第7話 蔵

 目が覚めると、どこかの倉庫にいることに気づいた。驚いて悲鳴をあげようとすると、唸り声しか出てこなかった。私は制服のネクタイで猿ぐつわをかまされたんだ。体を動こうとしたけど、両脚と両手が縛られたから身動きがなかなか取れない。

 屋内は暗くて何も見えないけどスポーツ器具の輪郭が月明りに照らされた。ここは校庭の近くにある体育倉庫に違いない。

 酷い頭痛がした。どうやってここに来たのか考えてみると、後ろから殴られたことを思い出した。あいつらに頭を殴られたっけ?

 どうすればいいかわからなかったから必死に椅子に藻掻いた。何回藻掻いてもロープが解けないので時間の無駄だと受け取って諦めた。

 天窓から月明りが倉庫に差し込む。こんな遅い時間に誰もいないでしょう。誰かが私を助けてくれる可能性はほとんどゼロだ。

 まあ、最悪の場合はここで夜を明かして、明日は誰かが倉庫に入ると思った途端、次の体育の授業が後三日に気づいた。つまり、誰かが助けに来なければ私はここで三日間を過ごすことになる。

 もう一度藻掻き始めた。声も出してみた。


 でも、「助けて」と叫んでみると「たっふけてぇ」しか出てこない。

 

 ネクタイの猿ぐつわのせいで発音がしにくくなったけど意味が通じた。五、十、二十回も叫んだけど、予想通り誰も来なかった。

 どうやら自分で抜け出すしかないようだ。椅子から落ちて壁まで転がった。ネクタイを外すために棚の角で口元を犬のように上下にこすりつけ始めた。きつく縛ったネクタイはなかなか外さなかいけど、とにかく必死にこすりつけ続けていた。

 でも、一番上の棚に置いたベースボールの状態に気づかなかった。棚が強く震えて、積み重なったベースボールが豪雨のように落ちる。

 床にぶつかって大きな音を立てた。目の前のベースボールは落ちながら口元にぶつかってネクタイを少しずつ外してくれる。これでいける気がする。もう一度棚の角に口元をこすりつけると、ネクタイがやっと外れた。顔を上げるとネクタイは落ちて、マフラーのように首元にきつくまきついている。

 大きな声で喘いだ。一息ついてから突然首筋に痒みを感じる。後ろ髪が首元に落ちたネクタイに挟まったんだ。頭痛がしたから頭をあまり振りたくないけど、痒みに耐えられなくて振らずを得なかった。でも、後ろ髪はまだネクタイに挟まったままだ。

 この痒くてたまらない感じは占い師に行った日と同じだった。私は烏三子への予言をふと思い出した。


『あなたは友達を裏切らなければ天国には入れない』


 じゃ、この誘拐も烏三子の仕業なのか?

私を裏切らないと約束したのに……まあ私も烏三子も長閑も一応嘘つきだった。皆がお互いを守るために嘘をついたんだ。

 私はネクタイを外すのに全力を尽くしたから疲れている。冷たい床に横になって早く眠りについた。




 青白い月明かりの代わりにオレンジ色の陽射しが庫内に差し込んで、徐々に目が覚めた。何時かわからないけど、生徒の声が聞こえない。まだ早いか。椅子の方へ転がると、誰かの手紙が床にあることに気がついた。

  

   ごめん、日向。

   本当に裏切りたくなかったけど、

   もう仕方がないね

   天国に帰る途中だから、

   二度と会えないね


  ー うみこ


 この手紙はなんかおかしいよね?署名を見ると烏三子からの手紙だと思うかもしれないけど、おそらくそうではない。書き方は烏三子とまったく違うんだ。烏三子が書いたらどうなるか想像してみた。


   ごめん、我が眷属。

   本当に裏切りたくなかったけど、

   下僕だからいいだろうね

   吾輩は天国に帰る途中だから、

   二度と会えないね


            ー 烏三子


 確かにこっちの方がもっと烏三子らしい。つまり、手紙の差出人は烏三子に濡れ衣を着せようとしている。でも烏三子の敵を考えると、一人の名前しか思い浮かばない。

 その瞬間、倉庫のドアがからりと開く。私は驚いて顔を上げると、誘拐犯と目が合った。


「ふーん。ネクタイの猿ぐつわは足りなかったですね」


 目の前に、長閑が立っている。


「あたしは日向を甘く見ていたようです。ネクタイを外せるとは思いませんでした」

「長閑!? 一体なぜ私を誘拐したの?」

「どうやらあたしの秘密を知っているようですね。部屋にある押し入れの位置がいつもとは違う角度を向いているんです」


 大失敗した。そんな些細な違いに気づけるのは長閑だけでしょう。


「それでも、誘拐するのはやりすぎてるんじゃないか?」

「ごめん、日向。あたしの秘密が漏れてはいけないんです」

「馬鹿なのか? 友達だったんじゃないか?長閑の秘密を知っても誰にも言わないわよね!」

「それでも、漏らない可能性はゼロではありません。だから、他に選択肢はなかったんです。朝ごはんを持ってきますので、少し待ってくださいね」


 長閑は歩き始めた。


「待って、長閑!」と私は必死に叫んだ。本当に戻ってくるかわからなかった。

「何ですか、日向?」

「せめて、私の髪を引っ張り出してくれないか」

「日向のせいですよ。そもそも猿ぐつわを外そうとしていなかったら、髪の毛が挟まらなくて首は痒くないですね。では、すぐに戻りますから」


 長閑が立ち去ってから私は悲鳴を上げた。


「助けて!お願いだから!」


 でも、私の悲鳴に誰も応えてくれなかった。




 ドアが再び開くと長閑が朝ご飯を持ってきて庫内に入った。


「朝ご飯を食べるのに両手のロープを解いてくれます。ドアは鍵をかけましたので逃げだそうとしても無駄ですよ」


 両手のロープが解けてやっと自由になれた。早速ネクタイを首元から外して髪を直して、安堵の溜息を吐いた。

 長閑は私の前に朝飯を置いた。持ってきてくれた朝ごはんは私の好きな味噌汁とまぐろだ。長閑がどうやってわかったのかな? 超能力者かもしれない……


「今日中は日向のそばにいますよ」


 長閑は床に座って、反省しながら私の方を向いた。


「ごめん、日向。友達なのに酷いことをしてしまいましたね」


 私は返事をせずに食べ続けた。食べ終わってから、長閑と目が合った。


「長閑のこと、本当に嫌いだよ。もう友達ではない」


 それを聞いて、長閑は泣きだした。零れる涙を見ながら私は少しだけ同情したかもしれないけど、今更長閑と仲良くするわけがない。




 長閑は私の足元の前に横になった。多分足が動いたら起きるでしょう。天窓から夕焼けの空をそのまま眺めていた。

 心が酷く動揺した。なんで私は誘拐犯を思いやっているのか?本来ならば、復讐として長閑に猿ぐつわをかましたり床で四肢を縛ったりする権利があったのに。

 でも、はなから長閑に酷いことをしたくなかった。なんでだろうね。もちろん、許す気はないけど。

 見慣れた庫内を見回した。とっても静かだ。最近頭がおかしくなって、長閑の奴隷として余命を過ごすと思った。

 しかし、私は絶望した途端に、ドアの向こう側に誰かの気配を感じた。誰かがドアを勢いよく叩いている。大きな声が庫内に響き渡って長閑は急に目覚めた。

 そして、ドアがからりと開く。


「待たせたなぁ、我が眷属。約束をしたのに……」

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