を痛めるに値しない。分かったな?」
ローズは、その心とは裏腹にリカルドの慰めにこくりと頷く。
「よしっ」
リカルドは満足気に頷くと、労るようにローズの頭をポンポンと撫でた。
(どうして団長には、私の心の機微が分かってしまうんだろう。平静を装っているつもりなんだけどなぁ……)
そこに、ステファンに連れられ反省している様子のフェルディナンが合流する。
「とりあえず、場所を変えて食事に行きましょうか?」
気まずい空気を払拭するかのように、明るい声色でステファンが提案した。
「いえ。今夜はちゃんと話し合った方が良いでしょうから、部外者の私はここで失礼しますよ。……ロゼ、婚約が解消になったら、すぐに連絡くれよ?」
「やめてくださいよ団長、縁起でもない! 今婚約解消したら、7回目にして史上最短記録になるんですからね?」
「ははっ! 反応するの、そこか? ……本当に、いつでもロゼを迎えに行くから。分かったな?」
リカルドはサラッとすごい事を言うと、慣れた手つきでローズを抱き寄せ、ほっぺたとほっぺたを合わせて「チュッ」「チュッ」と音をさせる帝国流の挨拶をして、最後にローズの前髪をくしゅくしゅっと撫でた。
それからフェルディナンに向かって、
「ロゼを家で囲むんだったら、彼女の心も一緒に守ってやらないと意味ないだろ? それができないんなら、早々に解放してやってくれ。俺がいつでも彼女を迎えにいく。それじゃ」
と言うと、軽やかに立ち去った。
思った以上に親密な2人の様子を目の当たりにしたステファンとコンスタンスは、複雑な表情を浮かべたままその場に佇んでいた。
それがリカルド流の配慮だったのかどうかは知る由もないが、フェルディナンを説諭しようとする空気はリカルドが立ち去った瞬間に霧散してしまった。
それからは、2つの馬車に分かれてレストランへ向かうことになった。
コンスタンスは「女性同士で乗る」と言い張ったが、ステファンが「フェルが謝罪するなら早いうちに2人にしてやった方が良いから」と諭し、結局、フェルディナンとローズが同じ馬車に乗ることになった。
――フェルディナンとローズを乗せた馬車の中。
「不快な思いをさせてしまって、すまなかった」
「いえ、私も恥ずかしい勘違いを。……それよりも、よかったんですか? イネスさんときちんと話さないまま別れてしまって」
「あぁ。言っただろう? 昔の話だと」
「……彼女にとっては、まだ昔の話になっていないように感じましたけれど?」
「貴女には軽蔑されるかもしれないが、彼女とは……恋人だったわけじゃないんだ。今夜も、偶然あそこで出会って立ち話をしていただけだ」
「彼女の初回公演が今日だと知ってて、偶然ってことはないでしょう?」
「っ…そういう貴女も、リカルド殿と随分親し気だったじゃないか。家族でもないのに、頬に口付けするほど近しい関係なんだな」
「は? 口付けなんてしてませんよ。頬を合わせてるだけです。帝国では初対面の人にでもする、ごく普通の挨拶です」
「信じがたいな」
「帝国の言葉や文化に精通しているフェル兄様がご存知ないわけないでしょう?」
「頬に口付けするのは余程親しい関係の男女だ、くらいのことは知っている」
「だから、頬を合わせただけだと言っているでしょう? ……それに、家族以外の男性に顔への口付けを許したのは、フェル兄様が初めでです」
「は?」
「婚約式のときのおでこへの口付け。あれが初めてでしたから」
「……嘘だろ?」
「別に信じてくれなくてもいいですけど。フェル兄様、ここ、赤くなってますよ?」
唇を指差してかまをかけたら、目を見開いて手の甲で唇をごしごしと拭きだした。
「……やっぱり。私が今夜オペラを観に来ていることはご存知だったでしょう? 私を傷つけたかったんですか? だったら成功ですよ。イネスさんと賭けでもしていました?」
「賭ける?何を?」
「私が泣くかどうか。悲しそうな顔をするかどうか。嫉妬して、貴方を責めるかどうか――」
「そんな事、するわけないだろう!?」
「ふん……」
「……まさか、誰かにそんな事をされたのか?」
「別に」
「何をされた?」
「別に……いつものことです。今に始まったことじゃありませんし、慣れてますから」
「そんな事に慣れるな」
「傷物とか尻軽とか揶揄される女は、こういう扱いを受けるんですよ。フェル兄様だってご存知でしょう? 私の評判」
「貴女が噂と全く違う女性だということは、よく知っている。そんな風に扱われていい女じゃないことも。……誰に、何を言われた?」
「思い出したくもありません。とても……不愉快だったので」
(同世代の令嬢達からの嫌がらせなんてへっちゃらだと強がっていても、心が全く傷つかないわけじゃない。けれど、それを人には見せたくない。特にフェルディナン様には。こんな風に、実兄みたいに、自分のことのように怒ってくれる人を目の前にすると、泣きたくなってしまうんだもの)
「――さっきのだが、誓って唇に口付けはされていない。それに、イネスとは10代の頃の話で、もう何年も会っていなかったんだ。貴女を傷つけるつもりなんてなかった」
(何気に昔の女性を下の名前で呼ぶの、やめてほしいんだけど……。でも、フェルディナン様にちょっかいを出したのは彼女の方なのでしょうね。必死に断っている彼のことを面白がるように手を絡めてたもの。それにしても、将軍ならあれくらいのちょっかい、軽くいなしてほしいところだけど。意外に強気な女性に弱いのかしら?)
「じゃあ、どうしてあの場にいたんですか?」
「……だったんだ」
「え?」
「心配だったんだ。貴女が、リカルド殿と2人きりだと思って。……手を出されるんじゃないかと。彼はその、貴女に好意を持っているみたいだから」
「……たしかに団長は私のことを気にかけてくれてますけど、そういうのじゃありません。それに、団長には奥様がいらっしゃいます。合意なく私に手を出したりなんてしませんよ」
「そうなのか?」
「はい」
「……だが、彼に求婚されてただろう?」
「だから、そういうのじゃないんです」
「そうは言っても、彼に好かれているんじゃないのか?」
「しつこい」
「ぐっ……」
ローズはこれ以上の問答を続ける気にならず、そっと馬車の窓から薄月を眺めた。
(リカルド団長が私に求婚したのは事実だけど、それが恋情によるものじゃないことは知っている。
フェルディナン様とのことだって、卒業するまでの間のお飾りの婚約者である自分が彼の過去に嫉妬したり、恋人の存在に苛立ったりするのは筋違いだと分かっている。
それに私も……未だにリョウを忘れられずにいる。
彼を責める資格なんてない。――なのに、どうしてこんなに心がささくれ立つのかしら)
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