第37話 オペラ鑑賞は元上官と……

 その日、いつものように2人で向かい合って朝ごはんを食べていると、フェルディナンがスッとテーブルの上へ封筒を差し出した。


「来週末のオペラのチケットだ」


「え!? 手に入れて下さったんですか? わー、嬉しい。ありがとうございます!」


「ああ……」


「2枚入ってますね? フェル兄様、ご都合は?」


「悪いが、私は都合がつかない。誰か誘って行ってくれ」


「え? そうなんですか? ……残念。――あの、婚約している場合、一緒に行く相手について予めフェル兄様の許可を得る必要があるんでしょうか?」


「あ? ……いや、私の知っている相手と一緒なのであれば許可は要らない。公演まであまり日もないし、一緒に行く相手が決まったら教えてくれ」


(ローズが声をかけるとしたら、家族か学校の同級生か、医者仲間か、前の同居人くらいだろうしな)


 オペラ観劇の日は来週の金曜日だ。チケットには、先日会ったイネスとは別の主演歌手の名前が記されていた。早速一緒に行ってくれる人を見つけなければいけない。


(クリス兄様は、気になる女性ができたみたいで最近めっきり私の相手をしてくれなくなったし。ユベール先生は新薬の研究で忙しそうだし。学校のみんなは試験と臨地実習でそれどころじゃなさそうだし。アドリエンヌ先生は身重だし……。

 そういえば、今リカルド団長、王国に来ているんだっけ。芸術活動を支援をしてる団長なら、オペラに興味があるかもしれないわね。しかも、フェルディナン様とは軍部同士の交流会で顔見知りだと言ってたし!)


 リカルドへ声をかけたら予想したとおり、喜んで一緒に行ってくれることになった。

 ただ、「ロゼには婚約者がいる以上、2人きりで鑑賞してあらぬ誤解を生じさせるのは良くないから、最適な夫婦に声をかけておくよ」と言われた。


 相手が誰なのか気になったが、「大丈夫だから任せてくれ」と言われ、素直にそうすることにした。


――そして迎えたオペラ鑑賞の日。

 ローズはいつも通り国防軍の本部へ赴くフェルディナンの見送りをしている。


「そういえば、オペラには誰と行くことにしたんだ?」 


「来国しているリカルド団長と一緒に行くことにしました」


「はっ?」


「あっ、それと、今夜は夕食も外で済ませてきますね」


「は? 公演が終わるのは随分遅い時間だろう?」


「ええ。でも公演後に、観劇をご一緒する夫妻と一緒に夕食をとることになっていまして」


「なっ!?」


「フェル兄様、そろそろ出発しないと遅れちゃいますよ? 行ってらっしゃいませ」

 ローズはフェルディナンの背中に手を回しギュッとハグをすると、そのまま馬車に押し込むように背中を押した。


「おいっ、待て! まだ話は終わってない――」


――その日の夕方。

リカルドはフェルディナンの別邸までローズを迎えにきた。リカルドは王国の言葉でお屋敷の使用人たちへ礼儀正しく挨拶をすると、帝国のお土産を手渡した。誰もがリカルドの甘いマスクと気品溢れる優雅な立ち振る舞いに見惚れているようだった。


 リカルドは、ドレスアップしたローズが玄関に姿を現すと大袈裟なくらいに褒め称え、恥じらう様子もなく流れるようにローズをエスコートした。彼女をまるでお姫様のように扱うリカルドに、ローズも満面の笑みで応える。


 フェルディナンよりもずっと距離感の近い2人の様子を目にしたティボーやターニャは、なんとも落ち着かない心持ちでローズを送り出した。


 オペラ劇場へ着くと、フェルディナンの兄であるステファン卿とその奥さんであるコンスタンス夫人が2人に向かって手を振り、にっこり微笑んだ。


 ステファンはフェルディナンの3つ上の28歳で、コンスタンスはフェルディナンと同じ25歳なのだが、幼馴染で学生時代から恋人同士だったという2人は、見ていて心が温かくなるような仲の良い夫婦だ。


「え? お義兄様たち……どうして?」

「俺が誘ったんだ」

「団長が?」


「あぁ、一応ロゼはフェルディナン殿の婚約者だからな。俺と2人きりでオペラ鑑賞なんてすれば、悪評が立つと思ってさ。実は、ヴェロニカとコンスタンス夫人は友人なんだ。彼らと一緒だったら、変な誤解も招かないですむだろ?」


「たしかに! すごい、さすが団長。ありがとうございます!」

「ん」


 ローズは笑顔で2人と挨拶を交わす。


 ヴァンドゥール公爵家の嫡男であるステファンは、母親似の端正な顔立ちをしている。社交的で人当たりが柔らかい彼は、父のマクシミリアンや弟のフェルディナンと異なり相手を威圧するような雰囲気は微塵も纏っていない。

 

 ステファンは国家戦略室の官僚として王宮に勤務しているが、恐ろしく頭の回転が早いうえに目下の者への面倒見が良いことで有名だった。ローズの長兄であるフィリップとは官僚同期であるらしく、以前からローズのことはフィリップを通じて耳にしていたらしい。


 心は27歳のローズにとって、年の近い彼らとはまるで同級生と話をするような気安さがあった。仕事や芸術の話からそれぞれの近況に至るまで話題が尽きず、思った以上に楽しい時間を過ごすことができた。


 公演が終了し、4人で劇場の外に出たところで見覚えのある男女の姿が目に飛び込んできた。――フェルディナンとイネスだ。


 左手に豪華な花束を持ちはしゃいでいる様子のイネスが、右手をフェルディナンの腕に絡ませて彼をどこかへ連れていこうと引っ張っている。


「……あれ、フェルディナン殿じゃないか?」

「そうですね」


「フェルのやつ、こんな所でいったい何をやっているんだっ!」


 ステファンが怒ったようにそう言うので、ローズは慌てて訂正した……つもりだった――


「あっ、たしか以前、イネスさんがフェルディナン様に今月末が初回公演だから、夜、来賓館のいつもの場所で待ってるっておっしゃっていました! たぶん、公演後の饗宴に誘われているんじゃないでしょうか?」


「はっ?」「え?」「ん?」

3人の声が見事にハーモニーを奏でた後、リカルドが冷静にローズへ諭した。


「—―ロゼ。それ、違うと思うぞ?」

「え?」

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