人外夫に名前をつけてみた②

「ところでさっそく詳しい話をしたいんだけど……正直私体力の限界なのよね。少し話したら寝させてもらうけど、いいかしら」

『も、もちろん! 先生は俺の大事なお嫁さんだから、自分の体調を優先してくれた方が俺も嬉しい』

「あら~、紳士じゃない。そういうところ、素敵だわ。誰とも関わった事が無いなんて嘘みたい。生まれ持った才能かもね」

『そ、そうかな。へへっ……』

(ちょろい……)


 いちいち返ってくる反応が素直で、リアトリスはこの相手が自分より遥かに強い魔物であることを一瞬忘れそうになる。だがこれから友好的な関係を築いていくにあたってたいへんよろしい。

 実はこの腐朽の大地の真ん中で機嫌を損ねたら今度こそ自分死ぬなと、少しだけ心配していたリアトリスである。図太いがために、傍目にはまったくその様子は見受けられないが。


 しかし今のところこの様子を見るに、この魔物はとても素直な性格かつ嫁である自分を勝手に敬って気遣ってくれそうな雰囲気だ。これは未来は明るいなと、リアトリスは楽観的に笑う。

 しかし希望は手に入れたものの。そろそろ本当に体力の限界だ。すぐにでも寝てしまいたい。


 だが、その前にどうしてもやらねばならないことがある。


「ところであんたほんっとうに臭いから、結界張らせてもらうわよ。あと、人化よ人化。人間になっちゃいなさい」

『え?』


 粘体生物は首を傾げた。なんとなく首をかしげたらしい仕草だと分かってしまったあたり、ここ三日でリアトリスはこの相手に慣れつつあるようだ。


「臭い物には蓋って、昔から決まってんのよ。生まれつきってのは同情するけどね」

『本当にずけずけ言うよね君って……』

「そうかしら? あ、そうそう、それと人化についてだけど、これは異種族恋愛の第一歩だと思ってちょうだい。残念ながら私、異形だからこそイイ! みたいな特殊性癖じゃないの。特にあんたみたいな見た目だと、相当な偏執狂じゃなきゃ受け入れるの厳しいわ」

『それについては、まあ……。俺だってこんな姿じゃ無かったらって、よく考えたけど。でも人の姿になるなんて、そう簡単に出来る事なのか? もしそれが出来るなら、俺の悩み結構解決するんだけど』

「ま、それ含めて私が色々教えてあげるわけだし? そこんとこ安心してもらって構わないわ! 人外の人化ってのは、一応実現可能な術としてすでに確立されている魔術だしね。……世間的には、女好きのドラゴンどもが人化して人間たぶらかして、ぽんぽん亜人種増やしてくれて厄介極まりない術なんだけど……」


 最後の方はなにやら忌々し気に吐き捨てたリアトリスだったが、数百年悩んできた生まれつきの姿をどうにかできるとあって、腐敗公の期待値はぐんぐんと高まっていく。


 臭く無ければ、醜くなければ嫌われない。

 触ったもの、住んでいる場所を腐敗させ朽ちさせてしまうという大問題こそあるが、生理的に嫌われる要因が排除できるとあらばそれだけでも彼にとっては希望だ。


 だがリアトリスは「でも」と鋭い声色で続ける。


「勘違いしないでほしいのが、その術をずっと私が施すのは無理ってこと。他人を対象にした魔術って、自分を対象にする場合よりずっと魔力の消費量が多くなるの。いくらあんたから魔力を無限に補給出来ても、集中力だっているしね。ただでさえ私は自分とこの樹に常時結界を張っていないといけないんだもの。それの他に術をもう一つ常時発動とか、流石の天才リアトリス様でも厳しいわ。だから人化の術を使うのは、あなたに魔術の授業をする間だけ。でもって、あんたはそれをいずれ自分で出来るようになりなさい。それさえ出来るようになれば、あんたは常に人の姿でいられるわ」

『! ……本当に、本当に俺は人になれる?』

「ええ、出来るわ。この私が先生になるのよ? 必ず習得させてあげる。私の輝かしい未来のためでもあるしね!」


 その言葉に腐敗公は、この出会いに改めて感謝した。

 ……今まで誰も教えてくれなかった、相手をしてくれなかった。しかしこの女性は、惜しみなく自分に知識を与えてくれるのだという。

 たとえそこに打算があったとしても、そんな事は些細な問題だった。


『俺、なんでもするよ。頑張る! 君のためにも!』

「あら熱烈! あー、でもこの二つの術はかなり複雑でね。習得するには基礎の基礎からみっちり覚えてもらうわよ」

『だから、なんでもするってば! あ、でも、……そんなに難しいの?』

「一般的な魔術師なら、これから私が使おうと思っている結界と人化……それぞれの習得にそれぞれ五十年はかかるわね。ま、私は天才だからすぐ覚えたけど!」

『お、おお……! リアトリスって、凄いんだな!』

「まあね! 崇めなさい! お前の先生は凄いのよ! それと、その何でもかんでも腐らせる体質もどうにかするから。ふっふふふ。今からいろいろ楽しみねー。あんたが魔術を覚えたら、きっと大抵の望みは叶うもの。うまいことすればこの広大な腐朽の大地、まるっと私たちだけの物! ほーっほほほ! 魔族の王が戯れにあんたに与えた爵位を本物にしたっていいわ! ここに公国を建国するのよ、腐敗公! なんてね! まあ土地の活用方法はいずれ考えるとして、とにかくこれからは私とあんたは明るい未来に向かって一直線ってことだけ覚えときなさい! よろしくて?」

『もちろん!』

「よし!」



 生まれてこの方、数百年あまり。

 暗いくらい、希望のない道を歩んできた。そんな中、突然強烈な光を示された。

 しかも彼女は「私たち」と言ってくれたのである。あけすけにモノを言うし無神経そうなところはあるが、自分と共に歩んでくれようとしている。それが腐敗公にとって、何より嬉しかった。


 まだ何も始まっていないが、腐敗公は生まれて初めて……未来というものに希望を抱いたのだ。






 しかし互いに協力体制をとることが確定した所で、いよいよリアトリスも体力の限界だ。

 そのためまずお試しとばかりに、リアトリスは腐敗公に人化の術を施そうと試みる。


「えっと、とりあえずお試しで一回人になってみましょうか」

『え、もう?』

「え、嫌?」

『嫌じゃないけど、思ったより急だったというか……』

「嫌じゃないならいいわね! とりあえず、私が休んでいる間に人の体の使い方に慣れてほしいのよ。これから二人で授業していくわけだしさ、体の動かしかた分からなくてまごつかれても面倒だし』

『わ、わかった!』

「それとあんた、話す時あまりどもらないようにしなさいね。話慣れないんだろうから仕方ないけど」

『ど、努力します……。あ!』

「いいって、いいって。少しずつで」


 リアトリスはひらひらと手を振ると、そういえばと思い立つ。



「そういや、ずっと「あんた」とか「腐敗公」じゃ呼びにくいわね。あんたさえよければ名前つけてもいい?」



『いいの!?』

「! お、おう。いいわよ。いいから、ちょっと離れなさい。この近さじゃ口呼吸だけじゃキツイ……!」


 リアトリスが提案するなりずずいっと体を乗り出してきた腐敗公の迫力に、リアトリスは樹の上でのけぞった。危うくバランスを崩して落ちそうになるが、なんとか耐えた。

 名前を付けてもらえる事が本当に嬉しかったようで、腐敗公はそわそわと巨体をくねらせている。


『その、すごく、嬉しい……』

「ふふん、そう喜ばれちゃうとなんだか私も気合入るわねー。まかせなさい! 宮廷魔術師は占いで貴族の子供に命名することだってあるのよ? 魂の本質を見抜いて、その者にふさわしい名前を付ける! そのことにおいて、私かなり自信があるわ」


 あまりの喜びようにリアトリスとしても悪い気はしなかったので、それなりに真剣に取り組もうと気合を入れた。


 腐敗公をじっと見つめる事、数十秒。

 リアトリスは脳裏をよぎった名前を逃さず捉え、それを高らかに言い放つ。


「あんたの名前は、ジュンペイよ!!」


 胸を張って自信満々に言い切ってから、……リアトリスは首を傾げた。


「ジュンペイ……。ジュンペイ? なんか、初めて聞く響きの名前ね。いや、私がつけたんだけど。でも思いついたのこれだったのよねー。なんでかしら」


 自分がつけた名前だというのに、それは今までに聞いたことの無い響きを持つ名前だった。しかし首をかしげるリアトリスをよそに、腐敗公……もといジュンペイは、たった今命名されたその名を宝物のように反芻する。


『ジュンペイ、ジュンペイ……。なんだろう、名づけてもらったばかりなのに、すごくしっくりくる』

「そ、そう? ええと、つけておいてなんだけど……本当にその名前で良かった? それ以外に無いってくらい私としてはそれしか思いつかなかったんだけど、聞いたことない響きだから込めた意味も何もないのよ。よかったら、ちゃんと意味のある言葉から考え直すけど……」

『ううん、いい。これでいい。……これがいい! 俺、ジュンペイだ!』

「まあ、気に入ったんだったらよかったわ。さあ、ジュンペイ! さくっと人化いくわよ!」


 あまりにも大事そうにつけた名前を言うものだから、喜んでるならいいかとリアトリスも納得した。

 そして無事に名前が決まったところで、お次は待ちに待った人化の術である。


「ふっふっふ。このさいだもの。思いっきり私の理想を詰め込んであげるわ……!」

『人化後の姿は自由に設定できるの?』

「ほほっ、私くらいになると可能ね。なんたって天才だもの! ……うん、悪くない。悪くないわ。旦那になる相手を自分の理想の姿に出来るとか、考えてみたら最高じゃない! やる気出てきた!」


 リアトリスとしても気分がのってきたのか、寝不足によって目が充血し爛々としてはいるもののどこか楽しそうだ。


 しかしやはり、リアトリスの体力は限界だったのか。

 ……その疲れが、この後思いがけぬ結果を招くことになる。






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