第2話 混乱の後のありふれた日

 寝具に横たわったまま、私は心の整理をしようとした。頭の中がいろんな感情で混乱しているけど、今は「今日も生き残ってよかった」としか思わない。身を起こそうとしていたけど身体からだが疲れすぎている。こんなに走ったのは久しぶりだからね。

 窓際にあったカーテンがゆるゆると夜風に揺らぐ。これからは、どうしようかなぁ。やっぱり烏三子の眷属になるしかないか。

 考えすぎたせいか、頭の中がいきなり真っ白になった。遠くに聞こえたひぐらしの鳴き声と共に、その静かな夜にやっと眠りについた。




 陽射しがだんだん部屋に差し込んで、暖かい陽光で目が覚めた。しばらく昨日のことをすっかり忘れていた。まるで悪夢から醒めて、現実に戻ったような感覚だった。

 ベッドから飛び降りて背伸びした途端、頭がガンガンしていることに気づいた。まだ若いからお酒を一度も呑んだことはないけど、この感覚は二日酔いに近いでしょう。原因はわからないけど、烏三子が作った結界のせいにした。

 頭痛にもかかわらず、台所に行って朝食を用意し始めた。最近、朝食に味噌汁とまぐろを食べるのが習慣になっている。

 料理が終わると、私は出来上がった朝ごはんを食卓に載せて食べ始めた。なぜか自分の作った食事はいつも一番美味しそうだ、と味噌汁をすすりながら思った。

 幸いなことに、頭が少し痛くなくなった。原因は起きた後の空腹感だけだったのかな……

 皿を片付けて着替えに行った。部屋の隅にある木製の押し入れを開いて、制服を取り出す。寝間着を脱いでから黒いタイツに脚を通して、腰まで引き上げた。

 着替えを終えてから姿見で服や髪を確認した。下駄箱から靴を取り出して、両足に履いて学校に出かけた。

 昨日のことが悪夢だけだと信じたかったけど、通学路を歩き始めると烏三子がすぐに迎えに来た。事実を何度受け入れようとしてもできない。私は黙り込んで烏三子と歩いた。


「じゃ、今日の堕天使部活は何をすればいいのかな」と烏三子は言った。

「えーと、まずは堕天使部活を説明してほしいんだけど」


 烏三子は立ち止まって考え込んだ。


「ようするに、魔法を使ったり呪文を唱えたり衣装を着たりするんだろうね」


 特に気になるのは「衣装を着たり」ってことだ。私に変な衣装を着せるのを想像すると違和感を覚えた。


「じゃ、今日は手がかりを探そうか?」


 三つの選択肢を考えてから、私はこう提案した。魔法を使うのは危険そうだし、変な衣装を着たくないし。


「そうしよう! どこに探せばいいかわからないけど……」


 わからないことがたくさんある。失敗しないで済むように無難な答えを出すことにした。


「あの、何を探してるかよくかわからないけど、学校の図書館に行ったら? 本を読めば何かわかるかもしれない」

「でも、本がたくさんあって、役に立つ情報はそんな場所で見つかりにくいだろう……」


 それを言って烏三子は急に恥ずかしくなった。


「ち、ちなみに眷属は勝手に予定を決まるなよ!!」

「提案だけだったけど」


 烏三子は背を向けたまま何も言わずにいた。

 たまには沈黙はいいけど、少し気まずい感じがしたから何かを切り出した。


「ねえ烏三子、早く帰りたいの? 天国に」

「えー、何を言ってるの?」

「だって、焦らずにゆっくりと手がかりを探したほうがいいんじゃないかな。私たちが出会ったばかりだからお互いのことはほとんど知らないね。ちょっと教えてくれないかと思ったけど」

「まあ、もちろん帰りたいけど一日くらいの休憩は大丈夫だろうね」


 堕天使にしてはかなり融通がきくらしい。結局、眷属になるのはお得なんだね。

 一緒に教室に入って席についた。そろそろ一限が始まる。




 今日の授業が終わってから、私は烏三子と図書館に行った。もう閉まったと思ったけど、午後五時まで開いているらしい。木製のドアを開けて入ると、図書館特有の匂いがした。


「役に立つ本はないかな。我が眷属は何かを見つけたの?」


 長い間探していた烏三子は立ち上がって言った。


「いや、教科書とか絵本とかしかなかった」


 本に視線を落として最初のページをめくると、髪の毛が前に垂れた。五十分ぐらいしゃがんだので膝がかなり痺れた。閉館時間がだんだん近づいてきた。


「まあ、学校の図書館だからね。そもそも手がかりがあるはずはなかったでしょう」と徐々に立ち上がりながら烏三子に言った。


 図書館を出ると、このままでは一緒に帰ることに気づいて不安になった。もし烏三子が私の住所に気づいたらどうしよう?

 だから図書館を出た後、トイレに隠れることにした。彼女は私を待たずに帰るだろうと思ったんだ。

 学校のトイレにしては割と汚くない。トイレのドアの下にあった隙間から覗いて、烏三子の遠ざがている背中をちらっと見た。

 よし。せっかくトイレに来たから鏡で自分の姿を確認して手を洗った。念のため、トイレを出てから廊下を見回した。やっぱり、烏三子はもう学校を出たんだね。私も帰ろうか。

 読書しかしなかったからまだお互いのことを全然知らない。最初は変な人だと思ったけど、彼女と時間を過ごすのは意外と楽しい。

 校門をくぐたとき、後ろから誰かに背中を叩かれた。反射的に振り向くと、烏三子の姿が視界に入った。


「待ってたよ〜」

「なんで私を待ったの?もう帰ったと思ったのに」

「我が眷属を見捨てたりはしないから」

「そうか……」


 前言撤回。彼女はきっと変人なんだ。


「じゃ、一緒に帰ろうか」

「はぁ、仕方がないわね」


 私と烏三子の長い影は通学路に映し出された。見上げるとオレンジ色に染まった空が広がっていた。


「そういえば、烏三子はなんで地球に来たの?」


「日向が小学校にいた頃、吾輩は普通の天使だった。でも、大天使の命令に背いて地球へ堕ちさせられた」


「なぜその命令に背いたの?」


 面接のように、私は遠慮なく烏三子の過去について追及した。本当に烏三子のことを少しだけでも知りたいんだ。だって、天使や堕天使が本当にいるとは予想できなかった。ずっとあり得ないと思ったことがはなから現実だった。小説の登場人物ではなくて本物なんだ。


「その大天使は実は堕天使だと思ったんだ。彼女は暗殺の命令を出したからさ。でも吾輩は通り魔になりたくないよ。だから、その命令に背いた。標的を見つけたとき、吾輩は逃走した。天国に帰ろうとすると、結界のようなものが道を塞いでいた。それ以来、吾輩は学生として暮らして、いろんな学校に転校してきたんだ」


「じゃ、手がかりを見つけるとあの結界を壊すことができるよね」

「その通りだ。我が眷属は賢いね」

「ほう、お世辞上手だね」


 くすくすと笑いながら歩いていた。扇風機の前に座っているかのように、風が私たちの顔に涼しく吹き込んだ。


「気持ちいいね」と烏三子は顔を傾けて言った。


 もちろん、私は同意した。

 気づいたら、私たちはもう交差点の前に立っていた。烏三子の方を向いて微笑む。


「ここで別々の道を歩くね。また明日!」

「我が眷属に別れを告げるのは辛いよ……」と芝居がかった口調で言った。

「まったく、『またね』って言うだけでいいわよ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る