第36話

「鴉が死んだ」


 ニルは家の前で座り込み、月を見上げて、ぽつりと呟いた。

 その手には、マギーのスケッチブックと黒色の色鉛筆が握られている。スケッチブックは真っ黒に染まって、小さな赤毛の女の子を飲み込もうとしている様子が描かれていた。

 絵は拙くも、禍々しい。

  

 新しいページを開いて、はあ、と一息吐くと家の中で、古時計が九つの音を奏でた。

 九時を過ぎたのにも関わらず、星の瞬きを残したまま、世界は静かだ。


「あいつら、言う事を聞いていれば良かったのに」


 それは、死んだ鴉への言葉だったのだろうか。ニルは、態とらしく大きくため息を吐いて、「あーあ」なんて言ってみせる。

 ニルが指示したのは、監視だけだ。恐らく、鴉達はニルの指示を無視してマギーを連れ去るつもりだったのだろう。

 

 マギーが創った、マギーの為の世界。その源は、やはりマギーだ。

 マギーの心が揺れれば、世界は乱れるし、マギーが世界を壊そうとすれば、この国の住人は必死になる。

 何たって、夢だもの。

 幻は、煙の様に消えて跡には何も残らない。

 マギーの力で出来た世界は、で、住人たちは独自の意志が芽生え、各々動いている。

  

 芽生えた意思は、消える事を恐れるようになった。一度、経験してからは尚更に。

 自らが、夢の住人だと知っていても。


 ニルは握っていた黒い色鉛筆を置くと、今度は黄色を取り出した。新しいページを開いてクレヨンを走らせる。

 ふさふさの立髪と尻尾、猫にも似た大きな大きなライオンが真っ白なページの真ん中に現れた。

 心なしか、その目は鋭くニルを睨んでいる。

 ライオンを描き終えると、もう一度黒い色を取り出す。

 今度は、ライオンの隣に真っ直ぐに伸びた長く黒い髪を描く。それに、黒いローブを纏わせて、目の色を赤にして、さあ出来た。 

  

 目つきの鋭い大きな人を描き上げて、その絵に小さく息を吹きかけて、名前を呼ぶ。


『古城の魔女』


 その時、ビュウっと一陣の風が吹き抜けた。

 土埃を纏って、それは何処へともなく駆け抜けていく。

 ニルはその風の行方を目で追うと、立ち上がった。


「マギー……」

 

 その風の向かう先は――

 


 ◆



 マギーは、パチパチと赤く燃える石炭を見つめながら、火鉢の前で膝を抱えていた。

 チラチラと背後に目をやっては、ハッシュが目を覚ますのを、今か今かと待ち続けているのだ。

 ぐうと鳴るお腹を抑えて、鳴るな、煩いと文句を言う。

 マギーも星を見た後に、もう一眠りをしたのだが、その間も、ハッシュは目を覚さなかった。


 何かがおかしい。


 特に、病気とは聞いてはいない……とは言っても、ハッシュとは知り合ったばかりと同じだ。何も知らない、この御伽話の世界から逃げたいのだと言う、お母さんの友達。


「そう言えば、ハッシュは何でこの世界に来たのかな……」


 ずっと聞きそびれていた理由は、今もあやふやなままだ。

 メレディスも、カートも、あの街の人達も。何故、マギーの夢の世界にいるのだろうか。

 そしてその疑問は自分にも返ってくる。

 

 私は何で、この世界に来たのだろう。

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