第30話 同棲じゃなくて同居です!
お家デートからわずか一週間後、フェルディナンの別邸へ引っ越すことになった。
といっても、主な生活空間は17平米の薬局のアパルトマンだったので、邸宅に持ち込む荷物は普段着と制服、そして書籍などが入った二つの旅鞄だけで済んだ。
ドレスや宝石など、普段の生活で使うことがないものは実家の私室に置いたままにしてある。
(それにしても、父様がこんなにあっさりと同居を許すなんて……。やっぱりこの婚約には何かあるわね)
その日は、多忙なはずのフェルディナンが自ら別邸の使用人へローズを紹介してくれた。ティボーと再会の挨拶を交わし、専属侍女となるターニャに伴われ屋敷の中を見て回る。
ターニャはフェルディナンが赤ん坊の頃から公爵家に務めているベテランの侍女らしい。公爵家の本邸と同様に、別邸の使用人たちはローズを温かく迎え入れてくれた。
フェルディナンの住む別邸は三階建で、彼の両親が住むタウンハウに隣接する敷地にある。ローズとフェルディナンの部屋は二階にあり、階段を上がって右端にフェルディナンの執務室が、左端にローズの執務室がある。
それぞれの執務室は続き扉でそれぞれの寝室へと繋がっていて、ローズとフェルディナンの寝室の間には、本来は夫婦の寝室となる部屋があるのだが、今は小サロンになっている。そのため、鍵をかけなければフェルディナンの執務室からローズの執務室まで、中の扉を通って自由に行き来できる構造になっている。
三階には図書室と客間にもなる私室が二部屋あるが、武具などを置いているだけで今は使われていない。
お互いをよく知るための同居だから、食事はできるだけ一緒にとろうという話になった。
公爵家へ毎月どのくらいの生活費を入れたらよいか、学校や診療所に持っていくお昼ご飯に夕食の残りをお弁当に詰めて持って行っても良いか、とローズが尋ねると、フェルディナンから「どういう意味だ?」とすごい勢いで聞き返された。
衣食住を提供してもらっている以上いくらかを負担したいし、お弁当は食費を節約するためだと答えたローズに、フェルディナンは難しい顔をして押し黙ってしまった。
お昼ご飯については料理長とも話をして、平日はローズとフェルディナン用にお弁当を作って持たせてくれることになった。普段、忙しいとお昼を抜きがちなフェルディナンの健康にも良いからと、思いがけず使用人のみんなに感謝されてしまった。
けれど、生活費の負担については最後まで首を縦に振ってくれなかった。
その日の夜遅く――。
フェルディナンは廊下からローズの執務室のドアをノックした。執務室といってもローズは公爵家の執務には関わっていないので、単なる勉強部屋となっている。
(就寝前のハグ、などというふざけた条件を自分から言い出したくせに、深夜を回っても挨拶にこないじゃないか……)
「ローズ嬢? ……ローズ嬢? 入るぞ?」
灯りが漏れているのに返事がないことを不審に思いながら足を踏み入れると、ソファーへ無造作に身体を横たえ、お腹の上に読みかけの医学書をのせたまま口を半分開けて寝入っているローズの姿が目に入った。
やけにモコモコした色気のない夜着を着ているわりに、裸足のままだから足先が冷たくなっている。
(そういえば、初めて会った舞踏会の時もハイヒールを脱いで裸足になってたな)
フェルディナンに気付かれないように平静を装いながら、必死で靴を探し当てていたローズの姿を想い出す。
「ふっ。こうしてみると、まだまだ子どもだな」
ハンカチで涎をふき取ってやってから、身体を抱えて寝室へと運ぶと、起こさないようにそっと寝台の上へ身体を下ろしベッドシーツを掛けた。
日頃から鍛錬をしているローズは引き締まった身体をしているが、抱えてみると驚くほど軽く、柔らかかった。そして何より、ミルクのような甘い匂いがした。フェルディナンの知っている女性達とは明らかに違う、自然に薫り立つ匂いだった。
夢を見ているのか、ふにゃふにゃ何かを言っている。モコモコした夜着をまとったローズはまるでウサギみたいだ。その様子が可笑しくて、一緒にベッドに横たわり肘を付いた姿勢で暫く見入っていた。
(妹がいたら、こんな感じなのかもしれないな)
思わず、えくぼのくぼみを指でつつく。
「ふっ、可愛いな。おやすみ、良い夢を」
そう言って額にキスを落とし、そっと寝室のドアを閉めた。
灯を消そうと再び執務室へ戻り、ふと読みかけの医学書の開いているページに目を落とす。
「ん……?」
医学書に挟まれていた一枚のデッサン画が目に入る。栞にしては大きすぎるサイズだ。
「似顔絵? ――王国の男じゃ、ないな」
それは、青年をモデルとしたデッサン画だった。切れ長のアーモンド形の瞳に、奥二重のまぶたが特徴的なその青年は、少し照れたように優しく微笑んでいる。
モデルと書き手、互いの好意が伝わってくる、そんなデッサン画だった。
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