第33話 妹役を引き受けた覚えはないのですが……

 二人は外の通りがよく見える窓際の席に腰を掛けた。


「それはそうと、オペラのチケット、手に入らないでしょうか?」


「オペラ、好きなのか?」


「はい。フェルディナン様は、イネスさんを支援していらっしゃるのでしょう? 何枚か融通できないかな? なんて」


「支援などしていない」


「え? そうだったのですか? 親しそうだったので、つい……」


「……」


「じゃあ、ご一緒したいだなんて本当に厚かましいお願いでしたね。すみません」


「……」


「……はっ、えっ? うそっ……もしかして、お2人はそういうご関係ですか?」


「……昔の話だ」


「えっ、じゃあ、あのまま別れてしまって良かったのですか?」


「だから、昔の話だといっただろう?」


「ですけど――」 


いつもは背筋を伸ばしているローズだが、今は両手で顔を覆ってテーブルに頭をつける勢いで項垂れている。


 フェルディナンは正面に座るローズを改めて眺める。


 化粧をしているからか、今日の彼女は20歳過ぎの女性に見える。なかなかお目にかかれないほどの美貌の持ち主だが、それを鼻にかけるような素振りはまるでない。自覚がないようにすら思える。


 外で会う彼女は高潔で隙がなさそうなのに、家にいるときの彼女はどこか抜けていて目が離せない。18歳とは思えない落ち着きと、少女のような純粋無垢な素朴さとを持ち合わせている。アンバランス、という言葉がぴったりだ。


 七分袖のワンピースから覗く頼りない手首は白く……そこでハッと息を呑む。先程つかんだところが赤くなっている。


「――すまない。赤くなってしまっている」


「え?……あぁ。このくらい、何ともないですよ。私は人より皮膚が薄いから、赤くなりやすいだけで。傷でもなんでもありませんから」


「っ……」


「本当に大丈夫」


 優しく微笑む彼女は、真に優しい人なのだと知っている。過去、謂れのない悪意にどれほど心を傷つけられてきたのかも。


 親切で丁寧で逞しくて――。

 

 手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいる彼女だが、今もまた、どこか遠くを見るような目で通りを眺めている。目を離すと、フラッとどこか知らない場所へ行ってしまいそうだ。


 彼女の瞳に特別な存在として映る男性とは、どんな男性ひとなのだろう……。

昨夜見たデッサン画の青年の姿が脳裏に浮かぶ。


 結婚が叶わぬ夢となってしまった男が、今になって気になり始めた。



――その日の帰り道。

 偶然、通りで出会ったフェルディナンの騎士学校時代の友人が声をかけてきた。


「フェルディナンじゃないか! 王都に戻ってたのか?」


「ああ、ようやくな」


「隣のご令嬢は……もしかして、お前の恋人?」


「いや。……妹だ」


「え? ……あ、ローズと申します。いつも兄がお世話になっております」

 軍隊生活で空気を読む英才教育を受けてきたローズは、とりあえず調子を合わせることにした。


「へー、お前にこんな綺麗な妹さんがいたなんて、知らなかったよ」


「あぁ……」


「これから同期の奴らも来るから、一緒にどうだ? 良かったら妹さんも一緒に」


「いや、……今日は遠慮しておくよ」


「そうか。残念だな。じゃあ、またの機会に一緒に飲もうぜ」


「ああ」



「――すまない、その……何となく言い出せなかった」


「ふふっ、平気ですよ。フェルディナン様の妹だなんて、光栄ですから」


 ローズはそう言って笑ったが、フェルディナンに気付かれないように、そっと長い睫毛を伏せた。


 舞踏会で会った妖艶な黒髪の美女に、今日会ったイネスさん。どちらも大人の女性の色香と魅力をまとい、自信に満ち溢れ、美しく輝いていた。化粧っ気も、飾り気もない、中途半端な自分とはまるで違う。


 これほどの地位と権力、名誉に美貌を持ち合わせている男性なのだ。言い寄ってくる女性はたくさんいるだろうに。これまで頑なに婚約者を持とうとしなかった彼の長年の想い人とは、いったいどんな女性なんだろう……。


 ふいに、婚約式でのことを想い出す。

 家族以外の男性から顔に口付けを落とされたのは初めてだったが、経験のない自分でもその行為に特別な熱が込められていないことだけは、ハッキリと分かった。


 初めから女除けのための存在だと割り切っていたけれど、女性として全く見られていない現実を目の当たりにすると、それはそれで傷ついてしまう自分がいた。


 卒業までという区切りを設けてよかったのかもしれない。それまでは、立派にお飾りの婚約者の立場を演じよう……。

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