人外夫に名前をつけてみた①
人間領や魔族領からは、大地にぽっかりあいた巨大な毒沼のように見える腐朽の大地。
空は遠く、見通しは良いものの各所で発生している毒の霧や瘴気によってこの土地は昼間でもどこか薄暗い。
そんな中……場違いなほどに神々しく、清浄な白い光を発しているものが存在した。
それは枝葉を茂らせた一本の樹であり、幹は白く葉もまた白い。が、こちらは時折柔らかな七色の光をさざ波のように発している。
汚臭と汚泥に満ちている何もかもを溶かしつくす腐朽の大地において、本来ならばそれはありえない光景だった。
しかしその樹は樹そのものがある魔道具である上に、とある優秀な魔術師が加護の結界を施していた。そのためこの樹がかつてこの地に存在していた他の木々のように溶かされることは無く、現在腐朽の大地の中で唯一生物にとって安全な場所となっていた。
そんな安全地帯を作り出した、とある優秀な魔術師ことリアトリス。
彼女は色々あったものの無事この死の大地で手に入れた住居……樹の上で、腐敗公の身の上話を改めて聞いていた。
「なんというか、不憫よね……」
『初めて同情してもらえた……!』
「あ、うん」
返事を求めていなかった独り言に反応され、リアトリスは何とも言えない気持ちになる。
リアトリスが現在自分の住居とするべく用意した樹であるが、腐敗公と同じくらいの高さがあるため現在巨大な目玉と視線が同じだ。その澄んだ瞳が少々居心地を悪くする。
「えーと、ここに来るまでざっくり聞いたけど、改めて聞くから補足してくれない? まず、お互いの事を知りましょう」
住居を得て身だしなみを整え、満足いくものでは無かったとはいえ一応食事を終えたリアトリスは比較的落ち着いていた。そこでこれからの師弟関係もろもろについて話す前に、再度自己紹介をしようと提案したのだ。
そして再び聞いた腐敗公の身の上話は、やはり「不憫」と感想を抱くようなものだった。
要約すると彼は生まれ持った特性から、外界へ出る事も叶わず自領に引きこもる事を余儀なくされてきたのだ。今まで接してきた相手には疎まれ拒絶されるか恐怖されるか、はたまた攻撃されるか。それが腐敗公の魔物として生まれてこのかたの人生……否。魔物生。
そのためこの魔物は生きた年月に比べて、とても人生経験というものが少ない。
まず、産まれる。腐敗公、今とは違った小さい姿で誕生。
最初は人間の手のひらくらいの大きさだったという。親は居なかったらしい。
自然発生型の魔物はそこそこ居るので、リアトリスはそれについては特に不思議に思わなかった。
次いで自我の確立。産まれてから五分くらいで完了したらしい。
しかも何故か自我と共にある程度の知識を元々持っていたのだというから不思議だ。聞けばそれは、魔物の常識よりも人間が持つそれに近い。
その後、彼は仲間を探した。
何処とも知れない荒野の真ん中で生まれたので、一人ぼっちだった腐敗公。下手に知識と自我があったものだから、寂しくなったようだ。
そしてこれが腐敗公のぼっち魔物生の始まりでもある。
旅の途中、生まれて初めて美しい自然を目にした腐敗公、感動する。
しかし少し進んで、もう一度それを見ようと来た道を振り返れば何故かそれらは消えていて、代わりにドロドロした何かが埋め尽くす大地が広がっていたらしい。腐敗公は首を傾げた。
ここで「首……?」と、腐敗公を見てリアトリスもまた首を傾げた。どう見ても首があるようには見えないが、そこは別に今突っ込まなくてもいいだろうとリアトリスは口を噤んだ。
旅を続け、腐敗公は初めて生き物に出会う。可愛いリスだったと彼は語った。
そして思わず触手を伸ばして撫でようとしたら、愛らしいリスは一瞬にして解け肉片を晒したのちに白骨へと変貌したらしい。
これを語った時の腐敗公の眼は死んでいた。目は口以上に語るというが、その言葉はこの魔物にはぴったりだった。
唯一顔らしいパーツである単眼は、とても感情豊かなのである。
その後も会う生き物会う生き物、みんな溶けて死んでしまったらしい。
そして彼はようやく自分の体の特殊性に気づく。自分が美しい、可愛い、好ましいと感じたもの全てが、自分の手によって壊れてしまうのだ。
それを知った腐敗公は、初めて絶望という感情を知る。
それでも孤独を癒したい腐敗公は旅を続け、やがて初めて言葉が通じる生き物に出会う。
この時に腐敗公は自分の姿が醜く、更にとても臭いのだと知ったとか。ひどい言葉を言われたと、彼はメソメソ泣きながら語った。
だけど諦めきれない腐敗公は、なおも進んだ。
ここでリアトリスは、それが腐朽の大地が世界の三分の一を占めた時期なのだろうなと推測する。世界的に大事件だったはずだが、その実態が一匹の魔物の寂しさゆえの行動だとは誰も思うまい。
その途中で自分が歩んだ場所が何故汚い風景に変わっていくのかにも気づいたという。気づくのが少し遅い。
そしてその時に初めて人間や魔族から攻撃され、腐敗公は自分という存在がほとんどの生き物にとって害悪なのだと自覚した。
嫌われているのだと理解した。
それでも死ぬのは、殺されるのは嫌だ。一人ぼっちは嫌だからと、誰か相手にしてくれないか、誰か仲間になってくれないかと彼は進む。
彼の世界を……誰も住めない、汚泥だけが支配する一人ぼっちの大地を広げながら。
話を聞き終えて、拍手する雰囲気でもなくリアトリスは反応に悩んだ。
「あー……。ええと、その、諦めなかった気概は凄いと思うわよ。偉い偉い」
『ありがとう……』
とりあえず褒めてみたが、腐敗公の気配は未だ暗い。
孤独を嫌い仲間を求めれば求めるほどに、その体質によって他の生き物にとっての災厄を振りまき嫌われる悪循環。
……よくその孤独に苛まれながら、進み続けたものだ。この魔物にとっての最大の不幸は、おそらく自我があったことだろう。寂しいと感じる心が無ければ、苦しまずに済んだだろうに。
『魔族の王に会いに行った事もある。自分が化け物だってのは散々言われてたから分かってたし、それなら魔に属する王なら、受け入れてくれると思って』
「なんというか……あんたなりに色々努力はしてみたのね。それで、結果は?」
『「くっせぇ寄んな!!」って追い返された……』
「そ、そう……。つーか、なにその雑な罵倒。どこの部族の王よそいつ。少なくともあんたに腐敗公の称号を贈った奴ではなさそうだけど……」
『しょ、正直凄く傷ついて、それ以来魔族領にはあまり近づけなくなっちゃってさ……』
「………………。え、人間領側を中心に腐朽の大地が増えた理由って、もしかしてそれ?」
『……うん』
人間領の土地が多く削られた原因が、まさかの悪口。強大な力と巨体に反して、腐敗公は非常に繊細な心の持ち主らしい。
リアトリスは少々頭痛を覚えたが、話の続きを促す。この後が丁度、花嫁という生贄制度が取り入れられたころの話だ。現花嫁としてはしっかりと聞いておきたいところである。
『もうどれくらい前だったか覚えていないけど、偉い魔術師だって人が来て言ったんだ。花嫁をやるから、もうこれ以上自分達の土地を侵さないでくれって』
「それが花嫁制度の始まりなのね。各国が順番で花嫁を出してるから情報がごっちゃになってる上に昔過ぎて正確な記録は残っていないけれど、少なく見積もっても五、六百年くらいは前の出来事のはずよ」
『ごろっぴゃく!? そんなに昔!?』
「! へえ、長命なくせして五、六百年を昔と認識する感覚はあるのね。興味深いわ」
腐敗公の自我が生まれた時から持ち合わせていた知識や概念、感覚。
そのどれもが魔物というよりも、どこか人に近いとリアトリスは感じていた。それがリアトリスの好奇心をくすぐる。
約束が交わされてから、腐敗公は毎年捧げられる花嫁に一応満足することにしたらしい。といっても、それは諦めの上に成り立つ満足だ。本当は満たされてなどいない。
そんな腐敗公の心の影響なのか、彼が昔のように動かなくなってからも腐朽の大地は広がり続けたのだという。
その内、敵が現れ始めた。存在するだけで生存領域を侵していく腐敗公を倒そうと、立ち上がった者たちだ。
最初は腐敗公も会話を試みたが、相手側はそれに取り合わなかった。いつも返答は攻撃だったと、腐敗公は語る。そうなれば進んで死にたくなどない腐敗公だって抵抗した。結果、腐朽の大地に溶ける屍は増える一方。
存在するだけでもとから住んでいた生き物全てを溶かし殺し虐殺したのと変わらない腐敗公だったが、その時期から自分の意志で相手を屠ることを覚えたのだという。
しかし本当はそんな事したくないのだと、語りながら腐敗公はめそめそ泣いた。碧く巨大な単眼からは、とめどなく涙がこぼれていく。不思議な事にその涙だけは、腐敗公の体から流れ落ちている汚泥と違って透明だった。
そしてそれを見たリアトリスは、結構な泣き虫だなこいつ、と少々呆れる。
強い力に見合わない、幼い精神だ。
とりあえず、腐敗公側の自己紹介は終わった。それなら次は自分の番かとリアトリスは口を開こうとしたが、その前に腐敗公が伺うように声をかけてきた。
『あ、あの~……』
「ん、何?」
『いや、その……。いつまで裸なのかなって』
「ああ」
納得したように頷いたリアトリスは、未だに全裸だった。
身だしなみを整えた。それは今のリアトリスにとって体に付着した汚れを落としきった事を意味し、衣服の方はまだ手付かずだったりする。というか、現在乾かしている真っ最中だ。
ちなみに汚泥で汚れ切った花嫁衣装はもともとの白さなど消え失せて、水の魔術を用いて洗浄する途中で何故か黄土色、紫色、苔のような緑と変色していき、最終的に真っ黒に染まった。
リアトリスとしては黒は使いやすい色なので好むところだが、真っ白で美しい花嫁衣裳だけはそれなりに気に入っていただけに少々残念だ。
そんなドレスを乾ききる前に着て不快な思いをするくらいならと、リアトリスはいっそこのままでいいと全裸のままで腐敗公と会話していた。
妙に人間臭い常識を持ち合わせている腐敗公としては、気まずい事この上ない。
「いいわよ別に、気にしなくたって。それに、一応私はあなたのお嫁さんでしょ? 裸くらい気にすること無いわよ」
『いや気にするよ! そういうのは良くない! 君は、もう少し恥じらいを持った方がいいと思う!』
「だからあんた相手に恥じらえと言われても……」
リアトリスは呆れたように言うが、ここまで言われると自分の方が常識に欠けている気分になってくる。事実として言っている事は腐敗公の方が常識的なのだが。
しかしこのままでは自分の自己紹介まで話が進まなさそうなので、彼女は渋々生乾きのドレスを着ることにした。
そしてやっと着替え終わり服を着こんだリアトリスに、腐敗公はどこかほっとしたように目元を緩ませた。
「お待たせ! え~、ごほん。じゃあ次は私の自己紹介ね。改めて名乗らせてもらうけど、私はリアトリス・サリアフェンデ。元はアルガサルタ……これは私の住んでいた国の名前ね。とにかくそこの王宮で宮廷魔術師を務めていた者よ。ちょっとやらかして処刑台送りになった結果、時期的に丁度いいみたいな理由であなたの花嫁として送り込まれたわ! 年齢は二四歳! 自己紹介、とりあえず後は今思いつかないから以上!」
『え、それは聞いてなかったよ!? 処刑台って……』
「ほほう、処刑台も分かるのね。まあその事はおいおい機会があったら話してあげる。な~に、気にする事じゃないわよ。あ、でもこれだけは言っておくわ。私は悪くないから」
『そ、そうなの?』
「悪くないから」
『わ、わかった』
繰り返して自分は罪人だが悪くないと主張するリアトリスに、腐敗公はとりあえず頷いておいた。リアトリスはそれに満足そうに頷く。
「うんうん、やっぱりあんた、臭いし醜いけど性格は結構いい子よね! 良い事だわ」
『褒められながら貶されたのも初めてだよ……』
「まあ、それはいいじゃない。あ、じゃあ続けるわよ? え~っと、まあとにかく私は今日からあなたの先生になるわけだけど、そのことに対してあんたが私に払う対価はなんでしょうか! はい、どうぞ!」
『え!? あ、えっと。魔力の提供……だっけ?』
「それもそうだけど、魔力に関しては報酬じゃなくて必要経費。いい? あんたが私に払う報酬は、最初にもう言ってるわ。覚えてる?」
『! き、君に相応しい……夫になること?』
「正解!」
その言葉を聞いて、腐敗公が纏う雰囲気が一気に明るくなる。
『はい! よろしくお願いします、先生!』
はきはきとした返事を聞いて、リアトリスもまた気分よく頷いた。
「いい返事ね! ま、これからよろしく」
『う、うん。よろしく……』
これから、という未来を示す言葉に、よろしくという友好的な言葉。
そのふたつをもらえたことに、腐敗公はただただ幸福を噛みしめた。
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