第10話 めぐり合いたくない

 ゆっくりと歩きながら、私は気温の低さに気がついた。地獄は蒸し暑くてたまらない場所だと思い込んでいたけど、それは大きな勘違いだったようだ。

 ここは本当に地獄ではないかと頭をよぎった。本来ならば地獄で目が覚めたら、私は半裸のまま四肢が鎖で縛って悪魔や堕天使に襲われたはずだし。なのに、悪魔はほんとんどいなくて、私と長閑は制服をまだ着ている。

 おそらく誰かの悪夢の中にいるかもしれない。こんな虚しい場所が地獄であるなんてはずがないでしょう。


「あのね長閑、ここは本当に地獄だと思うの?」

「もちろんです」

「悪夢だけだと頭によぎなかった?」

「悪夢だったらとっくに起きたでしょう」

「ま、そうだよね……」


 長閑の言う通りかもしれない。今は悪夢の中にいると思い込むことや、すぐにここから脱出できると信じていることはただの楽観的な妄想でしょう。それでも、すぐに目が覚めて全てをなかったことにするのを心から信じていた。

 前を向くと、周りが少し明るくなっていくことに気づいた。その見慣れた熔岩がもう一度視界に入って壁をオレンジ色に照らす。どうやら地獄を一周したようだ。これからどうすればいいかわからなくて溜息を吐いた。長閑をちらっと見ると、彼女は退屈そうな顔をしている。


「まいったなぁ」


 湧いてきた興奮とやる気が完全に消えてしまった。登山に例えると、山頂にたどり着いたと思った途端、実はスタート地点に戻ってしまったような感じだ。


「では、これからはどうすればいいのでしょうか?」と長閑は困った口調で訊いた。

「私もわからないわ……」


 しかし、このままでは私たちは悪夢(じごく)に余命を過ごすことになる。だからこそ、脱出方法を見つけなければいけない。


「ね、長閑ー」と私が切り出した途端、突然爆発音が耳に鳴り響く。私は反射的に両手で耳を塞いでうずくまった。

「の、長閑、大丈夫か?」

「あの、何をしていますか?」

「え、さっき爆発音でも聞こえなかったのか?」


 耳を疑った。幻聴なのか?でも、よりによってなんで爆発音だったのか?

立ち上がろうとすると、もう一度の爆発音が耳を貫いた。洞窟の岩が突然上下に震える。


「ま、待って、洞窟が崩れそうだよ、長閑!!」


 長閑が上を向いて悲鳴を上げた。彼女の腕を引っ張って全力で走る。二分ぐらい走ってから、立ち止まって振り向いた。大きな音を立ててたくさんの岩が落ちた。長閑の腕を放して安堵の溜息を吐いた。


「ごめん、日向。あたしはちゃんと耳を澄ましていなかったかもしれない」

「長閑のせいじゃないよ」


 再び立ち上がろうとしたら、今回は爆発がなかった。周りが土埃に包まれていたけど、誰かの姿の輪郭がかすかに見えた。私が声をかけるか躊躇している間、その姿がだんだん近づいてくる。

 その人が土埃から出てきて顔を見た途端、私はすぐに目を疑った。ここにいるはずがないのに、目の前に立っている。


「よ、我が眷属」

 

 よくわからないけど、烏三子も地獄に堕ちたようだ。


「烏三子!? なんでここにいるの?」

「日向こそなんでここにいるの?」

「お前のせいで長閑が死んで悪魔が現れて私を殺したんだよ」

「そうか……。まあ、吾輩は天国に入った後、全身が酷く痛くて気を失った。目が覚めると、地獄に堕ちたことに気づいた」

「ざまあみろ! 烏三子をずっと手伝っていたのに、占い師の言う通りに私を裏切るなんて許せないわよ!」

「気持ちはわかるけど、吾輩はまだ魔法が使えるようだ。だから力を合わせれば脱出できるかもしれないね」

 

 何らかの証拠として、烏三子は手から紫色の魔弾を放った。どうしても地球に帰りたかったから、私はしぶしぶ烏三子の案に乗った。


「わかった、もう一度力を合わせてあげるわ。でも、長閑を殺そうとしてはいけないよ」

「彼女はもうエクソシストではないので殺したりはしないよ」


 長閑はほっとした表情で私を見た。


「ありがとうございます。では、三人で脱出を始めましょうか?」


 そして、烏三子の足元に魔法陣が現れた。


「じゃ、吾輩の指示に耳を澄ませよ」


魔法が使えない私と長閑は、まだ役に立ちそうだ。


 烏三子と長閑は敵ではなくて友達であればよかったのに。

 お互いの家に行けばよかったのに。

 長閑と烏三子は普通の女子高生であればよかったのに。

 最初からそうであればよかったのに、と私はふと思った。

 こんな風に三人でいるのが懐かしい。色々あったけど、今も友達でいたい。ここから脱出したら互いの家で遊びたい。もう一度長閑の料理を味わいたい。

 だから、私は頑張って烏三子の指示を必ず遂行する。口を揃えて、呪詛を唱え始めた。




「あと少しで終わるよ!」と烏三子は励ますように言った。


 魔法陣がだんだん大きくなった。


「魔法陣が完成したら次は何をしますか?」

「できるだけ早く脱出するのよ!」


 魔方陣は五割くらい完成した。悪いけど、私は楽勝だと思い込んで少し気を抜く。周りを見渡すと、私は大失敗を犯したことに気づいた。

 大きな唸り声が響き渡って、背後から巨大な悪魔が私たちに影を映し出す。魔法陣の紫色の光とその悪魔の鮮やかな瞳しか見えなかった。


 長閑が大きな影に気づいて振り向いた。


「あの、ちょっと問題があるようですね」と意外と冷静に言った。


 そして、悪魔は一歩近づいた。踏み出すたびに地面が地震が起こったように強く揺れる。


「う、烏三子の指示は?」と私は怯えながら言った。

「んー、めんどくさいなぁ」

「もっと役に立つことを言いなさいよ!」

「まあ、吾輩だけ魔法が使えるからしょうがないね」と烏三子は肩をすくめて言った。

「じゃ、私は悪魔の気をそらしてみる」

「また我が眷属と一緒に戦える日が来るとは思わなかった。懐かしいなぁ」


 私たちは悪魔と向き合って、一歩距離を詰めた。烏三子が魔弾を連射している間に私はまっすぐに悪魔のもとへ走る。魔弾が一つ一つ悪魔にぶつかって悪魔がよろめいた。しかし、お返しに悪魔は巨大な手を振り上げて地面に叩きつけた。地鳴りに耐えられなくて私は倒れてしまった。

 悪魔は左手で私を掴もうとしていることに気づいて、それをかわすために地面に身体からだを転がす。その際、悪魔の弱点に気がついた。左手の裏側に大きな傷口があるようだ。


「烏三子、左手の裏側を狙って!」

「ほう、目が鋭いね! さすが我が眷属」


 悪魔の気をそらすために私は地面に横たわって、烏三子はタイミングを見計らって両手ででっかい魔弾を勢いよく放った。弱点にぶつかると、悪魔が膝をついた。長閑が私のもとへ走ってきて魔弾の爆風から守ってくれる。爆発音が大きく鳴り響いて、私は耳を塞いでうつむく。

 見上げると、悪魔の凍りついた身体からだがだんだん千切れていく。左手の傷口から出てくる赤黒い泥が私と長閑の身体を覆った。必死に手で拭おうとすると、魔法陣の光が紫色から緑色に変わったことに気づいた。


「烏三子、魔法陣の色が変わったよ!」

「ああ、完成したようだ。早速入って」


 私と長閑はお互いを支えながら歩いて魔法陣の真ん中に立った。烏三子と手をつなぐと、周りがだんだん見えなくなった。少なくとも、もう地面に立っていないことが確かだ。どちらかというと、まるで空を飛んでいるような感じがした。


「本当にありがとう、烏三子」と私は半泣きになりながらささやいた。


 私たちは、地獄から脱出できたようだ。

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