第31話 呼び名を決めるのって難しいです

 翌日は土曜日で、二人は一階の食堂で向かい合って朝食をとっている。二人だけの場合は家族用の食堂にある、小ぶりな丸テーブルで食事をとることにしたので自然と距離が近くなる。


「ローズ嬢、昨日はよく眠れたか?」


「はい。素敵なお部屋を用意して下さって、ありがとうございます」


「そうか。昨夜はずいぶん遅くまで勉強してたみたいだな」


「はい、調べ物をしていたら、すっかり遅くなってしまいまして。あっ、昨夜私をベッドまで運んで下さったのって、令息様ですよね? ありがとうございました」


「あぁ。秋とはいえ、朝晩は冷えるんだから、部屋の中だからといって裸足でいるのはやめなさい。まぁ、貴女は裸足が好きなようだけど」

 フェルディナンがにやりと口角を上げてほくそ笑む。


「うぐっ……はい」


「それから、その呼び方はよしてくれ」


「えっ? あー、じゃあ……旦那様?」


「ん゛?」


「あ、いえ! 決して奥様ぶったわけじゃなくて、どちらかというと使用人目線で呼んでみたのですが――」


「なぜ使用人目線になる?」


「え? じゃあ……ご主人様?」


「だから、どうしてそうなる!?」


「第一印象でしょうか……。初対面の舞踏会でいきなり置いてきぼりにされたと思ったらこっ酷く叱られて、そうかと思えば突然身体を密着させられて、挙句の果てには足首を――」


「っ、だからそれは! 悪かったと謝っただろう?」


「その言い方! 全然、謝罪になってませんよ?」


「っく。……すまなかった」


「はい。――それで、呼び方ですよね? うーん。あっ、婚約者様とか?」


「論外だろっ!」


「ええと……あるじっていうのは、さすがに凛々しすぎますよね? 令息様の雰囲気には合ってると思うんですけど」


「あのなぁ。はぁ……。フェルディナン、と」


「分かりました。……フェルディナン」


「は?」


「フェルディナン!」


「……」


「……フェル?」

(ステファン卿やコンスタンス様からはこう呼ばれてたけど……いきなり愛称で呼ぶのは照れるわね)


「……」

(なんだ、顔を真っ赤にして。照れるくらいなら言わなければいいだろ?)


「フェルディナン……様?」


「それでいい」


「あの、私のことはローズとお呼びください」


「分かった。ところで、今日はこれから何か用事あるか?」


「いいえ、特には」


「日用品など、細々したものが必要だろう? 買い物にでも行くか?」


「えっ? 良いんですか?」


「前回の埋め合わせだ」


「じゃあ……今日はデートですか?」


「まぁ、……そうだな」


「本当ですか? それじゃあ、気合を入れて準備してまいります!」


「ああ。――いや、待て。あの、普通でいいぞ?」


「はいっ!」



 ローズは颯爽と私室へと戻っていった。学業に明け暮れ青春時代がなかったローズにとって、デートという名のお出かけは甘美な響きを持つのだ。


 すかさずティボーがやってきて、「旦那様。ローズお嬢様、可愛らしいですね」と声をかける。


「令嬢としての常識に欠けるというか……。良識があるだけに、なんというか、残念な仕上がりだな。それにあの気の強さ、どうにかならないか?」


「旦那様には、あのくらい元気の良い女性がお似合いですよ。それに、これから素敵なレディーに成長されていくのが楽しみではないですか」


「母上も同じようなことを言っていたな。それにしても、ああいった姿は年頃の女の子そのものだ」


「そうですね。大人びて見えても、ローズ様はまだ18歳でいらっしゃいますから。屋敷の使用人達も、可愛いお嬢様がいらしてみな喜んでいますよ」


「可愛いお嬢様?」

 フェルディナンはよく分からないといったふうに首をかしげる。

 ローズを想うとき、瞼に浮かぶのは――


 医師として働いているときの、凛とした姿。

 美しく着飾ったときの、淑女然とした姿。

 子ども達に夕飯を食べさせているときの、慈愛に満ちた母のような姿。

 ソファーの上に横になり、口を半開きにして寝ている少女のような姿。

 デートと聞いて飛び上がって喜ぶ、年頃の女の子のような姿。

 7つ年上の自分にも物怖じせず進言する、勇ましい姿。


(くるくる変わる表情は、見ていて飽きない。が、可愛いお嬢様というのとは違うな。それとも……俺の前ではそういう姿を見せていないだけか?)


「まあだが、侯爵や兄君たちが溺愛するのも分かる気がするな。危なっかしくて目が離せん」


 男兄弟で育ったフェルディナンにとって、ローズはまるで未知の存在だった。

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