第33話
夜が、時計広場を飲み込んだ。
「マギー!!」
ハッシュは、視界が遮断される寸前にマギーに手を伸ばすも、その手に触れるより前に、全ては暗闇の濁流に飲み込まれた。
目の前が、完全な暗闇に支配され、誰もが闇に飲まれたものと思った事だろう。
四方八方、上も下も、全てが虚無の闇だ。
暗闇だが、嵐の真ん中にいる様な轟音だけが続いて、それ以上何も感じない。
それでもお互いの気配だけは、鮮明に感じていた。
メレディス、カート、もう二人のメレディスの仲間。
ただ、目の前にあった筈のマギーの気配が消えていた。
その代わりに、強く濃い何かの気配が、マギーが居たであろう場所から感じる。
そこが嵐の中心にであるかの様に。
そこに立っているのは、小さな女の子の筈だ。
視界は無い。誰かが、何か声を発した訳でもない。
なのに何故か、そこに居るのは
「マギー」
マギーが居た筈のそこに手を伸ばし、まだマギーがそこにいる事を願った。
この世界に取り残された事は恨んだのは確かだ。
ただそれは、もうこの世界の住人いなるしか無いと諦めていたのもあったからだった。
「マギー、お前が暗闇を操っているから、俺が飲み込まれないのか?それとも、俺は何も判らなくなっちまったのか?どっちっだ!?」
藁にも縋る思いで伸ばした手の指先に、何も無い暗闇以外の感触があった。
もうなりふり構ってはいられ無い。ハッシュは触れた先を力付くで掴んだ。マギーであってくれと、願い掴んだ腕は、細い人の腕……ではあった。
ただ――
――何だ?
小さな女の子の腕というよりは、大人を思わせる。
鶏ガラみたいに細っこい事に変わりは無いが、一回り大きく感じるのだ。
自分が掴んでいるものが、肌触りから人の腕程度の感覚で殊更、体温も感じ無い。
棒切れでも掴んでいるのかもしれないと感じても、その手を離す事がハッシュには出来なかった。
何故だかそれが、マギーの様な気がして。
その腕も、ハッシュの手を振り解こうとはしない。
「……ハッシュ」
轟々とした音の中から、少女でない、か細い澄んだ声がハッシュの耳に届く。
今にも、暗闇に飲み込まれてしまいそうな程、弱く、儚い声。
ハッシュは消え入りそうなその存在の手を、これでもかと、強く握った。
自身の体温が伝わる様に、声が届く様に。
夢の世界から出たいという想いだけでは無い。
ハッシュもまた、忘れていたのだ。大事な記憶を――
「飲み込まれるな!この力は、お前自身だ!」
心の底から叫ぶ声。激しくも、その声は温かい。
ハッシュの手の中で、何かがドクンと脈打った。
◆
どこを見ても、真っ暗。
此処は、夢の中?
今、立ってるの?座ってるの?寝転んでるの?
自分が何処にいるかも判らないのに、左腕がほんのりと温度を感じた。
フサフサの毛並みが左腕をくすぐって、暖炉の前のお気に入りのカーペットみたいな感触だ。
でも、あれは偽物。
じゃあ、この触り心地は本物?
ふわふわであったかくて、でも、握ってる部分はフニフニしてる。
そうだ、肉球の感触。
毛はふわふわで温かいのに、肉球はちょっぴり冷たい。
この腕を掴んでいる人はどんな姿だろう。
ぼんやりとした頭の中で、ふっと浮かんだのは、ライオンだった。あの立髪は、抱き上げられた時に顔に当たって、実はくすぐったいのだ。
「……ハッシュ」
そうだ、ハッシュだ。
あれ、夢と違う。
声が出る、そもそも手の感触がある。
腕をしっかりと握られて、痛いけど、嫌じゃ無い。
――飲み込まれるな!この力は、お前自身だ!
ハッシュが、呼んでる。
これは、いつもの夢じゃない。
行かなきゃ――
◆
轟々と唸り続けていた暗闇が、ピタリと止まった。
音が止まると、今度は大きく風が吹く。
また、嵐だ。街ごと吹き飛ばし勢いで風が吹く中、その風に暗闇が飲み込まれていく。
ハッシュはマギーの腕を右手で掴んだまま決して離さなかった。
嵐の中心は、マギーだ。自身も飛ばされそうな突風の中、マギーを守る様に覆い被さる。
竜巻にも似た黒い渦が空高く立ち登りまた別の何かに姿を変えたかの様にも見えたが、その暗闇はマギーの中へと吸い込まれ、すうっと煙同然に消えていった。
暗闇が無くなり、風も止むと、辺りに残ったのは静寂だった。
鴉の死骸は全て暗闇に飲み込まれたのか、一羽として見当たらない。代わりに全てが夢だったと思える程に元に戻った広場では、気を失った者達で溢れていた。
静まり返った事を確認して、ハッシュは警戒しながらも覆い被さっていたマギーからゆっくりと離れる。すると、澄んだ瞳の少女が照れ臭そうに見上げていた。
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