第8話 帝国の俗語を理解する人がいたようです

「ソレデハ オゲレツナ ミナサマ、ゴキゲンヨウ」


 これは帝国オストリッチ語の俗語。その意味を理解する者はいないはずだった。 たった一人、シガールーム入口近くの回廊で護衛にあたっていた近衛騎士を除いては。ローズが去った後、彼が「くくくっ」と噴出したことに、気付いた者はいなかった。


 その近衛騎士の名は、フェルディナン・ドゥ・ヴァンドゥール。

 アステリア王国の三大公爵家の一つ、ヴァンドゥール公爵家の次男であり、弱冠23歳にして国防軍の東部地方を統括する副将軍を務める男でもある。


 その日フェルディナンは、騎士学校時代の同級生で親友でもあるロベールから、婚約者のデビュタントでエスコートしたいからどうしてもと頼まれ、彼の代わりにシガールーム近くの回廊で護衛をしていた。


 王国の騎士学校を卒業した者が歩む進路は主に2つある。

 一つは、フェルディナンのように国防を司る国防軍に入隊する道。

 もう一つは、ロベールのように国内の治安維持を司る騎士団に入隊する道、である。


 フェルディナンはいわゆる国防軍に属する軍人であるが、今夜だけは友人の代理で近衛兵として王宮で開かれる夜会の警備にあたっていた。諜報活動もその職務に含まれるフェルディナンにとって、こうして王宮で開かれる夜会に参加してシガールーム等で交わされる裏情報を仕入れることは有益だからだ。


 若くして副帥の職に就いたフェルディナンだったが、時おり、こうして若かりし頃のように現場の職務に当たることを彼は好んだ。


「くっ。まさか、こんな面白い場面に遭遇するとはな。とてもじゃないが、あの若造が手に負える女じゃないだろう……」

 淑女然としたローズの男勝りな言動に、フェルディナンは兜の下で口角を上げて笑った。


 デヴィッドが出て行ったシガールームには、相変わらずマチアスとエクトル、マリーが侍っていたが、そこへかつての貴族学院の同級生が数人加わった。


「おい、お前たちデヴィッドの婚約者見たか!? すごい美人だったぞ?」


「醜悪令嬢なんて真っ赤なウソだよな」


「でも、背中に酷い傷痕があるって専らの噂よ?」


「その噂も嘘なんじゃないか?」


「なっ……顔はともかく、貴族学院にも通えないくらいだもの。オツムが弱いのではなくて?」


「それがさ、オストリッチ帝国の帝国医学校に通ってるんだって」


「あそこって最難関校だろう? 本当だったらすごいよな」


「しかも、あのモンソー侯爵家の次女だろう?」


「くそ~、デヴィッドのやつ、どうやってそんな良縁を手に入れたんだよ」


「悪縁、の間違いじゃないかしら。これまでに5回も婚約破棄されてるらしいわよ?」


「それでってわけか。実はああ見えて、男に惚れやすいとか?」


「そういう風には見えなかったけどな。凛々しいというか、気高いというか。ちょっと取っつき難いオーラがあってさ」


「そうそう。逆に彼女の方から婚約破棄を突き付けたって考える方が、しっくりくるよな?」


「あー、俺もああいうお姉さまタイプに叱られてみたい……」


「もう何よ、みんなして! あんな可愛げのない女、デヴィッド様が相手にするわけないじゃない!」

 

 マリーはそう叫ぶとテーブルに置かれていたグラスを掴み、一気に飲み干した。

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