Chapter.2

 ──暗い森の中。

 母がくれた魔石は障壁を作り出し、その中にいる限りボクの身はあらゆる脅威から守られ、魔力によって生命活動を維持していた。だけど、それは魔力が尽きてしまえば、いつ死んでもおかしくない危機的状況だった。

 しかし、生まれて間もない赤子にそんな事が理解出来るはずもなく、泣き叫んでいた。それが魔物を呼び寄せて魔力の消費を早める自殺行為だなんて知らずに。母が来てくれる事を願って。

 当然、その願いは叶わなかった。

 でも、その代わりに師匠と出会い、彼女は見ず知らずのボクを拾って、育ててくれた。




 シャラン。シャララン。

 鈴の音が鳴り響く。

「──……ふぁ……おはよう、ございます……」

 床から起き上がり、ベッドの上の彼女へ挨拶をすると、また『シャラン』と鈴の音がなった。

 少しでも意思を伝えれるようにと彼女の二の腕に括りつけた鈴。それが鳴り響くのは、彼女がボクに何かして欲しい事がある時だ。早速、彼女の様子を伺うと、こちらとは目を合わせず太腿を内側へ寄せていた。

 それが意味するのは、

「すぐ連れていきますね」

 彼女を抱きかかえて向かった先はお手洗い。

 朝、だもんね。



 彼女と暮らし始めて一週間。

 初めの頃はボクが至らないせいで色々と迷惑をかけちゃったけど。今は鈴や身振り・視線や瞬きの回数等によるサインを決めて、ある程度はコミュニケーションを取れるようになっていた。

 と言っても、今のところ彼女の要望に応えているだけだから、ボク達の距離は初めて会った時から変わっていない。



「これ、ちょっと……いえ、かなり苦いと思いますが、我慢してくださいね」

 彼女の為に調合した魔法薬。それをお椀によそい、師匠が赤子のボクにしてくれたみたいにスプーンで少しずつ飲ませる。

「ッ‼︎⁉︎ ……ッ……」

 彼女もある程度は覚悟を決めていたようだけど。想像以上に苦かったみたいで、恨めしそうな顔で睨まれた。

「りょ、良薬は口に苦しって言いますし」

 言葉通り、この魔法薬は味が最悪な代わりに効果は絶大で二週間もすれば彼女の歯は元通りになる優れ物。……これで手足も再生出来れば良かったのに。残念ながら魔法薬も、そこまで万能じゃない──。



「これで最後です」

 睨まれはすれど彼女は魔法薬を全部飲んでくれた。

「えへへ」

 つい笑ってしまう。

 素材が店に売ってるものばかりじゃなくて、自分の足で野山を歩いて、時には川で溺れかけたり、魔物に追われたり。色々、苦労して作ったからかな。

 それとも、目標に一歩前進出来たからかな。

 嬉しい。すごく嬉しい。




「それじゃ、いってきます」

 なるべく彼女と一緒にいたい気持ちはある。だけど、危険な場所へ行ったり、今日みたいに貴族の屋敷──フィリア様のところへ行く時には連れていけない。だから、彼女には留守番を頼む。

 一応、最低限困らないよう床に食事や水、トイレ用の桶を用意して行くけど。あれってペット扱いしてるみたいで心苦しいんだよなぁ……。まぁ、だからといって誰かに彼女を見ててもらう訳にもいかない。交友関係が狭いボクにそこまで信用できる相手はいな……くもなくなくなくなくなくなく。んー、一応彼なら。

「よっ! ミナ‼︎」

 噂をすれば何とやら。勢いよく肩を叩いてきたのはちょうど頭に思い浮かべていた獣人、コランドだった。

「ひ、久しぶりだね」

「だな。 しばらく東都まで遠征に行っててよ。 大変だったぜ」

 コランドは"魔物狩人ハンター"兼冒険者で、以前酔い潰れていたところを介抱しただけの関係なんだけど。何故か、彼の中ではもう友達になっているらしく、こうやって見つかる度に話しかけられている。

「へぇ、そうだったんだ」

「でさ、聞いてくれよ。 向こうのさ」

 彼は悪いやつではない。図々しいところがたまにキズなだけでそれなりに良いやつだ。もし留守番をしている彼女の面倒をみてほしいと頼めば、快く引き受けてくれるだろう。

 だがしかし、

「受付嬢がめちゃんこ可愛くてよ。 もうオレ、ビンビンきちゃって。 これは飲みに誘うしか──」

 彼は大の女好き、種族なんて関係ない。まさに煩悩の塊だ。もし何かの間違いで彼に彼女を任せようものなら……。抵抗出来ないのをいい事に……。あんな、こんなで、ハチャメチャのめちゃくちゃにした挙句……『テヘッ、ごめんちゃい!』とか、誠意が全く感じられない謝罪を……。

「ダメだからねっ‼︎ 絶対っ‼︎」

「うわっ⁉︎⁉︎ な、なんだよ。 いきなりデケぇ声出して」

「あ。 ごめん」

「ったく、オマエってお堅いよな。 奴隷相手に夢見てもいいじゃんか」

「へ? 奴隷?」

「こう、かっこよく! スマートに! 助けてさ。 お礼ですって、その魅惑のボディで──」

 一体、彼は何の話をしているんだ。奴隷って。ボクが上の空の間に何を。

「──んでよ、ピンクの髪を──」

「ッ‼︎‼︎」

 今、なんて……言った?

 ボクの聞き間違いじゃなかったら、ピンクの髪って。

「──つまりだな。 オレみたいなのが貴族の花嫁になるような超絶美人を抱くにはそんな夢みてぇな事でも起きねぇ限り無理って話さ」

「……コランドって。 サラッとそういう悲しい事言う時あるよね!」

「ったりめぇよ! オレはちゃーんと現実を見て生きてるからな!」

「ハハッ、何それ。 あ、ボクそろそろ仕事だから行かなきゃ」

「そうなのか。 じゃあさ、仕事終わったら今夜一緒に飲もうぜ。 まだまだ話したい事があってよ」

「ごめん。 今、金欠なんだ。 また誘ってよ。 じゃあね!──」

「あ、おい。 ったく、今日は酒代くらい出してやんのに」




「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 胸が痛い。走ってるからじゃない。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 さっきの話、流れから考えるに東都である噂を聞いて。それは貴族の花嫁が攫われ、奴隷にされたという話で。その花嫁の特徴が魅力的な身体とピンクの髪で。彼女と同じと言えなくもない。

 ただの偶然、だよね。

 かつてボクと師匠が暮らしていた町は東都からそう遠くはない。

 だけど、ただ偶然が重なっただけで。そんな訳が。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、ん、くっ……‼︎」

 胸の痛みが治らない。どんどん痛くなって。

 痛くて、痛くて──。




「み、ミナっ⁉︎ どうしたの、そんな汗だくで」

 忘れたい。

「早く、【お姉様】に、会いたくて……走って来ちゃいましたっ!」

 消し去ってしまいたい。

「もうミナったら。 じゃあ、今日はお風呂で。 ね」

 塗り潰して、目を背けたい。

「……はい。 【お姉様】」

 全部。何もかも。

 今朝の嬉しさ、彼女に重なる影、師匠への──




 ──遠い昔、ボクが十三歳の頃。その時は、まだ師匠と暮らしていて。


『お、何やら良い匂いがするのぉ』

『ッ‼︎ ……あの師匠、頭に乗せないでくれますか? ソレ』

『はて? ソレとはなんじゃ?』

『……む、胸……』

『んんー? よく聞こえんのぅ。 歳じゃろうか』

『まだギリギリ二十代でしょうがっ』

『あー、聞こえんのー』

『ぐっ。 む、胸っ、胸ですよっ‼︎』

『ほう、胸か。 うーむ、それは困ったの』

『一応、聞きますが。 何で困るんですか?』

『無論、なれの頭が良い位置にあるからじゃっ! アッハッハ』

『……くっ、ホント最低です! 師匠は!』

 いつも明るく、いつもバカな事を言って、いつもボクを大切にしてくれた師匠が大好きだった。育ての親ははとして、心を許せる相手として。そして、一人の女性として。

『ところで何故魔法薬を作っておるのじゃ?』

『ヒルダさんに頼まれてたやつです。 師匠がいつまで経っても作らないから』

『おぉ、そうじゃったか。 えらい、えらいぞ』

『あの。 そういうのやめてください』

『何故じゃ? なれ好きじゃろ? 抱きしめられるの』

『い、いつの話してるんですかっ! ボクはもう子どもじゃ』


 ──ガチャッ。


『ミランダ! 見てくれよ、コレ! 南の洞窟で見つけたんだけど──』

『全く、騒々しいやつめ。 いつも言うておるじゃろ。 ノックぐらいせよと──』

『…………』

 冒険者は嫌いだ。

 簡単に師匠の興味を引いて、奪い取る。

 師匠も師匠だ。あんな口振りでも、本当はそこまで怒ってない。

『────』

『────』

 分かってる。

 師匠は人間。惹かれる相手は人間に決まっている。

 ボクなんかじゃ。半分のボクなんかじゃ、相手にされない。男として見てくれないって。いくらボクの方がそんなやつよりずっと長くいて、そんなやつよりも師匠の事を好きでも。

『ん。 どうした、ミナ?』

 ねぇ、師匠はそいつと話してて楽しい? ボクより。

 ねぇ、師匠はそいつとの時間が大切? ボクより。

 ねぇ、師匠は。ボクより、そいつが好きなの? 愛してるの? いつかボクなんか忘れて、結婚するの?

魔法薬これ、早くヒルダさんに届けて来てくださいっ!』

 怖くて聞けなかった。

 もし師匠の口から聞いてしまえば、ボクは……。

 だから、師匠の前から姿を消した。何も言わずに。




「ただいま、です」

 部屋の明かりをつけると、彼女はとても鋭い眼で睨んできた。

「そ、そんなに睨まないでくださいよ。 今日は色々あって、その……帰り、遅くなっちゃいました。 あ、すぐ片付けますね」

 この狭い部屋、ボクと彼女だけの世界で。

「あの、今日はお風呂が先でもいいですか? 仕事で汗かいちゃって」

「…………」

 ずっと彼女の面倒を見て、優しくして、外に出さなければ。

 いつしかここが彼女の幸せになって。

 師匠のような、柔らかな瞳でボクを見てくれるのだろうか。




 ──二週間後。




「ばっちり治りましたね」

「おかげ様でね」

「ちゃんと喋れるようになって良かったですね」

「何よ、今さらそんな事言って。 喋るくらいなら別に少し前から」

「でも、気づいたんですよ。 その歯、いらないなって」

「は?」

「そう、歯。 君は喋らなくていい。 喋っちゃいけないんだ。 だから」

「アンタ、何イっひぇ、ァ……ァ……」

「大丈夫、ちゃんと道具は用意してあります。 今日の為に──あ、ソレ。 麻酔じゃなくてただ動けなくする薬ですから。 痛み、我慢してくださいね──あれ、案外簡単に抜けるんですね。 この調子でどんどんいっちゃいましょう──にーほん…………さーんぼん…………よーんほん…………。 思ってたよりは出ないんですね。 血って──そういえば、音、しないですね。 もしかして、君にだけ聞こえてたりするんですか? グチャ、ズチャ、ゴキッ、って──あぁ、その顔。 『もうやめてっ!』と泣き叫ぶ声が聞こえてきそうです──泣かないで──ふふ……もう少しですから──はい、下はお終い。 次は上ですね──どうですか? どんどん歯が失くなって、可愛くなってきましたよ。 赤ちゃんみたいに」

 椅子に縛り付けられた彼女。ボト、ボトり、と床に落ちていく真っ赤な歯。喉を通過する悲鳴は虚しくて、音になっていない。止め処なくなく溢れる涙、鼻水、唾液、汗が混じり合って、もう何で濡れているのか分からなくなる程、苦痛と恥辱に塗れた表情かお

 どうして彼女はこんな目に遭っているんだ。

 目の前にいる【ボク】は、誰? どうして彼はこんな事を。

「……ッ……」

 ボクが見えているのかも分からない彼女との目が合い、胸が痛む。ズキン、ズキズキと。

 やめて、 【やめるはずがない】

 ヤメてくれっ! 【ヤメて何になる】

 止めろって言ってるだろっ‼︎

 ……え? 今、殴ったはずなのに、感触がない。

 ボクは、【ボク】を止められない。

 なんで、何で、なんでなンだよッ! なんで触れないんだよっ!

 キミは、ボクなんだろっ、だったら何でッ‼︎ ……さわれ、ないんだよ。ボクはこんな事、だって彼女は。

「ほら、最後の一本です。 抜くのは勿論、【キミ】だ」

 残された前歯。

 い、イヤだ……ぬか、ない……ボクは、抜かない……。そんなコトしたってかのじょは、師匠は。違う。ちがうんだ。もう居ない。彼女には、カノジョの幸せがあって。それはボクのしあわせと違ってて。ダメなんだ。いくらかのじょを閉じ込めたって、ボクなんかじゃ。師匠とおんなじで、見て……くれなくて……。

「これで君はもう──」

 消せない。

 ずっと胸の中で、燻る想いは。

がいなくちゃ生きていけない」

 どうして。どうしてボクは。抜いてしまったんだ。

 また、【人】の弱さに甘えて。

「もう何もしなくていい。 何も考えなくていい。 全部、ボクがする。 だから、君はボクの側で。 "師匠の代わりにんぎょう"として幸せに生きればいいんだよ」


【アァ、ナンテ業ガ深インダロウ、ボクノ半分ハ】




 ──シャラン。シャララン。




「──ッ‼︎ はぁっ……はぁっ……」

 鈴の音で目を覚ますと、彼女がボクの顔を覗き込んでいた。

「アンタ、魘されてたわよ」

「……ちょっと、嫌な夢。 見ちゃいました」

 今日で最後になるかもしれないからって。最低だな、ボク。

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