古都の神使と八幡宮-恋と御縁の浪漫物語・鎌倉編-
南瀬匡躬
捨てるもの 授けるもの
古都鎌倉。若宮大路が海から八幡宮に向かって真っ直ぐ伸びる町。その道の中央には、路面より一段高くなった参道がある。
夏の夕べ、ご祈祷の後、
『新しい店か? いや改装か?』
その店は小町通りをほんの少し踏切方面に入った横道にあった。
カウンターだけの店が見える。その中に三角巾を被った見覚えのある女性が立っていた。僕は少し驚いたが、懐かしくなってその彼女の元に顔を出す。
「明日菜!」
声をかけた僕に少し驚いたが、その女性はすぐに軽く微笑むと、
「
「覚えてた。良かった」と笑う僕に、
「忘れないわよ。意地悪ねえ」と少し下目遣いにほくそ笑む。
ゆっくりと窓口のカウンターの前まで移動する僕。ちょうど客足の途絶えた時間帯だ。
「何、お弁当屋さん?」
僕の問いに、
「ああ実家なのよ。最近改装して、私が店主になって続けているの。おじいちゃんの代には総菜屋で結構評判良かった店なんだ」と答える。
「へえ、学生時代、そんなこと言ってなかった」
「だってあの頃はお父さんの勤める会社の社宅住まいだし、梶家くんちと一緒だったじゃない」
そう、彼女の父親と僕の父親は同じ電機メーカーに勤務していた。だから同じ間取りの社宅に住んでいたお隣さん同士だった。なので中学までは僕と彼女は同じ学校だ。気心知れた仲でもある。
彼女はその後エスカレーター式の近隣の女子大の付属校へと進み、僕は高専に進んでプログラマーになった。
「今は何してんの?」と彼女。頭上の三角巾が板につく。
僕は「アクアプログラムって会社でゲームソフトつくっているよ」と答える。
「へえ、知ってるよ。結構大きな会社よね。『マリン・クエスト』って勇者モノのゲームで有名ね」
「うん。それの企画制作に関わっている」と僕。
「うわ、花形部門だ」と笑う明日菜。
「どうかな?」とほくそ笑む僕。照れもあった。
「折角会えたんだ。どう、ご飯でも? おごるぜ」と訊ねる僕に、
「わあ、本当。良いわよ。六時に店を閉めるから、その後なら」と明日菜は頷いた。
『おはらいさん』という注連縄が提げられた彼女の店の前に僕は六時に戻ってきた。
すらりと伸びた綺麗な足は三十歳が近いとは思えない。中学時代、明日菜は陸上部で放課後の校庭を走り回っていた。その時を思い出させる。ニットで編まれたハーフ丈のスカートとセーターの上下がそのスレンダーなスタイルに似合っていた。彼女は戸締まりをすると店から出来てきた。
「お待たせ!」
三角巾で見えなかったが、彼女の髪はボブカット。食品店らしい髪型だ。かつてのポニーテールよりさっぱりしていた。
「今日は休日なの? Tシャツにジーンズって」と言う。
「いや、八幡さまでご祈祷してきた帰り」
「へえ、大和から来るんだ」
「いや、今は大和にいないよ。本郷台に部屋を借りてるんだ」
「そっか、もうあの社宅じゃないよね。横浜市民じゃん。おぬし、出世したな」と悪戯顔のジョークを言いながらも合点がいく顔の明日菜。そして「小町通りの近所だと内容によっては話すの恥ずかしいから、観光客が行くようなお店にしようね」と笑う彼女。
「了解」と僕。
「ここ美味しいよ」と言って、鎌倉駅前の古風なお好み焼き屋さんを選んだ彼女。
全席上がりの席の店内。いくつも並んだ鉄板卓のひとつに通され、そこに腰を下ろす。
ジョッキのビールを注文し、世間話が始まる。
「なんで弁当屋?」
「まあ、話せば長くなるんだ。重いけど聞く気ある?」
「勿論」
もう二人ともいい歳だ。いろいろなことがあってもおかしくない。紆余曲折、苦労事もあっただろう。きれい事だけで安穏と生きられる歳でもないことは重々承知だ。
「私、数年前から一人になっちゃってさあ、随分前に父も母もなくなったんだけど、輪をかけて結婚していた相手には、離婚を言い出されちゃった」
ビールを苦い顔で美味しそうに飲み込む彼女。
「なんとまあ」
「うん。いきなり知らない女性を家に連れてきて、この人と一緒になるから別れてくれって言われちゃったのよ」
「いきなり?」
「うん。それも私より五歳も上の人よ。旦那、同い年だったからその選択に驚いたわ。若い女ならよくある話でしょ。でも年上って」
「確かに」
「何か女としての自信なくす状況だったのよ」
「そんなことないよ。明日菜はちゃんと持っているよ」と笑う僕。
「お義理でも嬉しいわ」と点頭する明日菜。
そして深いため息の後で、
「で、自分よりも年上の女性に負けて、渋々離婚を承諾したって訳」と人の良さが裏目に出た彼女の行動も想像がつく。
「なんで。突っぱねれば良かったのに」と僕。
「相手のおなかの中に赤ちゃんがいたのよ」
僕はおおよその想像がついた。明日菜の優しさが心の中で光った。だがそれは口には出さなかった。余計な感想やコメントを言えば、彼女が傷つく可能性も否めない。それに彼女の心の傷が完全に癒えているとも思えない。
「そんな状況で突きつけられた離婚届だった。で仕方ないわね……」
強がる彼女の目尻に少しだけ光るモノが見える。涙だ。いまだ納得していない、吹っ切れていない証だろう。余計なことを言わなかったことに安堵する僕。
「辛かったね」
僕は真剣な眼差しで彼女の話を聞き続ける。
「結構ね。心ぐちゃぐちゃだったわ」
「うん。察する事は出来るよ」
彼女は鉄板を注視しながらも話を続ける。
「それで一人になった私に祖父が、あのお店をくれたの。女一人で再スタートするのに住むところと職が必要だってね。まだぎりぎり二十代だったのにね。心配性だわ」と力なく笑う明日菜。
「そっか……」と神妙な面持ちを崩さずも、彼女に優しく頷く僕。
「でね、だから新装開店してまだ一週間なんだ。たまにおじいちゃんもいてくれるし、今生活に慣れ始めたって感じ」
「じゃあ、寂しくないね」とまた頷く僕。
「まあね」と強がる彼女の心中はいろいろなことが交錯している筈だ。その証拠に時折、話の途中、うっすらと涙のかけらが滲んでいる。
「じゃあ今度、デートにでも行こう」と僕。聴きたいことは十分に聴いた。後は明るい話題を彼女に提供するのが僕の役目のように感じた。
「デート? 出戻りの私を相手してくれるの? お金ないし、グラマーでもないわよ、私」と笑う。少し覇気を取り戻したような明日菜。
「こら。そういうのは無しだろう。同級生なんだ。同窓会で何言われるか分からないのに、軽はずみなんかで誘わないよ」と僕も釘を刺した。僕のその言葉に「ごめん」と言ってぺろりと舌を出す彼女。
一軒家を改築したお好み焼き屋の店内。縁側に面した席に夜の庭が見える。そこに二匹の白い鳩が仲むつまじく寄り添っていた。それはまるで何かを暗示しているかのようにも見えた。
「相変わらず優しいね。梶家くん」
ポツリとそう言って、彼女は、お好み焼きの最後の一口を入れて笑った。
その後十年の月日が流れて、僕は脱サラをする。仮想空間のショッピングモールを立ち上げるプロジェクトを高専時代の仲間とやり始めた。ウェブデザイナーとしてサイト運営に携わるようになったのだ。経営陣の一人として取り組み始めた。
明日菜とは一緒に鎌倉で暮らしている。彼女の祖父母も一緒、そして彼女の前の夫が欲しがっていた待望の子どもが、明日菜と僕との間にも出来た。我が子はとても可愛いモノだ。
今、彼女は何もなかったかのように、いや最初の結婚だったかのように、僕との結婚生活を楽しんでいる。子育ても、今から何処の幼稚園に入れるかで悩み始める。日常の当たり前は時局によって様変わりする。まるで映画のワンシーンのように、晴れやかにも、どんよりにもなる。暗いトンネルを一人孤独に走ってきた明日菜には、きっと幸せになる権利があると八幡さまはご助力下さったのだろう。そう、あの日、僕と二匹の鳩を神の使いとしてよこしたのだ。
(了)
古都の神使と八幡宮-恋と御縁の浪漫物語・鎌倉編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami
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