第28話 初デートはお家に誘いました
夏の終わりが感じられる季節になった頃、ローズは初めてフェルディナンと二人で出かけることになった。
実家のタウンハウスまで迎えに行くと言われたが丁重に断り、国防軍の本部からほど近い時計台の前で待ち合わせることにした。フェルディナンが未だ多忙を極めており、職場の執務室で寝泊まりする日々だと漏れ聞いたからだ。
当日約束どおりの時間に向かうと、フェルディナンはすでに到着していた。力強い存在感は健在だが、遠目から見ても顔色が優れない。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「はい、おかげ様で元気にやっています。令息様は、お忙しくされているのでしょう?」
「まあ……通常どおりだな。今日はどこか行きたいところはあるか? なければ、行きつけのレストランがあるからそこで食事でもどうかと思っているんだが」
「今日はですね、私のアパルトマンへいらっしゃいませんか?」
「――貴女の?」
訝しそうに眉をひそめるフェルディナンの腕を取り、少々強引に薬局へと向かう。
「ただいまー!」
「――今日はあの変わった同居人はいないんだな」
「ユベール先生ですか? 多分、今ごろ朝昼兼用のご飯を食べているんじゃないかな。昨日は夜遅くまで実験してたみたいですから」
「いるのか……」
普通の薬局と違って、花屋のように様々な植物が育てられている建物の中を物珍しそうに眺めているフェルディナンを居住スペースの方へと案内する。
「さあ、こちらへどうぞ」
そう言って、フェルディナンを座り心地の良いソファーに掛けさせると、フェルディナンの前に背もたれのない椅子を持ってきて腰かける。
「はい、じゃあ令息様。これから簡単な診察をさせて頂きますね。まずは、触診から」
「は!?」
フェルディナンが驚いていることなどお構いなしに、ローズは下瞼の内側や舌の状態、首のリンパや脈拍、爪の状態などを順に確認していく。最後に聴診器で心音を確認するため、上着を脱ぐように伝える。
「この右胸の傷……いつのものですか?」
痛々しくて、思わず指先で傷痕をなぞってしまう。
彼の警戒心を呼び起こしたのか、ピクッと眉毛を動かしたフェルディナンだったが、至って平坦な声で「北との大戦で負傷したときのものだ」と答える。
「随分昔ですね。――その時、いくつだったんですか?」
「18かそこらだ」
「そんな若さでこれだけの傷……痛かったでしょうね。 その時、誰か側にいてくれたんですか?」
「ああ、当時の隊長がな」
「……独りじゃなくて良かったです。今でも、古傷が痛むことはありますか?」
「いや、ないな」
「そうですか。きっと、腕の良い医師が手当をしてくれたんでしょうね」
ローズは、若くして酷い怪我を負ったフェルディナンが孤独でなかったことに心から安堵した。
(北との大戦はたしか7、8前に始まったはず。……想い人の女性が行方不明になったことと、何か関係があるのかしら)
「診察するときは、いつもこんな感じなのか?」
「え?」
「こんなにベタベタと身体に触るのか?」
「そうですね……具体的にどこかの調子が悪くていらっしゃる場合はそうでもないですけれど、令息様の場合は健康チェックが目的でしたので。ところで、最近、睡眠時間はどのくらいとれていますか?」
「……4時間くらいだ」
「倦怠感、めまい、吐き気などはありますか?」
「倦怠感はよく分からんが、めまいは時々ある」
「――ちょっと耳の中を失礼しますね」
「こっちは異常なし、と」
「――なるほど。はい、診察は以上です。もう服を着て頂いて大丈夫ですよ」
日曜日の今日は薬局の休業日にあたるからひっそりとしている。居住側は北側にあるためあまり日差しは入らないが、通りの反対側にあるから静かに過ごせる。
「お茶が入りましたよ」
フェルディナンの体調に合わせてブレンドしたものをお茶請けと一緒に出す。
「悪いな。――そうだ、これは貴女に」
「え?」
「遠征先で珍しいお菓子を見つけたから。あと、このブローチの石は魔除けとして有名らしい」
「わぁ。嬉しい!! ありがとうございます!」
菓子箱の中には、色とりどりのお花の砂糖漬けが入っていて、それを見たローズは「わあ、綺麗!」と言いながら瞳をキラキラとさせている。次にブローチを手に取ると、「これは何という鉱石かしら。すごく素敵」と言いながら、頬に手を当てて顔をほころばせている。
フェルディナンはローズの素直なリアクションに思わず見入っていた。言葉と内心が乖離していることが日常の貴族社会をよく知る彼にとって、彼女が見せる純真な反応は実に新鮮だった。
「でも――」
ブローチを手にしたままのローズが不意に言葉を紡ぐ。
「ん?」
「遠征に行くたびにお土産を買って来なきゃなんて思わないでくださいね。無事に帰ってきてくださることが一番ですから」
「ふっ。そうか……分かった」
ローズの診断の結果、フェルディナンは過労により胃腸の機能が低下していた。茶葉を蒸している間に、僅かに香る程度にラベンダーとスイートマジョラムを混合させた、リラックス効果のある香油を焚いておいたのだが――。
案の定、お茶を飲み終わるか終わらないかくらいにフェルディナンの瞼が重たそうに閉じられた。
ソファーに腰掛けたフェルディナンが少しでも寝やすいように踵を持ち上げてソファーへ身体を横たえると、靴を脱がせた。ラベンダーのハーブで作ったアイマスクを当て、肌心地のよい布を掛ける。
「これで少しは睡眠負債が取り戻せるでしょう」
そうつぶやいて、ローズは居間の隣にある台所へと向かった。
通常の貴族令嬢は料理などしないのだろうが、ローズには前世の記憶があるし、リカルドの配下に所属していた時には料理当番も買って出ていたから、得意とまでは言えなくとも、家庭料理からサバイバル料理まで一通り作ることができる。
「令息様、あんなに胃腸が弱っているのに、レストランに連れて行ってくれようとしてた。やっぱり、今日はここに連れてきて正解だったわ」
フェルディナンには薬草粥を作ることにした。滋養強壮によい薬草がたっぷり入った雑炊で、疲れた胃腸に優しく、免疫力を上げてくれる優れものだ。
煮込んでいる間、台所の椅子に座って先程フェルディナンから貰ったお土産の砂糖菓子を頬張る。
「うん、甘くておいし~い」
(それにしても……あの強面の令息様がこんな可愛いお菓子を買ってる姿、想像できないわ。このお守りも。――誰かに助言を求めたのかしら?)
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