第24話 お姫様抱っこに動揺しています

 噴水広場に着いたところで、フェルディナンに起こされると、なぜか向かいに座っていたはずの彼が隣に腰掛けていた。知らない間に彼が肩を貸してくれていたようだ。そういえば、首も痛くない。


 馬車が止められる場所で降り、フェルディナンに抱きかかえられた状態でアパルトマンへ向かう。たしかに足首を捻り、靴擦れの痛みはあるが、歩けないほどではない。下ろしてくれと再三頼むが、「貴女は見ていて危なっかしいんだ。少しの間だから、我慢してくれ」と言われた。


(お姫様抱っこなんて、恥ずかしすぎる! でも……暴れると却って彼の身体に負荷がかかるのよね。素直に従うしかないか)


 少しでもフェルディナンの負担にならないようにと、両腕を彼の首の後ろに回して身体同士が密着するようにつかまるが、先程からフェルディナンの高い体温とシダーのスパイシーな香りに包まれて、男性慣れしていないローズは何とも落ち着かない。


(それに……この格好はある意味、公爵家の紋章が描かれた馬車より目立つかもしれない)


 ローズが月に20日ほど寝泊まりしているアパルトマンは、薬局の2階にある。この建物は、1階の南側部分が薬局、北側部分が住人の共有スペースとなっていて、居間や台所、風呂などの水回りが備わっている。

 階段を上った2階には、独立した作りの部屋が3部屋あり、左端の1部屋をローズが借りている。

 また、半地下部分には、ユベール博士とローズの研究室が設けられている。


 薬局の鍵を開け中に入ると、まだユベールが起きていた。


「あ~ら、ロゼ! お帰り。今日はまた一段と綺麗だわね~。あら、今夜は殿方と一緒なの? 美男じゃないの。なーに、あんたの恋人? 良いわねー。恋する乙女!」


 こちらの言い分を全く聞くことなく言いたいことだけ言うと、さっさと研究室に戻っていった。ご機嫌な様子からすると、最近取り組んでいる薬の開発が順調に進んでいるのだろう。


「あっ、えーと、今のはこの薬局のオーナーのユベール博士です。ちょっと変わった人ですけれど、薬師としてはすごく優秀な方なんですよ! あはは……」


 フェルディナンの目が笑っていない。


(男と同居する阿婆擦れ女とでも思われているのかしら……)


「彼もここに住んでるのか?」


「はい、この薬局と、2階にあるアパルトマンのオーナーですから。診療所や学校からも近いので、2階の一部屋を借りているんです」


「なるほど……これは急いだほうが良いな」


「え?」


「いや……」


「あっ! でも、ユベール博士は心は女性なので、そういう過ちはあり得ませんから!」


 何となくフェルディナンが不機嫌な理由がそこにあるように思えて、急いで補足する。


「ふっ。そういう過ちとは?」


 フェルディナンが急にその整った顔をローズの鼻先まで近づけて瞳を覗き込んでくるから、情けないことに動揺してしまう。


「ぐっ……」


「くくくっ。すまない……からかった。――噂と違って、男慣れしてないんだな」


「令息様って、時々すごく意地悪なことを言いますよね? まるで兄様みたい」

「……」

フェルディナンがまた苦虫を噛みつぶしたような顔をし、眉間にしわを寄せる。


「せっかくですから、お茶でも如何ですか?」

「ありがたいが、遠慮しておく。それよりも、2階の部屋は安全なのか?」


「ええ。2階の部屋にも鍵はありますし、なんといいますか――おそらくですが、こちらに帰ってきてからは父が付けた影に監視……いえ、護衛されていると思いますので」


 フェルディナンは驚いた風でもなく、「あぁ……」とどこか会得した表情になり、一応、防犯上の問題がないか確認したいというので2階にある自室へと案内した。


「狭いですけど……どうぞ。こちらが私の部屋です」


「――ここで生活しているのか」


 17平米ほどのこの部屋は、公爵家の洗面所くらいの大きさだろうから驚くのも無理はない。

 けれど、ローズにとっては洋服や書物を収納する棚があり、物書きをするための机椅子とベッドが備わったこの部屋は十分快適だった。


 フェルディナンはコツコツと壁を叩いてみたり、窓の外を確認したりしている。


「隣には誰が住んでいるんだ?」


「以前はアドリエンヌ先生が住んでいたんですけど、今は空室で、来月から医学アカデミーの同級生が引っ越してくる予定です。右端の部屋はユベール博士が使っています」

 女医のアドリエンヌ先生は、ローズのかかりつけ医なのだが、先月、再婚を機に新居へと越していった。ちょうど同級生のアレクサンドルが下宿先を探していたので、ここを紹介したのだ。


「ふん……」


 一応、納得したということなのだろうか。遣いをやるから、次の休みにヴァンドゥール公爵家のタウンハウスに来てほしいとだけ言って帰っていった。

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