第38話

「移動するぞ」


 休息は十分に取れたし、何より長居が過ぎた。とハッシュは苦々しく溢した。


「次は、何処に行くの?そう言えば、ここって何処?」


 そもそも、ここが何処かもわからない事を思い出したマギーは、今ひとつ状況が掴めていない。  

  

「ここはフラムだ。湖からは離れてるがな」


 駅とは反対側にある森の中。なのだそうだ。


「この小屋、ハッシュが作ったの?」

「いや、元々あったものだ。誰が建てたかは知らねえが、駅からも見えない分には使えると思ったんだ」


 ハッシュと共にマギーも、立ち上がった。


「次は……」


 ハッシュが言いかけた時だった。

 ドンッ――と、小屋の壁に何かがぶつかった。ガタガタと小屋が揺れ、外の木々もザアザアと葉がぶつかり合う音で埋もれる。

 不穏の始まりを告げる様に、その騒めきは次第に激しく、強くなっていった。


「ハッシュ……」


 不安を駆り立てる音ばかりが耳を占領して、マギーはハッシュの上着の裾を摘んだ。

 何かが来る。

 マギーが、そう感じた矢先、今度は誰かが扉を叩く音が鳴り響いた。


 ――ドンドンドンッ!!


 激しくノックを繰り返し、更には扉を開けようと、ガチャガチャと取っ手が動く。

 更には、そこら中の壁がドンドンと叩かれ続けている。 

 唯一の外への出口は使えない上に、小屋は囲まれていた。

 マギーはもう一つ、戸口の近くにあった窓に目をやるも、そこにはびっしりと何かが張り付いてこちらを覗いている。ひび割れたガラスは今にも圧迫で割れてしまいそう。 

 恐怖がマギーの心を埋め尽くし、考えてしまった。そのガラスが割れる瞬間を。


 ミシミシとガラスが内側に膨らんだと同時、甲高い叫び声を上げてガラスの破片がマギーとハッシュに向かって弾けん飛んだ。

 ハッシュはマギーに覆い被さると、そのまま抱え上げる。火鉢の灯りに照らされたハッシュの影が僅かに動いた。が、鈍い。ずるずると上に向かって形を変えようとするも、力無く波打つだけで終わってしまう。

 どうにも上手くいっていない。ハッシュが舌打ちすると、影はずるずると元の位置へと戻っていった。

 

 そうこうしている間に窓からは、人の手らしき物が次々と入り込んでいた。

 小さな窓を埋め尽くす黒い影は、幾重にも枝分かれした腕をマギーへと伸ばす。


『マギー、マギー、迎えに来たよ』


 何処からともなく降り注いだ声は、汽車で聴いた車内放送と同じ声だった。

 機械混じりの歪な声は、優しくもなく、怒ってもいない。起伏のない言葉が続いて、マギーに語りかけた。


『マギー、マギー、一緒に帰ろう』


 頭は人の形に似ているそれは、巨大トカゲに人の腕が幾重にも生えたどす黒い身体を壁に、ズズッ、ズズッ、と這いつくばらせ二人に近づく。


 マギーはその声に、姿に身体が震えた。

 ノアの首を斬ったあいつだ。

 今度は……

 

「見るな」


 大トカゲから目が離せなかったマギーの目をハッシュが塞いだ。


「お前の思考は影響する。特に恐怖はな」


 ハッシュは冷静だった。


「だから、別の事を考えろ」


 そんなの無茶だ。今も、壁もドアも叩く音が鳴り続けている。風の音すら止む気配が無いのだ。

 この状況で、何を考えろって?


「む、無理」


 マギーは目を瞑ったままだったが、ハッシュにしがみ付きながらも震えも止まらない状況で、他の事など浮かぶはずも無い。何なら、、ノアがどうなったかを、はっきりと思い出してしまったのだ。

 大トカゲの勢いが増した。それまで、壁をゆっくりと這っていたのに、全ての手をバタつかせてその顔をマギーの眼前迄近づく。


『マギー、外は危険だ。夢の中なら、いつまでも幸せなんだ。また全てを忘れてやり直そう』


 大トカゲの手が、マギーへと触れようとしていた。

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