第34話 ティボー、あれは……大丈夫なのか?
今日は、フェルディナンの屋敷に越してきてから初めて迎える平日だ。
いつも通り早く起きて医学アカデミーの制服に袖を通す。身の回りのことは一通り自分で出来るローズは、普段、侍女に身支度を手伝ってもらうことはない。
支度が済んで一階の食堂へ降りていくと、温かい朝ごはんがすでに用意されていた。感動しながら美味しくいただいていると、フェルディナンも降りてきた。
洗い立ての素肌に髪の毛を頭の高い位置できゅっと結び、白地に濃紺のラインが入った制服を爽やかに着こなしているローズを見たフェルディナンは、食堂の入口で立ったまま微動だにしない。
「……」
「あっ、フェルディナン様! おはようございます。朝ご飯、先に頂いています」
「……あぁ、おはよう。――その、あれだな。今日は、若い女の子みたいだ」
「旦那様っ。ローズお嬢様は18歳になられて間もない、年頃の若い女性でございますよ?」
すかさずターニャがフォローしてくれる。
「……ティボー。きょうびの学生はこんな感じなのか? あんな格好で学校に行くと注目を浴びすぎて危険だろう?」
「旦那様が通われていらしたのは男子校でしたからね。ローズ様がお召しになられているのは医学アカデミーの制服です。ごく普通の女学生の装いですよ」
「……そうか」
「まあ、ローズお嬢様はお綺麗ですから注目は浴びるでしょうけれど」
「……」
ティボーに椅子を引かれ、フェルディナンもローズの向かいに腰を掛ける。すでに身なりを整え、朝から一分の隙もない雰囲気をまとっている。
「あっ、そうだフェルディナン様。あの……お願いがあるんですけど」
「ん? なんだ、急に改まって」
「実は、学校のお友達が婚約のお祝いをしてくれることになって。フェルディナン様を紹介したいんですけれど、大丈夫でしょうか? さすがに婚約の経緯までは話してないので、ご迷惑だとは思うんですけど……。顔だけでも見せてもらえると助かります」
「そうか。――予定を確認しておく」
「えっ? 良いんですか?」
「なぜ驚く? 貴女の友達なんだろう? そういうのは、大事にしなさい」
「……はい。ありがとうございます」
「ふっ。礼を言われるようなことじゃないと思うが?」
「ちょっと意外で」
(てっきり、そんなの面倒だとか何とか言って断られるかと思ってたんだけど)
その後ローズは、国防軍へ出仕するフェルディナンを使用人達と一緒に見送ることになった。
「行ってらっしゃいませ」
ローズが一歩前に踏み出し、彼の大きな背中に腕を回してハグをする。フェルディナンは一瞬、驚きのあまり言葉を失った様子だったが、すぐにローズの腕を引き離した。
「っ、ローズ? 何をしている? っ、皆の前だぞ? 節度を保ちなさい」
「何って、契約の履行ですけど……」
「契約?」
「朝のお見送り時のハグです。それに、二人きりのときに密室でハグした方が節度的には問題じゃないですか?」
「なっ。はぁー。……行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「それから、今夜は遅くなるから先に休んでいてくれ」
「分かりました」
――翌朝。
ローズはサイドの髪を三つ編みにすると、後ろでシニョンにまとめた。軽くアイメイクを施して紅を差すと、シンプルだが清潔感のあるワンピースドレスに袖を通す。
先に朝食を食べていると、身支度を整えて食堂へ降りてきたフェルディナンが再び入口で立ち止まった。
「フェルディナン様、おはようございます! 今日も良い天気ですね」
「あぁ、おはよう。……今日はやけに大人っぽいな。誰かと会う予定でもあるのか?」
「今日は診療所へ行く日なのでお化粧をしているんです。仕事上、若く見え過ぎると不都合なこともありますので」
「――ティボー。大丈夫か?」
「旦那様。診療所には護衛もおります。治療目的以外の者が来たら追い返しますよ。心配ございません」
ティボーがフェルディナンの言外の意味を汲み取り、そう答える。
「……ならいい」
「――ローズ。昨日の件だが、来週、木曜日の夜なら時間が取れそうだ」
「本当ですか? じゃあ、少しだけフェルディナン様も顔を出してくださいますか?前に住んでいたユベール博士の薬局でお祝いをしてくれることになってるので」
「薬局? ……ここに皆を呼べばいいだろう?」
「え? でも――」
「貴女の友達なんだろう? だったら
「良いんですか? 本当に?」
「良いも何も、ここは貴女の家でもあるんだから。友人を呼ぶのに私の許可など要らない」
「……ありがとうございます」
(ここがわたしの家? 住み始めてから1週間も経っていないのに。……なんだか面映ゆい)
――フェルディナンの出仕時。
昨日と同じように、ローズが一歩前に出てハグをする。さすがにもう腕を引き剥がされるようなことはなかったが、ローズが背中に腕を回すと明らかにフェルディナンが身を固くして警戒したのが分かった。
「……ねぇティボー。私、何かヘマをしたのかしら? 昨日からフェルディナン様、固まってばかりよね? 恥ずかしいのだけど私、令嬢としての常識に欠けるところがあるから。何か気づいたことがあったら、教えてほしいの」
「ローズお嬢様。旦那様は女性との純粋な触れあいに慣れていないだけです。内心は喜んでいると思いますよ。心配はご無用です」
「そうなの? 女性には慣れていると思うんだけど。……ハグも実は嫌だったんじゃないかと心配になってしまって」
「照れていらっしゃるだけですから。ぜひ、続けてあげてくださいませ」
「そうなのかしら――」
屋敷の使用人達は、モノトーンのように単調だったフェルディナンの日常がローズが越してきたことにより色鮮やかなものへと変化しつつあることに喜びを感じ始めていた。
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