第34話

 温かい手の感覚が、今もマギーの中に残っていた。


「ハッシュ、ありがとう」


 ハッシュは、小さく「あぁ」と返す。

 頭の上に手を置いて、ポンポンと軽く頭を撫でる。


「あ……」


 ふわふわの毛と肉球の感触が頭に触れると、マギーの頭の中には、今と同じ光景が浮かんでいた。

 前にもそんな事があった、と過去のハッシュを思い出しそうになるも、ふっと浮かんだ情景は、あっさりと記憶の中で霞となって消えていく。

 何か、思い出せそうだったのに。


 そんな中、ハッシュが動いた。マギーを背後に隠し前に出る。ハッシュの視線の先は、メレディス達だった。

 メレディスも又、鋭くも愉悦に浸った眼光をマギーに向けていた。

  

「ハッシュ、何をそんなに警戒しているの?」


 メレディスは、いつだって余裕だ。マギーは、ハッシュの影からメレディスを除くと、変わらずにんまりと笑っている。

 今の今まで、混乱の最中だった筈。その証拠か、カートともう二人の仲間は、頭が重いのかやっとの事で立っている。なのに、メレディス一人が何事も無かったかの様にそこに佇んでいるのだ。


「元々、この世界から脱出するために手を組んだんじゃない。上手くいったでしょ?予定通り、この世界に魔女の定義が組み込まれたのよ?何か不満?」


 態とらしく首を傾げて、ハッシュと向き合うメレディス。


「お前と手を組むのも、これまでだ」


 ハッシュは、背後にいるマギーに向けて右手を差し出す。その手に触れろ、とでも言っているのか、指がマギーを拱いて小さく動いている。

 マギーは迷わずその手を取った。


「鴉共を退治してくれた事は感謝するが、お前のやり方は荒すぎる」

「何言ってるの、ハッシュが言ったんじゃない。どんな手を使っても、帰りたいって」


 マギーは思わずハッシュの手を握る力が強張る。

 マギーは一度失敗した。マギーに記憶は無いけれど、ハッシュは覚えている。それが、憎しみとなって残っている事も。

 それでも、暗闇で必死に叫ぶ声を聞いた今、マギーは強張ったままの手を離しはしなかった。

 寧ろ、その握りしめた手をハッシュがしっかりと握り返している事が、マギーを安心させていた。


「ああ、今は後悔してる。どうにも俺も、あの時にスイッチと一緒に一等大事な記憶も失っていたらしいな」


 ハッシュは、メレディスに敵意を見せつつも、その顔はすっきりとしていた。


「お前が派手な事をしてくれたお陰だ。それに関しては感謝する」

 

 すっきりとした表情は、マギーの手を確りと握ったかと思えば、足元の影が動いた。

 足元の影は大きくなり、二人を覆った。 


「じゃあな」  


 ハッシュの最後の言葉と共に二人の姿は影に飲み込まれ、水溜まりに石でも放り込んだ様に、ドプンと音を立てて、その影も消え去った。


 何も無くなったそこで、笑っているのは、メレディス一人だけ。

 慌てたのは仲間の内の一人の羊だった。

 それなりにお互い信頼していると思い込んでいたのもあり、ハッシュがマギーを連れて逃げる事は予想外だったのだ。


「おい、メレディス!逃げちまったぞ!?」


 羊はメレディスに詰め寄るも、危機感の無い変わらず楽しそうな顔がニヤニヤと笑っている。

 

「大丈夫、ハッシュが力を使ったって事は、成功したんだから」


 二人が逃げた事など、どこ吹く風と、今にもスキップでもしそうなほどに上機嫌なメレディス。

 実際、マギーが暗闇を操った事は事実で、それはマギーが魔女である事を思い出した証だ。だからこそ、ハッシュはマギーを連れて逃げてしまったわけだが。

 それを踏まえても、メレディスの様子は不可思議だった。


「おい、どうした」


 流石に心配になったのか、カートが近寄ると、メレディスは笑うのを止めた。


「……私も、思い出したよ」


 それまでとは打って変わって、ぎらりと目が光る。その目に映るのは、解き放たれた羊達だ。


「お前……」

「カート、どうする?」


 メレディスの瞳の奥底にある、深い闇が見える。カートはただ静かに、頷いた。

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