第17話

 マギーは思わずノアの手を強く強く握っていた。

 怖い。あの日と同じ、暗闇の恐怖が迫ってくる。でも、まだ九時には遠い筈。マギーはランタンを手に掛けて、震える手で懐中時計を持ち上げ開いた。

 

 時刻は、家を出てから一時間と経っていない。窓の外を見ても星は見えはしないのだ。


「マギー、逃げるよ!」


 しっかりと掴んだノアの手が、マギーの手を力強く引っ張った。通路へと出ると、近づく者達など構いもせずに、一目散に隣の車両へと移る。

 

 先頭車両のそこで、時間を稼ぐ予定だった。わずかでも、何か考える時間を。

 だが、思いもよらぬ存在に二人の足はピタリ止まる。そこでも灯りは途絶え、ガタン、ガタンと揺れる汽車に合わせて、ゆらゆらと、が立ち竦んでいた。

 

 黒い影。細長い背格好は人の形だが、マギーの様な子供ではなく大きな人だ。真っ黒の姿形に顔はなく、妙に細長い手足が人とは似ても似つかない。車掌の格好で改札鋏をこれ見よがしに掲げパチン、パチンと鳴らしては、その身体をゆらゆらと揺らしていた。


『マギー、マギー、どこへ行く?』


 車内放送と同じ歪んだ声が、影から飛び出した。

 

 いつもなら、壊れた機械程度にしか思えなかったその声が、暗闇の中でより一層不気味で不穏な音に聞こえる。

 

 マギーが恐怖で思わず目を背けると、歩きにくそうな細い足が動き始めた。足を引き摺り、ゆっくりと近づいている。背後を見ても、乗客達と暗闇が迫ってくる。逃げ場は――

 

 マギーとノアは、同時に一点を見つめた。

 

 窓だ。汽車の速度を考えても危険だが、今いるこの場の恐怖が、二人を窓へと押しやっていた。

 二人で力を合わせて窓を押し上げる。木枠の古い窓は、歪んでいるのか軋む音ばかりが唸って、動く気配がない。

 力任せ……所詮子供の力という事と、今、この世界が。ノアは、それを併せて考えた瞬間に、手を止めた。

 

「ノア?」


 だらりと腕を垂らし、一歩退がる。


「ノア!?」


 マギーも手を止め、ノアが何をしようとしているのか……嫌な考えが過ると、慌ててノアに手を伸ばした。


「マギー、僕は大丈夫。此処は夢だ。痛いけど、僕は死んだりしない」


 と言って、ノアがニッコリと笑った瞬間に、背後にいた暗闇達が一斉にノアに襲いかかっていた。

 暗闇や乗客達がノアをマギーから引き離すと、押さえ付け身動きが取れない様にした、その時。


 ――パチン、パチン

 

 車掌姿の黒い影が、ゆらりと動いたかと思えば、手に持っていた改札鋏が大きく姿を変えた。刃先は鋭く、両手でこれみよがしに鋏を閉じたり開いたり、刃先を鳴らす。

 そして、鋏を大きく開くと、ノアの首に押し当てた。


「マギー」


 身動きが取れないノアを前に、マギーは震えながら、その場にへたり込んでしまった。


「マギー、これは夢だ」


 鋏が閉じる瞬間に、ノアはまたもにこりと笑った。

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