第26話 立派に演じてみせましょう
「それから、なんだ? この朝晩のお見送り、お迎え時と就寝前にハグをするっていうのは? これも以前にはなかっただろう?」
(実は酔ったときにノリで加えちゃったんだけど、そんなこと言ったらまた叱られそうだわ)
「侯爵家ではそうしておりますの。令息様もこれに倣って頂ければと」
「……これは要らんだろう?」
「この条件が飲めなければ、婚約はなかったことに」
「……善処する」
「え゛ーっ!?」
「どうして驚く? 貴女の要望だろう?」
「はい……」
(まさか、こんなふざけた条件をのむなんて……想定外だわ。堅物だと思っていたけど、意外に柔軟な人なのかしら?)
「では次にわたしからの要望を。――結婚するまでの間、貴女には私の屋敷で一緒に暮らしてもらう」
「はい?」
「定住地がないのは何かと不便だろうし、公爵家としても私の邸宅から通ってくれた方が外聞が良い。それに貴女の言っていた、愛し合える関係になれるかを確認するためには、一緒に住むのが一番だろう?」
「それは、まぁ……そうですけど」
たしかに婚約者として彼のお屋敷に住めば、学校にも職場にも近くて助かる。卒業と同時に7回目の婚約も破談に終われば、さすがの両親もこれ以上の縁談は諦めるだろう。そして結婚適齢期の令息様は女除けをしつつ、想い人を探すことができる。それに、行方不明者の捜索なら医師の私も何かお手伝いができるかもしれない――。
この婚約が思いのほか互いに利があることを理解したローズは、全ての婚約書類へ署名をし、フェルディナンの邸宅へは近いうちに引っ越すことで話がまとまった。
「よし。すり合わせはこんなところでいいな。両親が戻ってきたようだから、私の家族を紹介する。ついて来てくれ」
フェルディナンは先程の庭園へとローズを案内した。美しい花々が見渡せるガゼボに、二人の婚約を祝うテーブルが用意されていた。
木々の間から自然光が降り注ぐ開放的な空間に、様々な軽食や色とりどりのお菓子が並べられ、その周りには庭に咲く花々や子どもが描いたと思われる可愛らしい絵が飾られている。手作りの温もりに溢れた素敵なテーブルセッティングだ。
フェルディナンによく似た顔立ちのヴァンドゥール公マクシミリアンは、「よく来てくれた」とローズを労い、家族をひとりずつ紹介してくれた。
公爵夫人のビクトワールは、「思ったとおりだわ。素敵な女性に成長したのね」と目を細めてローズを抱きしめた。ローズは夫人の顔をまじまじと見たあと、思わず「女神様っ!?」と叫んで、みなを唖然とさせた。
初対面だと思っていた夫人から突然抱きしめられたことにも驚いたが、公爵夫人が13歳のときにお茶会で守ってくれた、あの目力の半端ない女性だったことにローズは驚き、喜んだ。
次に紹介されたフェルディナンの兄、ステファン卿は、なんと先日の舞踏会で令嬢達の暴挙を寸前のところで止めてくれたあの物腰の柔らかな紳士だった。
「あの日は、『自ら助け舟を出すとローズ嬢が更なるやっかみを買うことになるから、代わりに止めに入ってくれ』と弟から頼まれたんだ」と小声で教えてくれた。
彼の奥様であるコンスタンス夫人は、「せっかくの舞踏会だったのに、ずっと彼女を側においたりして。フェル、独占欲強すぎよ?」と軽くフェルディナンを窘めた後、「お話はよく聞いていたの。今日はお会いできてとても嬉しいわ」と心からの笑顔を見せてくれた。お茶会の間も、何かとローズを気遣い、気さくに話しかけてくれるのが嬉しかった。
ステファンとコンスタンスの息子である3歳のシモンは、「ろーずおねえさま、こんやく、おめでとう」と言って、可愛らしい花束を手渡してくれた。
テーブルの上に飾られた、フェルディナンとローズらしき女性が笑顔で手をつないでいる絵を指差し、「これはね、ろーずおねえさまと、おじうえのために、ぼくがかいたんだよ」と誇らしげに教えてくれた。
公爵は、フェルディナンと同様、終始口数が少なかったが、別れ際に「息子は仕事柄、王都を離れることも多い。不在時は遠慮なく頼ってくれ」と声をかけてくれた。
頼れる人がいる、そう思えたことで、王国での新しい生活への不安がすーっと軽くなっていった。
帰りの馬車の中、ローズは幸せな気持ちでいっぱいだった。誰かに守られている、と思う感覚は、久しぶりだった。先程から、心がぽかぽかと温かい。嬉しくて、無意識に足先をトントンと揺らしてしまう。
そんなローズの心中を知ってかしらずか、フェルディナンは「癖のある家族だが、みな貴女の味方だから」と言って、初めて穏やかな微笑みをローズへ見せてくれた。
その日の夜。
ローズは薬局のアパルトマンの小さなベッドで横になりながら目を瞑り、今日という幸せな一日を瞼の裏に焼き付けていた。
昨日までは存在しなかったものが、今日の自分には確かに存在している。
机の上には、シモンが描いてくれた絵が。
ベッドサイドのテーブルには花瓶に活けられた花束が。
心の中でフェルディナンの家族を一人ひとり思い浮かべながら、彼の婚約者でいる間は、公爵家のためにもお飾りの婚約者役を立派に演じてみせよう、そう強く思った。
――フェルディナンの邸宅を訪れてから数日後。
ローズはひとり馬に乗り、王都の郊外にある夕日が見える丘にやってきた。
お酒と、煙草と、2人分の杯を用意して。
リョウからプロポーズを受けたとき、2人で眺めた海に沈む夕日を重ねながら空へ杯を掲げた。
リョウの広くて大きな背中。
寝起きの数分間だけ二重になる奥二重の瞳。
はにかんだ笑顔……。
(記憶が蘇ってから8年も経つのに、今でもあなたに会いたくてたまらない。
だけど――そろそろ私も、前に進まなきゃいけないよね? 今を、生きなきゃ)
「リョウ……私ね、婚約したんだ。今回のは、今までと違って、自分の意思で結んだ婚約なの。相手の人もね、忘れられない女性がいるんだって。この先どうなるかは分からないけれど、見守っててくれるかな……」
今まで心の中でひっそりと抱えていた恋情を、ここに置いていくことにする。
自分なりの、婚約者に対する誠意として。
中途半端な自分と決別するための、けじめとして。
――そして迎えた翌週。両家の両親立会いのもと、婚約式が執り行われた。
伝統を重んじる公爵家らしく、慣例に則り粛々と式が進められる。
婚約書類の提出が終わると、フェルディナンから婚約指輪が贈られた。男性から贈り物をされたのは初めてで、しげしげと左の薬指に輝く指輪に見入っていたら、フェルディナンに顎を指でクイッと持ち上げられた。
(えっ、何!? 指輪に夢中で、何も聞いてなかった! 結婚式でもないのに、誓いの口付けとかあるの?)
直前まで、おでこか? 頬か? まさか……唇じゃないわよね? と目を見開いてドキドキしていたら、フェルディナンから「こういうときは目を閉じるものだ」と耳打ちされた。
素直に瞳を閉じると、おでこに優しい口付けが落ちてきた。
こうして、二人は晴れて正式な婚約者となった。
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