第14話 初めての顔合せの日、やって来たのは代理人でした
その日ローズは、王都の中心から離れた閑静な貴族街にあるモンソー侯爵家のタウンハウスにいた。7人目の婚約者となる予定のフェルディナンと顔合せをするためだ。さすがに顔合わせと婚約式が同時というのは乱暴すぎると抗議したのを、両親が聞き入れてくれたのだ。
部屋で身支度をしていると、執事が手紙を携えてやってきた。
そこには、男らしい角ばった丁寧な文字で、急な仕事により今日の顔合わせに伺うことができなくなったこととその謝罪、婚約に必要な書類を代理人に託したのでそれを受け取ってほしい旨が書かれていた。
「そう。じゃあ、今日の令息様との顔合わせはなくなったのね」
「はい。旦那様と奥様は別の日に延ばしていたお仕事をされるとのことで、すでにお出かけになられました」
「えーっと、じゃあ、その代理人の対応はわたしが行うということなのかしら?」
「少なくとも旦那様は、そのようにお考えのようです」
「わかったわ。久しぶりに皆が気合を入れて綺麗にしてくれたんだもの、お客様にお会いするのも悪くないわね」
「そうおっしゃって頂けますと助かります。では、代理人が到着次第、お知らせいたします」
「ええ、よろしくね」
ほどなくして、代理人が到着したとの知らせが入り、応接室へ向かう。
ノックをして部屋に入ると、すでに案内されていた代理人が椅子に掛けることなく、ローズに向けて深く腰を折り、洗練された美しい礼をする。
年の頃は30前後だろうか。ダークブラウンの前髪を丁寧に後ろへ流し、黒縁の眼鏡が特徴的な、知的で落ち着いた雰囲気をまとう男性だ。
「はじめまして、モンソー侯爵令嬢様。わたくしは、ヴァンドゥール公爵家の別邸でフェルディナン様の執事を務めております、ティボーと申します。本日は、主の不在を心よりお詫び申し上げます。フェルディナン様より、こちらの書類一式と舞踏会への招待状をお渡しするよう申し付かっております。どうぞお受け取りください」
「いえ。急なお仕事で大変でしたわね。たしか令息様は、国防軍にお勤めだとか。わたくしどもが、こうして平和裏に暮らせているのも、軍人の皆さまが国を守ってくださっているおかげですから、どうかお気になさらないようお伝えください」
「過分なお言葉に感謝いたします。それでは、私はこれにて失礼致します」
美しい礼をして退室しようとするティボーを「お待ちいただけますか?」と言って呼び止める。
呼び止められたことが意外だったようで、眼鏡の奥でグレーの瞳を忙しく瞬きしている。
「ティボー様は、令息様の代理人だと伺っておりますが、その理解で正しいでしょうか?」
「はい、本日は主の代理人としてやってまいりました」
「よかった。それでは、婚約の条件について、ティボー様と確認させて頂くことにいたします。お時間は大丈夫でしょうか?」
「はい、時間は大丈夫ですが、わたくしは公爵家の使用人にすぎませんので、どうぞティボーとお呼びください」
「律儀でいらっしゃるのね。わたくしが令息様と婚約することにでもなれば、そう呼ばせてもらいますけれど、今は候補者の一人にすぎません。ですのでティボー様、どうぞこちらのソファーにお掛けになって? それから、わたくしのことはローズとお呼びください」
ローズはティボーへ椅子をすすめ、侍女へお茶とお菓子を用意するよう目配せをする。一介の使用人に対するものとしては破格の待遇であるが、ローズからすると、我が家へご足労頂いた客人をもてなすのは当然の礼儀だった。
反してティボーは、まるで将来、婚約することも嫁入りすることもないとでも言いたげなローズの口調に、複雑な心持ちになった。
遠慮するティボーへ半ば無理矢理お茶を勧め、その間に受け取った書類へ目を通す。
どの書類にも、すでにフェルディナンの署名がなされている。王命による不本意な婚約であるだろうに、こちらに不利な条件が何も書かれていないことにローズは解せぬ思いを拭えない。
名目上、王命とうたっているものの、アステリア王国における王室の権力は絶対的なものではない。ヴァンドゥール公爵家ともなれば、王命による婚約を覆すこともさほど難しくはないはずだ。
「ふぅー」
思わず深いため息が出る。
「――何かご懸念な点がございますか?」
「いえ、あまりに立派な方との婚約に、少し気後れしてしまいまして。わたくしが、社交界で悪名高いことは、公爵家の皆さまもご存じでしょう?」
「っ、それは――」
「率直に申します。公爵家にとっても、そこに務める皆さんにとっても、わたくしとの婚約は屈辱的なことではありませんか?」
「いえ、そのようなことは決して――」
「――ごめんなさい。ティボー様に言うことではありませんでしたね。お願いがございます。今から令息様へお手紙を書きますので、お渡し頂けますか?」
ローズは自室へ戻り、急ぎ、フェルディナンに宛てて手紙を書いた。
概要はこんな感じだ。
一つ 自分には背中から腰にかけて長さ15センチメートルの刀傷痕があること
二つ 妊娠・出産の機能に障がいがないとは言いきれないこと
三つ 日常生活では学業と仕事を優先するため、婚約者や妻としての役割は期待しないでほしいこと
最後に、これらのことを知った上でなお婚約の締結を望むまで、こちらから婚約書類への署名は行わないことを記した。
これだけ正直に事実を述べれば、放っておいても相手から婚約を辞退してくるだろう。フェルディナンは次男とはいえ、ヴァンドゥール家は代々国防の任を果たしてきた公爵家である。彼が後継者になることだって十分考えられるのだ。
(この若さで将軍となった彼ならば、もっと有利な縁談の申込みは山とあるでしょうし、跡継ぎの存在は最重要事項でしょうしね)
ローズは手紙を携えて応接室へ戻り、ティボーに手渡した。
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