第37話

「悪いな、一日以上寝るとは思ってなかった」


 予定外だったと、ハッシュは罰が悪そうに頭を掻きながら、マギーから目を逸らした。


「ここ、安全なの?」

「鴉がいない分にはな。だが、いつまでもここにいる訳にもいかない」


 ハッシュは、自分の服のポケットをそこかしこと探っている。

「やっぱり駄目か」と呟くと、マギーにポケットに忍ばせていた飴を手渡した。そんなハッシュの様子に首を傾げながらも、ぐう、と鳴るお腹を抑えるのも限界だったマギーは素直に飴玉を受け取る。


「ハッシュはお腹空かないの?」

「ここは、夢だからな。肉体の方が確りと管理されてりゃ問題無い」


 包み紙を外し、今にも飴玉を口に含もうとしていたマギーの手が止まった。

 本来なら必要の無い行為であり、目の前にあるその飴も、その味も、マギーの記憶から作られたものなのだ。


「食べずにいたら、夢って自覚できるかな」

「無意識の感覚ってのは夢にありがちな話だが、お前の場合は記憶を弄られている事が問題だ。食っとけ」


 飴玉をじいっと見つめるマギーにハッシュは、一つ問い掛けた。


「その飴玉、何味だと思う」


 マギーはキョトンとした顔でハッシュと顔を合わせると、再び掌の上で転がる飴玉に目を向けた。

 色は、赤。苺味の様な気がするけれど、ハッシュがその味をずっと持ってたと思うと、何故だか可笑しい。吹き出すマギーにハッシュは怪訝な顔を見せる。 


「何だ?」

「ううん、いちご味の飴だったら、ハッシュに似合わないと思って」


 似合わないという言葉は流して、食べてみれば良いとハッシュは促す。

 マギーも言われるがままに口に飴を放り込んだ。やっぱり、甘酸っぱい苺の味だ。


「いちご味」


 口の中で歯に当たる度にカラコロ鳴る飴玉を転がしながら、当たったと嬉しそうにハッシュに答えると、ハッシュが意地悪く鼻で笑った。


「そいつは、色味がついただけの飴だ。味なんか無い」  

「え?でも、いちごの味するよ?」

「お前が、苺だと思ったからさ」


 言っている事が分からないと、マギーはまた首を傾げた。


「お前は赤い飴玉を見て、苺を連想した。その思想が反映されただけだ」


 夢ってのは、そういうもんだ。とハッシュは言う。

 思い描いたままが、目の前に現れる。

 時には記憶が、時には思いが、時には空想が夢を創り上げるのだ。


「じゃあ、ハッシュが何か考えても……」


 マギーが言い掛けた言葉に、ハッシュは溜め息を吐いた。

 本来なら出来る筈なんだが、と憂鬱そうに答える。

 そう言って、再びゴソゴソと自分の衣服を探りだす。


「さっきから、何してるの?」

「試してるんだよ」

「何を?」

「スイッチさ」


 駄目だな、と小さな息と共に諦めを吐き出すハッシュの背は少し丸まって見えた。


「夢から覚める方法ってのは人それぞれだ。前にノアってやつが死ぬ事が条件だったんじゃねえかって話したろ。俺の条件は、ライターの火をつけて消すだけなんだ」

「ライターって?」


『ライター』が何か浮かばないマギーは、頭を傾げる。

 その様子に、ハッシュはがっくりと項垂れた。


「火を付ける道具だ、マッチみたいな……」


 そう言って、ライターの蓋を開けて火を付ける真似をしてみせる。所謂ジッポライターの仕草だったのだが、マギーにはそれが火を付ける行為には到底見えなかった。

 

「それがいるの?」

「ああ、必要だ。普通の夢なら、干渉した夢に影響を与えて、俺の自由にできる。スイッチを作り出すのは簡単だ」


 その簡単な事が出来ない。要は、ここは普通では無いのだと、ハッシュは言った。

 

「夢ってのはな、もっと曖昧で不確定なもんだ。夢の主にほんの少しの思想を刷り込ませただけで景色すら揺らぐ、蜃気楼や幻に似てるかもな。だが此処は、魔力で夢が固着されてる上に厳格なルールが敷かれて干渉を受け付けなくなってる」


 難しい言葉が入り混じり、マギーは苦い顔をする。ただ、幻という言葉が、この世界で暮らすマギーにとって心苦しいものだった。


「俺は夢に干渉するのが得意だったから、モルガナに頼まれて此処に来た。来てすぐの頃は、まだ干渉出来たんだ」


 そして再び、鋭い目つきが現れて、クソ猫と言う。


「俺が夢に干渉するのには、魔力がいる。移動は出来たが、干渉は無理。まだ、クソ猫の掌の上だな」

「ニルが、何かしてるって事?」

「魔女の概念を取り戻すだけじゃ足りないらしい」


 はあ、と息吐くハッシュを、マギーはじっと見つめた。


「ねえ、どうやって此処まで来たの?」

「あ?影の中を移動しただけだ」

「どうやって?」


 説明が面倒だったのか、ハッシュは物珍しいものを見つけた子供特有の期待に満ちた目をとても見ていられず、プイッと顔を逸らした。

 

「お前もその内できる。俺が出来る事は、大抵の魔女が出来る事だからな」

「じゃあ、メレディスも追いかけて来るの?」

「俺は影移動も得意なんだ。痕跡は消してるから、そう簡単には見つからねえよ」


 そう言ったハッシュの顔は、すこしだけ誇らしげに見えた。

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