第25話 婚約の条件を詰めましょう……ん?
約束したとおり次の休みの日、ローズは婚約書類を持ってヴァンドゥール公爵家に出向くことになった。使いの者を送るとのことだったが、フェルディナン自身がローズのアパルトマンまで迎えに来た。
「婚約者なら当然だろう?」
さらっとフェルディナンは言うが……そんなものなのだろうか。これまでの婚約者には、エスコートはおろか手紙さえもらったことがなかったローズは、家族以外の男性から女性扱いされることに免疫がなかった。
「な~に、ロゼ。朝からラブラブじゃない。夜勤明けだっていうのに、恋のパワーってすごいわね!」
ユベールがからかってくる。
薬局のアパルトマンからヴァンドゥール公爵家のタウンハウスまでは馬車で15分程の位置にある。
「昨日は夜勤だったのか?」
「はい」
「大丈夫か?」
「え?」
「寝ていないんだろう? 身体は平気か?」
前世では体力勝負の男社会の中で生きてきたし、徹夜なんて珍しくもないのにこんなふうに身体を気遣われたことがなかったため、一瞬ポカンとしてしまう。
「ええ。大丈夫です。昨夜は急患の搬送が少なかったので、仮眠室で少し休めましたし」
(とはいえ、眠たいのは事実なのよね。酔っ払った時と眠たい時は、地が出ちゃうから気を付けないと。ただでさえ令嬢らしくないのに……)
「大変な仕事だな。家に着くまで寝てていいぞ?」
「いえ……初対面に近い男性の前で、さすがにそれは」
「今さらだろう? 初対面のとき、帰りの馬車の中で熟睡してたじゃないか」
「ぐっ……そうでしたか?」
(酔ってたし、疲労困憊だったから全然覚えてない……)
「ローズ」
「!?」
いきなり下の名前で呼ばれ、固まってしまう。
「貴女のファーストネームは『ジョゼフィーヌ』だろう? なぜミドルネームの『ローズ』で呼ばれているんだ?」
「10歳の頃、背中に大怪我を負って。その前まではジョゼフィーヌで呼ばれていたようなのですが、事故後は縁起を担いでか、ローズがファーストネームのように使われるようになったんです」
「――呼ばれる名が変わったときは、驚いただろう?」
「いえ……事故の後遺症で、それより前の記憶がスポッとなくなってしまったので」
「記憶を失った?」
「ええ」
まさか代わりに前世が蘇ってきましたとも言えないので、曖昧に笑ってごまかした。フェルディナンは何か感慨に耽っているようで、それからは二人とも無言のまま馬車に揺られた。
そうこうしているうちに、ヴァンドゥール公爵家が所有する王都のタウンハウスに到着した。庭園は美しく手入れされていて、色とりどりの花々があちこちで咲き誇っている。
(この景色、どこかで見た気がするわ。いつだったかしら)
「――立派な庭園ですね」
「ああ、後で案内しよう」
「ありがとうございます」
「……そういえば、以前はティボーが世話になったな。丁重にもてなしてくれたと聞いている」
「当然のおもてなしをしたまでです。それに、ティボー様とのお話は楽しかったですよ?」
「そうか」
フェルディナンがふっと嬉しそうに口角を上げる。
(そういえば、私が運営のお手伝いをしている団体に多額の寄付金が寄せられたのよね。多分、令息様だったんでしょうね。ドレス代の費用、ほんとに寄付してくれたんだ……)
玄関では10人を超える使用人が一列に並んでローズを温かく迎え入れてくれた。悪名高い自分がやってくることをどう思われるか不安だったが、無用な心配だったようで胸をなでおろす。
「婚約者の、ジョゼフィーヌ=ローズ・ドゥ・モンソー侯爵令嬢だ。近いうちに隣の別邸へ越してこられる予定だ。みんな宜しく頼む」
(正確には、婚約者になる予定の、だけど。それに、近いうちに隣に引っ越す? そんな話聞いてないけど……)
「ローズと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」
とりあえず話を合わせることにした。
フェルディナンはローズを本邸の応接間へと通した。ご両親は不在で、もうすぐ戻られるとのことだった。
「それでは、婚約の条件について詰めておこう」
ローズは作り直した婚約の条件を書き出した書類を差し出す。
「まずは貴女からの要望だが、背中の傷について――これについては承知しているから気に病む必要はない」
「そうですか。ただ、跡継ぎの問題は重要でしょうから、事前に公爵家が信頼する医師の診断を受けます。婚約を交わす否かは、その結果を受けてから決めてください」
「貴女のかかりつけ医のアドリエンヌ医師からは、妊娠・出産の機能に問題はないと聞いている。これ以上の検査は不要だろう? それに、不妊の原因が女性側にあるとは限らないんじゃないのか?」
フェルディナンの博識ぶりと公平さに瞠目する。知識はあっても、この国でそういうふうに考える男性は稀だからだ。
「それから婚約者や妻としての役割について――これも、案ずる必要はない。もとより私は次男だから、公爵家は兄が継ぐ予定だ。領地経営も公爵家としての社交も、兄と義姉が取り仕切ってくれるだろうし、跡取りとして3歳になる甥もいる。貴女は私のパートナーとして必要最低限の社交さえしてくれれば、学業や仕事を優先してもらって構わない」
「あのぉ……]
「なんだ?」
「後から幻滅されても困りますから初めに打ち明けておきますけど、私、淑女教育から目を背けてきたので令嬢らしい事は何もできないんです。音痴だし、楽器も弾けないし、刺繍もやったことがないし、お茶会を開いたこともありません」
「くくくっ。そこまでいくと爽快だな。――私は別に貴女にそういう事を求めているわけじゃない。それに、普通の貴族令嬢が出来ないようなことを貴女はできるのだから胸を張ればいい」
「……たしかに! 私、掃除・洗濯・料理と、身の回りのことはひと通り自分で出来るんです。それに、乗馬も得意です。どこでも寝れますし、お金がかかる女ではないと思います!」
「ふっ。そういう事を言ったわけじゃないんだが。まあ、十分だ。一応言っておくが、どこでもは寝るなよ?」
「え?」
「貴女は隙がありすぎるんだ。もっと女性としての自覚を持て」
「隙ですか?……令息様がずば抜けて気配を消すのが上手なだけじゃないですか? 私、普段は警戒心が強い方ですよ?」
「ふっ。そうか? なら、私以外の男性から馬車で送ってもらっても眠るなよ? 送り狼の可能性もあるんだからな」
「おくりおおかみ? ……妖怪? 令息様って、そういうの信じてるんですか?」
「はぁ――。意味、知らないのか。まぁいい」
「え?」
「とにかく、男には用心しろ。いいな? ――次に、従軍したら婚約破棄……新しい項目だな。まぁ、これについても異論はない。ただし、婚姻後の従軍は控えてもらう」
「えっ?」
「当たり前だろう? 私の子を宿している可能性のある女性を戦場へ送るわけにはいかない」
(……私とはそういう関係になれるということ? というよりも、婚約解消ありきのはずよね?)
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