Chapter.3

 約束の一ヵ月までまだ五日ある。

 だけど、既に彼女の歯は生え揃い、例の物も完成している。あれはあくまで目安で、ちょうどその日じゃなければならない理由なんてない。だから、今、渡す──。

「どうですか? 新しい手足は」

 知り合いの人形技師に頼んで作ってもらった彼女の為の義手・義足。一見ただ人形の手足を大きくしただけの玩具に見えるけど、それは特別な素材で作られた魔道具。装着すれば、まるで切断面から生えてきたかのように彼女の身体と一体化し、魔力で動かす事が出来る。

 だがしかし、出会った頃から彼女の魔力は衰弱したまま戻っていない。その状態では、せっかくの義手・義足も宝の持ち腐れになる。そこで魔力の代わりを担う"動力源"を組み込み、彼女にも使えるよう改良してもらった。

 その"動力源"が上手く機能するかだけ不安だったけど。良かった。ちゃんと動いて。

「……動く……動かせる」

 まだふらふらとおぼつかない足取りだが、彼女は自身の義足あしで立っている。

 完全に元通りにする事は無理でも、これで彼女は失ったものを取り戻した。あの日誓ったボクの目標は達成された。

 これからは、その義手で、その義足あしで、自由に──

「──……がっ」

 シャランッ、と鈴の音が鳴り響いた瞬間。鈍い音がした。

「ずっとこうしてやりたかった」

 あ、れ? 急に、前が、真っ暗に、なって。痛くて。

「ぁ、あ……ぅぅ……」

 何が、起きて。どうして、ボク、倒れて──

「──ゔがっ」

「そのヘラヘラした顔。 ホント、ムカついて」

 憤る声。鈴の音。幾度も、脳内に痛みが響いて。

「ずっとッ! ずっとッ!」

 でも、起き上がれない。上に跨る、彼女を退かす力なんて。ボクには。

「ぶん殴ってやりたかったッ‼︎」

 また、硬い拳が。

「さぞ気分が良かったでしょうねッ、優越感に浸れてッ‼︎

 鈴の音とともに、振り下ろされる。

「アンタもどうせッ‼︎」


 シャランッ──


「希望を与えて、愉しんでッ‼︎」


 シャラン──


「それを奪って、嗤うんでしょッ‼︎」


 シャランッ──


「人のこと、オモチャみたいにッ‼︎」


 シャラン──


「これが最高の愉悦とか言ってッ‼︎」


 シャラランッ──


「何が、君を幸せにしてみせますよッ‼︎ エラそうにッ‼︎」


 シャララ──


「こんなことなんかじゃッ‼︎」


 シャンッ──


「アタシはッ、アタシはッ‼︎」


 シャン──


「幸せ、なんか、もうッ‼︎」


 シャラランッ──


「どこにもッ、誰にもッ」


 シャン…………シャ…………──


 罰、あたったかな。あんな夢、見て。

 もう何が痛いのか。どこが痛いのか。

 分からない。

「この嘘つきッ‼︎ 詐欺師ッ‼︎ 偽善者ッ‼︎」

 死ぬ、のかな。このまま。

 嫌だなぁ。

 ボクなんか。死んでもいい。

 だけど、

「アンタなんか……アンタなんか……」

 その顔。彼女、が。泣いた、まま。なのは。

 嫌だ、なぁ……──





 ──ボクは師匠の泣き顔を一度も見た事がない。

 辛い時も、悲しい時もなかった訳じゃない。寧ろ、ボクのせいで身を切られるような辛さや深い悲しみを背負わせていた。でも、師匠は涙を見せなかった。それは強がっていた訳でも、意地を張っていた訳でもないと、あの笑顔が証明していた。師匠はどんな時も、どんな事があっても幸せだったんだと思う。だから、ボクは師匠の泣き顔を見た事がなかった。

 なのに、彼女の泣き顔を見た時。一度だって見た事がないはずの師匠の泣き顔が鮮明に見えた。それはまるで遠い過去の出来事を見たかのように。

 ねぇ、師匠。

 師匠はボクがいなくなって、そんな風に泣いてくれたの?

 もしそうだとしたら──





「──……ん」

 天国、じゃないな。この見覚えがあるボロ天井は。

 どうしてベッドに寝てるんだろ。あと、顔中薬くさいのは……まさか、これって彼女が手当てを。いや、でもそんな事が。けれど、そうとしか。

「やっと起きたのね」

「え?」

 驚きが隠せない。だって、それはここにいるはずのない声だったから。

「なんで」

 信じられない。何度目を擦っても、頬をつねっても、床に座って膝を抱える彼女がいた。

「何よ、その反応。 アタシがまだいるのがそんなに嫌だったワケ」

「い、嫌だなんて事は……。 寧ろ、逆で……君は平気なの? ボクの事、嫌いなんじゃ……」

「別に、嫌いじゃない。 殴りたいほどムカついてただけ」

「……世間一般では、それを嫌いと言うんじゃ……」

「は? 今、何か言った?」

「……いえ、何も」

「フンッ、言っとくけど。 殴った事、謝らないから」

 いつもと変わらない不服そうな顔と鋭い眼。だけど、今の彼女からは触れた者を噛み殺すようなトゲトゲしさを感じなくて、つい『ごめんなさい』と謝っていた。

「はぁ? 何でアンタが謝るのよ」

 そして、あの泣き顔のせいか。

「ごめん。 今のは君じゃなくて、君の中の師匠に言ったんだ」

「……それ、どういう意味よ」



 ──彼女に隠していた事。師匠について話すと、自分の中にあったドロドロしたものが落ちていくような気がして、少しだけ気持ちが楽になった。

 だけど、



「何よそれ。 アンタ、思いも告げずひい婆様から逃げたくせに、アタシをその代わりにしてニヤニヤと……気持ち悪っ、気色悪っ、陰湿悪過ぎるわっ! ホント、何かの間違いでアンタみたいなナヨナヨして気持ち悪いやつがアタシのひい爺様にならなくて良かったわ」

 きっと言わない方が良かった……。そしたら、冷ややかな目を向けられる事も、こんなにも傷口を抉られる事もなかった訳で……。あぁ、涙が……。

「ねぇ、そんなに好きだったの。 ひい婆様の事」

「……好き、です。 世界で一番、誰よりも、師匠の事が、好きなんです。 今でも」

「…………。 じゃあ、こういう事されたら嬉しいの」

「っ‼︎⁉︎」

 突然の温もりに、少しの間息が出来なくなった。

 抱きしめられ、胸越しに感じる彼女の魔力。それは小さくて、今にも消えそうな程弱くても、師匠と同じように安心させてくれる──。

「どうなのよ」

「嬉しくない、と言ったら……嘘に、なります」

「ふーん、そ。 じゃあ、ひい婆様の代わりにこういう事してあげる」

「え。 そんな」

「だから、しばらくここにいさせてよ」

 その時、抱きしめる力が強く。強くなって。

 ほんの少しだけ、痛かった。

「……いいんですか? 君には、その、帰るべき場所が、あって。 大切な人が、いるんじゃ」

「はぁ? 何バカな事言ってんの。 そんな場所ないし。 外には、そんなのいないわよ」

「ッ‼︎ ないし、いないんだ。 それ、なら…………」

「まだ、言ってなかったわよね」

 それは特別な事じゃない。

「アニス。 アニス・ラフティニアよ」

 ただ名前を教えてくれただけだった。

 本当に、それだけなのに。今まで教えてくれなかったから。

「アニスさん。 もう少しだけ、このままでいさせてください」

「別に……。 いいけど」

 齢百を超えるボクが甘えるように彼女の胸へ顔を埋めているのは、傍から見れば恥ずかしい事かもしれない。だけど、今顔を見られるよりはそっちの方がまだマシだと思った。



 師匠、ボクは彼女を──。

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