第12話 最後の晩餐
皆の靴が小さな下駄箱を埋め尽した。皆がくつろいでいる居間がざわつく。
烏三子に住所を教えてしまったことに気づいたけど、彼女は無断で入るとは思わない。念のため、烏三子が早く天国に帰ることを願っていた。
「日向の家にやっと来た!」と烏三子は燥いだ。
「広くて素敵な家だね」と天奈は居間を見回しながら言った。
長閑はここに来たことがないふりをして、烏三子のように燥ぐようにした。
なぜか私の家は心地よさそうだ。ほとんど人暮らしをしている私にとって、この家は狭くあまり心地よくないのに。
「じゃ、どうしようかな?」と天奈は切り出した。
烏三子は床に横たわったまま上を向いた。
「まあね。今の吾輩は、天国に帰りたいとは思っていない。この心地よい家さえ出たくないんだ」
「天国はここより何倍も心地よいけど」と天奈は正論を言った。
「そうだなぁ。本来ならば、吾輩は天使になると天国に帰るんだね。天使は地球に佇んでいる者ではないから」
「ね、烏三子。今までずっと天国に帰ろうとしていたんで、本当に帰りたいと思うよ。でも、友達の幸せそうな顔を見ると地球にいたくなるんだよね」と私も正論を言った。
「ありがとう、日向。吾輩の気持ちはよくわかるね。やっぱり天国に帰らなければいけない。まだやり残したことがあるんだし。ちょっとわがままなんだけど、最後に楽しいことをしないか?」
「うん、楽しみだね!」
今夜は、生涯で一番楽しい夜かもしれない。
台所から料理の匂いがする。長閑はエプロンを着たままいろんな材料を混ぜる。私の存在に気がつかないほど集中しているようだ。
今度はリボンを持ってきたから、彼女は髪をポニーテールにした。その髪型は長閑によく似合う。
「なにか足りないんですね」と長閑は溜息混じりに言った。
「あの、私も手伝っていいの?」
「日向? いつから入りましたかな」
長閑は少し驚いた表情で私を見た。
「あ、驚かせてごめん。何かを悩みそうなのでちょっと手伝うかな、と思って」
「そうですか? えーと、この食事の感想を聞きたいんですが」
「うん、試食は私に任せてよ」
「本当? 助かりましたぁ」
長閑はほっとした。小盛りのチキンを皿に載せて私に手渡した。
「これ、食べてみてください」
「美味しそう! いただきますわ」
チキンは赤いソースに塗られる。一口食べると辛い味が口の中に広がっていた。少し辛すぎるけど、凄く美味い。もっともっと食べたくなった。
長閑の不満がさっぱりわからない。私にとって、この食事は名作としか言えない。
「いかがだったでしょうか?」と長閑は首を傾げて言った。
「とっても美味いよ! ちょっと辛すぎるかもしれないけど……」
「そうですか……。では、仕上げをします」
「じゃ、私は配膳しようと思う」
背後で長閑がチキンに何かを振りかけるのをちらっと見た。私は食器とナプキンを手に取って食堂に行く。食卓を整え終わると、皆に声をかけた。
「皆、できたよー!」
烏三子と天奈は席について、長閑は皿を食堂に運んで入った。
「ほう、我が専用料理人は良い食事をできたか」
「もう堕天使ではないのでそんな話し方をやめろよ」と天奈は烏三子を諭すように言った。
「わかってるのよ……」
「喧嘩しないでよ、長閑はせっかく食事を用意したから食べようね」
烏三子と天奈は静かに頷く。私は長閑の隣の席について、やっと食べ始めた。
「えぇ、激辛じゃないか?」と烏三子は目を見開いて言った。
「猫舌、か」と天奈はどや顔で言った。
「ちょっとやりすぎたかな」と長閑は烏三子に気を遣うように言った。
私は皆の燥いだり笑ったりする姿を見ながら食べ続けた。そのままで続けばいいと思ったけど、そろそろお別れの時間が来る。食べ終わると、天奈と烏三子は手をつないで天国に帰るんだからね。
その前に、今日のことを目に焼き付けておきたい。右手をポケットに突っ込んで携帯を探った。
「ね、一緒に写真を撮らない?」
「食べながら携帯を使わないでください、日向」と長閑は私を諭すように言った。
「じゃ、皆が食べ終わったら撮ろうね」
カランカラン。
台所から皿を洗う音が聞こえてきた。
「皿を洗わなくていいよ、せっかく料理してくれたさ」
「そうですか……。まあ、あたしはもう洗い始めたから日向は食堂に戻って烏三子と話して」
「いや、ここで手伝うわよ」と私は口を挟んだ。
「ならいいんですけど」
片付け終えてから、私はもう一度ポケットから携帯を取り出して皆と合流した。
「じゃ、今写真を撮ってみるね」
左側に天奈、右側に長閑が立っている。真ん中に烏三子の
「あの、烏三子はちょっと近すぎるんだけど……」と私は言って烏三子は一歩下がった。
「どう?」
「か、完璧だよ」
完璧には程遠いけど、これ以上よくなれる気がしない。カメラを構えて、セルフタイマーを始めた。私は走って烏三子の隣に立った。五秒後にシャッターが大きな音を立てた。なんとか間に合ったようだ。
携帯の仮面を見た。私が想像した写真とは違うけど、それなりに完璧だと思う。
「見て見て!」
烏三子たちが携帯の前に集まってきた。
「えぇー、思ったより上手なんだね」と烏三子は目を輝かせて言った。
「一応景色とかを撮ったことがあるけど、人を撮るのは初めてなんだ」
「初めてなのにそんなに上手いなんて……」
「絵になると思いますよ」
たくさんの褒め言葉に私は少し恥ずかしくなった。目を逸らして窓を見ると、結構遅くなったことに気がついた。満天の星がきらきらと輝いて、街灯の薄明かりが前庭を照らしている。
「そろそろ時間だね、烏三子」と天奈は烏三子の肩を叩いて言った。
「うん、そうね。本当にありがとう、せっかく吾輩のために料理してくれて。ごちそうさまでした」
「あ、あの……」
「何、日向?」と烏三子は振り向いて言った。
「烏三子こそありがとう、私のつまらない日々を面白くさせてくれて」
「何を言ってるの?面白い日々が始まったばかりだよ!長閑はずっと日向のそばにいるし」
そう言えば、烏三子が天国に帰っても私は独りぼっちじゃない。友達が一人だけ増えれば十分だった。
「じゃ、吾輩はこれで」
「最後に見送るよ」と私は涙を抑えようとしながら言った。
でも、悲しい涙ではない。烏三子と会えなくなった雨の降った夜と違って、今の涙は幸せなんだ。
烏三子の姿がだんだん夜に消えていく。涼しい風が私たちを吹き抜けて、髪をなびかせる。天奈と烏三子は手をつないで、振り向かずに歩き続けた。烏三子の言う通り、長閑は私の側にいてくれた。彼女の暖かい手を固く握って、夜空を見上げた。
遠くには、天使の輪が夜空に尾を引いている。
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