第一章 《城》

第2話 目覚め

  2


 痛い。


 目を覚ました途端、呻き声を上げてしまう。躰が痛い。


 首も強ばっているし、頭もずきずきする。枕代わりに畳んで敷いていた服は、どこへやったのだろう。

 身を起こそうとすると、いつものように、肩から背中へ巻かれた鎖の重量がのしかかってきた。

 鉄製の輪を連ねて躰に絡め、両端を金具でつないで閉じた拘束具だ。手足の動きは封じない。重量で動作を妨げ、武装した監督官に反抗できなくさせるためのものだ。


 痛みが頭を刺し、また呻き声が漏れた。


 普段なら、鎖があっても、起き上がったりちょっと走ったりする程度の動作には支障はない。重量は体重と同程度。訓練で身につける行軍用装備と変わらない。

 要するに、慣れている。

 でも……今は……。

 あいつら、睡眠薬の量を間違えたんじゃないのか。

 見慣れない石のタイルの床に這い、震える腕に力を込め、声に出さずに毒づいた。

 「家畜」が暴れないように薬を打つのは、《施設》の連中の常套手段だ。

 痛みに耐えながら、苦労して、何とか床に座り込む姿勢まで起き上がる。

 そこで、ようやく、周囲の様子が目に入った。


 ──どこだ、ここは?


 不安になるほど広々とした部屋、いや、広間だった。

 天井は吹き抜け。三階分の高さがあり、蝋燭型の電球を集めた照明が吊り下がっている。

 床はタイル張り。細かな形と色を組み合わせ、美しい幾何学模様を描いていた。見慣れた灰色の床とは大違いだ。

 戸惑ってさらに見回すと、離れたところからこちらを見つめている目に出会った。

 僕と似たような年頃の子が、壁際のあちこちにいる。人数は十人と少し。男の子と女の子がそれぞれ数人ずつ。そのうち何人かが、僕の方を見ている。

 見覚えのある顔はなかった。

 向こうも同じようで、気味が悪そうに僕や、僕の背の鎖を眺めていた。

 いちばん小さい子は十二、三歳くらい。上は、僕よりひとつふたつ年上、十八歳か十九歳というところか。

 栄養状態はおしなべて悪い。服装は、汚い布を躰に巻いているだけの格好から、僕のように服と呼べるものを着ている子まで、色々だ。

《施設》の子は僕だけだと、すぐに分かった。

 僕だって施設の中では小柄な方だけど、あの子たちよりはましだ。あの体格じゃ、満足に装備を扱えないだろう。拘束具をつけられている子もいない。


 ということは、ここは、《施設》の外なのか。


 曖昧な記憶が頭を掠めた。


 ──厄介払い……。


 そうか。本当に、僕は、棄てられたのか。

 思わず、息が漏れた。

 あの檻に未練も愛着もあるわけじゃない。でも、全く馴染みのない場所、顔も名前も知らない子供たちの中に放り出されると、足下が定まらないような覚束なさを感じる。

 他の子たちも僕と似たような様子だ。部屋の中を見回したり、他の子の様子をうかがったり、落ち着かない素振りを見せている。

 横になったまま動かない子もいた。まだ眠っているのか、そのふりをしているのか。


 それとも、死んでいるのか。


 冷気が胸に入り込んだ。

 危機感に急かされ、頭が回り始める。

 とにかく、生き延びることを考えよう。

 ここがどこであれ、じっとしていたって仕方がない。食べ物も、身を守る武器も、自然に湧いて出たりはしない。

 もしも本当に《施設》からの支給がなくなったのなら、自分で手に入れなければ。

 見たところ、この広間には、古い木の帳簿台のようなものがあるだけだ。物資の入っている棚や箱はない。

 円形の床に沿って弧を描く壁には、扉が四つ。

 僕から見て右手の壁に、黒光りする両開きの大扉がひとつ。その向かいに、木の扉が三つ。

 両開きの大扉は施錠されていた。

 試しに近づいて押したり引いたりしてみたけれど、びくともしない。

 次は木の扉だ。こちらは鍵が掛かっていない。僕と同じようにうろついていた少年が、いちばん左の扉を開けて出て行った。足にうまく体重を乗せられないような、ぎこちない歩き方だった。


 やっぱり《施設》の奴じゃないな、と思う。

 ああいう戦闘に向いていない躰の子供は、あの施設にはいない。


 第一、《施設》育ちなら、あんなに無防備に外に出て行くものか。向こう側に何がいるか分からないのに。

 躰に刻み込まれた警戒心が、「あいつがどんな目にあうか見てから行け」と囁いた。

 僕は鎖の重さに逆らって急いで扉に寄り、隙間に手をかけて、閉まるのを防いだ。

 向こう側の気配を窺う。

 静かだ。悲鳴や怒鳴り声は聞こえない。争う物音も。酒や薬に酔った笑い声も。

 遠ざかっていく、弱々しい不器用な足音だけだ。

 しばらく待って、安全だと確信が持ててから、音を立てないように扉を開けた。

 向こう側へ滑り出る。探索を始める。

 後に《城》と呼ばれることになる建造物の、最初の探索を。





 外へ出ると、肌寒い空気が頬を撫でた。

 目の前は中庭だ。広い長方形の庭の周囲を、回廊が取り巻いている。

 回廊の外側の壁には扉が並んでいて、周囲の建物の中へ入っていけるようだ。

 庭にも建物にも、やはり、見覚えはない。映像資料で見た記憶もない。

 広い庭の上に天井はなく、空が見えた。夕暮れ時の、群青色の空だ。


 ──夕方、か。


 いったい今日は何日なのだろう。

 僕はどれほどの間、眠らされていたのだろう。

 最後の明瞭な記憶は、普段どおり、消灯時刻に寮の部屋で就寝したことだ。狭い二人部屋で、扉の鍵は寮監の男の手で外から掛けられ、内側からは掛けられない。

 今が夕方だということは、少なくとも、ほとんど丸一日眠っていたことになる。

 躰の怠さや空腹具合から推測して、一日か二日。

 それ以上ではないと思う。たぶん。


 黄昏の空から風が吹き下り、躰に震えが走った。

 上着は着ているが、裂けている。空気が入り込んで寒い。

 気温は普段よりも低い気がした。北部のどこかなのか、それとも、高地なのか。

 どちらにしても、南部の町外れにあった《施設》からは離れた場所だ。

 考えながら、周囲を観察した。

 中庭と回廊の間は、腰の高さの壁で仕切られている。回廊の天井は仕切り壁の上まで張り出して、細い飾り柱で壁の上端に繋がっていた。

 仕切り壁の向こうの庭は、雑草と伸びすぎた樹の枝に埋もれていた。壁や飾り柱も汚れて黒ずみ、蜘蛛の巣が張っている。床にも埃が積もり、さっきの少年に蹴散らされて、足を引きずったような模様を描いていた。


 長いこと手入れがされていない建物。

 誰かが住んでいるとは思えない。廃屋といってもいい。


《施設》の監督官たちは、いったいどうして、僕をこんなところに棄てたのだろう?


 手がかりを求めて、回廊の壁に並ぶ扉を、手前からひとつずつ開けてみる。

 鍵が掛かっている扉。

 壊れてうまく開閉できない扉。

 開いたと思ったら、中が真っ暗で、何も見えない扉。

 収穫がないまま、回廊の奥の角を右に曲がる。次は、両開きの大きなガラス扉だ。


 ──開いた。


 部屋というより殺風景な通路といった方がいいような、がらんとして暗い空間が奥へ延びていた。突き当たりにもうひとつガラス扉があり、ぼんやりと明るい。どうやら屋外に出られるらしい。

 少し考えて、引き返すことにした。

《施設》では、許可なく建物の外に出る行為は、脱走とみなされるからだ。ここがそうじゃないという保証はない。慎重に振る舞うべきだ。死にたくなければ。

 回廊に戻る。もう中庭の周りを半周以上して、最初の広間から中庭の方に向かって右手の斜め奥まで来ている。

 次の扉は中途半端に開いていた。

 隙間から白い光が漏れ、声が聞こえた。

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